第9話 激化

 高橋がまだ真面目な学生だった頃、D大学のキャンパスには未来に対する希望と期待が満ちていた。彼は文学に強い関心を持っており、特に芥川龍之介や太宰治の作品に魅了されていた。彼の目には、彼らの作品が持つ深い人間理解や絶望的な美学、そして自己との戦いが、どこか自分の心情と重なって見えた。高橋はその感受性を学問に活かし、研究に没頭していた。


 大学では、芥川や太宰の作品を読み解き、彼らが描く孤独や絶望を自分のものとして受け入れることができた。しかし、文学だけでは足りなかった。高橋は、大学生活で理想的な学問の道を歩みたかったし、将来は文学の道で名を成すことを夢見ていた。しかし、それが彼の心の中で徐々に暗い影を落とすことになるのだ。


 その頃、高橋を特に厳しく評価し、時には彼の存在そのものを否定しようとする教師が現れた。彼の名前は袰岩ほろいわ。袰岩は、表向きは文学の権威として尊敬される人物だったが、学生たちに対して非常に冷徹で、教員としての資質も疑問視されるような人物だった。彼の授業は、しばしば理論とテクニックに偏り、感受性や個々の学生の自由な解釈を無視するものであった。


 高橋が特に影響を受けていたのは、芥川や太宰の作品における人間の深層を掘り下げるような、自由で柔軟な解釈だった。だが、袰岩はこれに反発し、高橋の解釈が「理論的に誤っている」と批判することが多かった。高橋が発表した考察が、袰岩の定義する「正しい文学観」に合わないとき、彼は高橋を公然と非難した。


 袰岩は、成績をつける際も高橋に対して冷淡だった。彼がどんなに努力しても、彼の評価は常に低く、進歩の兆しが見えないかのように感じられた。高橋は次第に自信を失い、授業を受けることが苦痛になった。袰岩の厳しい目線は、教室の中で一番目立つ存在となり、他の学生たちもそれに圧倒されることが多かった。


 ある日、授業の終わりに袰岩が高橋を呼び止めた。

「高橋、君の考えは大いに誤りだ。文学における真実とは、個々の解釈ではなく、普遍的な基準に基づくものだ。君が持っているのはただの感傷だ」


 高橋はその言葉を心に深く刻んだ。それが次第に、彼の自己に対する疑念を深めていくきっかけとなった。自分が正しいと思っていた解釈が、他者にとっては「感傷」に過ぎないとされてしまったことで、彼は自分を疑い、文学の価値そのものを疑い始めた。


 袰岩の支配的な態度と冷徹な批評は、高橋を圧倒し、彼の心を次第に閉ざしていった。彼が求めていた自由な学問の世界は、次第に灰色に染まっていった。あの頃の高橋には、まだ未来に対する希望と情熱があった。しかし、袰岩のような教師に圧迫されるうちに、その情熱は次第に冷め、彼の心には「本当に自分の道はこれでいいのか?」という疑問が芽生え始めた。


 この時期、高橋は、文学を学ぶことが自分の唯一の生きがいであると同時に、その世界に閉じ込められているような感覚にも苛まれていた。そして、次第に彼の心に漠然とした不安と恐怖が広がり、それが彼の道を誤らせる予兆となる。


 高橋の将来には大きな期待がかけられていたが、留年をきっかけにその生活は次第に狂い始めた。最初は少しの迷いだったが、次第にその迷いが自信を失わせ、精神的に追い込まれていった。家族からの圧力、友人からの期待、そして未来への漠然とした恐怖が彼を捉え、思い通りにいかない現実に立ち向かう力を奪っていった。


 その頃、高橋は一度も見たことのない、暗い世界の一端を覗き見ることになった。それは、犯罪の世界だった。大学の友人たちが語る、稼ぐ手段やその先に待つ巨万の富に、高橋は徐々に引き寄せられていった。最初は「冗談だろう」と思っていたが、心の中でそれが次第に現実味を帯びてきた。


 ある日、学外で知り合った人物から「大金を手に入れる方法がある」と誘われた。最初はその言葉に疑問を感じたが、相手は言った。「君に必要なのは、冷静な頭と決断力だ。少しのリスクを取れば、大きなリターンが待っている」


 その言葉に乗せられ、高橋は踏み出すことを決意した。彼は、もう一度自分の力を取り戻すために、この新しい道に足を踏み入れたのであった。


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詐欺から始まる


 高橋の初めての犯罪は、電話を使った「投資詐欺」だった。企業名を偽り、精巧に作られた投資話を信じさせては、大金を騙し取っていった。最初は小さな額から始まり、慣れてくると、その手口は次第に巧妙に、そして冷徹になっていった。


「これで本当に人生が変わる」と高橋は自分に言い聞かせ、ターゲットを巧みに操る感覚に快感を覚えた。どんどん欲が膨らみ、取引先から「平安大将棋の駒」を1つもらうことを条件に、さらに大きな詐欺に手を出すようになった。


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 平安大将棋の駒とその意味


 高橋が最初に耳にした「平安大将棋の駒」という言葉には、彼自身もすぐには理解が及ばなかった。それはただの架空のアイテムのように感じられた。しかし、駒を集めることが「勝者」になるための鍵だと聞いたとき、高橋の心は激しく動揺した。


 平安大将棋の駒—それは、単なる金銭的な報酬だけではなく、裏社会での「支配力」を意味していた。駒を集めることが、最終的に誰がその世界を支配するかを決めるゲームだった。高橋はその競争に引き込まれ、駒を集めるために、次々と大きな詐欺を成功させていった。


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駒の集め方とその象徴


1. 王駒(オウゴマ)

高橋が手に入れたい駒であり、その持ち主が最終的な支配者となる。しかし、その駒を手にするためには、命がけの競争が待っている。王駒を持つ者は全てを統括し、裏社会の頂点に立つ者となる。



2. 金駒(キンゴマ)

これは金銭的な力を象徴する駒で、巨大な取引を成功させた者に与えられる。高橋は最初の詐欺で、金銭的な成功を収め、この駒を手に入れた。その後も次々と金銭を集め、駒を増やしていった。



3. 銀駒(ギンゴマ)

銀駒は計略と策略を駆使する者に与えられる駒であり、冷徹な頭脳を象徴していた。高橋は次第に詐欺の手法を洗練させ、複雑な計画を練るようになった。その結果、銀駒を得ることができた。



4. 馬駒(ウマゴマ)

馬駒は情報を制する者に与えられる駒だった。高橋は情報戦にも長け、調査や監視、隠された情報を掴むことに成功し、馬駒を手に入れた。



5. 角駒(カクゴマ)

暴力や恐喝を武器にする者に与えられる角駒。高橋は次第にその冷徹さを増し、暴力をも駆使して敵を排除していった。角駒はその象徴だった。



6. 飛車駒(ヒシャゴマ)

高橋は取引先との影響力を広げ、遠隔地での支配を強化していった。飛車駒は、その広範な支配力を象徴していた。



7. 歩駒(フゴマ)

小さな成功を積み重ねていくことで、歩駒を手に入れた高橋。安定した進行を象徴するこの駒は、彼の着実なステップアップを意味していた。



8. 金剛駒(コンゴウゴマ)

強力な防御策を講じていた高橋は、金剛駒を手に入れた。何度も命を狙われ、背後からの襲撃を防いだことで、この駒の所有者となった。



9. 玉駒(ギョクゴマ)

すべての駒を集めるための鍵を握るこの玉駒。高橋は最も重要な駒であり、この玉駒を手に入れた者だけが「最終的な勝者」となることを知っていた。


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競争と危険な世界


 高橋が駒を集めるたびに、その世界はますます冷酷で危険なものとなった。集めた駒を巡って、他の犯罪者たちとも競争を繰り広げることになる。特に、冷徹な男「黒崎」との対立が激化していった。


 黒崎は、より多様な犯罪手段を使い、瞬く間に駒を集めていった。高橋と黒崎の間には次第に激しい競争が生まれ、裏社会の権力を巡る戦いは一歩一歩、命を賭けた戦いに変わっていった。


 高橋は、次第にその世界で何が最も大切であるかを学んでいく。裏切りと不信、暴力と恐怖が支配する世界では、決して安定した地位を築くことはできないことを痛感し始めた。生き残るためには、ただ駒を集めるだけでなく、どれだけ他者を信じず、裏切らず、冷徹に動けるかが重要だった。


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 最後の決断


 すべての駒を集めたその瞬間、高橋は最後の決断を迫られることになった。残ったのは、黒崎と二人だけだった。高橋は、駒を手にして最終的な支配を握ることができるのか、それとも別の道を選び、過去の自分を取り戻すのか。


その選択が、高橋の運命を決定づけることとなる。



---高橋の最終決断


 高橋はすべての駒を手にした瞬間、心の中で自分に問いかけた。この冷徹な世界で、果たして本当に「支配者」となることが自分にとっての勝利なのか、それとも過去を取り戻し、何か違う道を歩むべきなのか。駒を手にすることが、そのまま勝者になるとは限らないという現実を、彼は理解し始めていた。しかし、その直後、高橋の前に現れたのは、予期せぬ新たな存在だった。


 猛虎もうこ横行おうぎょうの登場


「高橋、お前が集めたその駒、どうしても渡すわけにはいかないんだ」

 突然現れたのは、冷徹な眼差しを持つ二人の男、猛虎と横行だった。猛虎はその名の通り、どこか野性的な威圧感を漂わせる男で、肉体的にも非常に強く、戦闘能力も高い。横行は、巧妙な策略家で、言葉を駆使して他人を操り、思うがままに事を運ぶことに長けていた。彼らは単なる犯罪者ではない。裏社会の中でも特異な立ち位置を占め、言葉で世界を変える猛虎と、物理的に支配する横行、という正反対の力を持つ者たちだった。


「お前がすべての駒を集めたのは、ただのゲームだと思っているだろうが、これは命懸けの戦いだ」

 猛虎が言った。その目は、まるで高橋が全てを失う瞬間を見計らっているようだった。

「駒はただの道具じゃない。勝者になるための鍵。それを持った者だけが支配者として認められるんだ」横行の声は低く、冷徹だった。彼は高橋に微笑みながら続けた。「でも、お前はまだその意味を理解していない」


 高橋はその言葉を理解していた。彼が集めた駒が、ただの金銭的な力や支配力を超えて、裏社会での『象徴』であることを知っていた。だが、それを支配するために命を投げ出す覚悟があるかどうか、という問いが彼を苦しめていた。


 猛虎と横行は、まるで高橋がその駒を持つのを見届けるために現れたようだった。しかし、それは単なる試練に過ぎなかった。


 新たな駒の登場


 その時、高橋は感じた。何かが足りない。自分が集めた駒は、どれも強力で、確かに支配を示すものだが、全てを手にしたとしても、それだけではまだ不完全だと。しかし、次に現れたのは、まるで新しい局面を切り開くかのような、全く異質な駒だった。


 猛虎駒

  猛虎の力を象徴する駒。これは物理的な力、暴力の象徴であり、戦闘における支配を意味していた。しかし、それは単なる暴力ではなく、「荒々しい支配力」が必要な駒だった。猛虎駒を持つ者は、肉体的な力と恐怖をもって世界を支配できる。


 横行駒

 横行の策略を象徴する駒。これは人々を操るための駒で、冷徹な頭脳と計略がものを言う。横行駒を手に入れる者は、情報戦と心理戦で相手を追い込むことができる。暴力とは一線を画し、計算された冷徹な動きで相手を討つことができる。


 これらの新たな駒は、従来の「平安大将棋」の駒とは異なり、裏社会で生き残るための「新しい力」を象徴していた。高橋が全ての駒を集めた瞬間、猛虎と横行の駒が登場したことにより、彼の選択肢は一層複雑になった。


 選択の時


 猛虎駒と横行駒が揃った時、裏社会のゲームはさらに激化した。高橋は一度、その手の中にあるすべての駒を見つめ直した。そして、猛虎と横行の支配力がどう作用するかを考えた。もしこの駒を手に入れることができれば、彼は支配者として君臨することができる。しかし、それは果たして望んだことなのか?


 高橋の目の前には二つの道が広がっていた。一つは、猛虎と横行の力を借りて支配者として裏社会の頂点に立つ道。もう一つは、このすべてを捨て去り、過去の自分を取り戻し、無道な世界から足を洗う道。


 その時、高橋の内面にあった迷いが消えることはなかった。だが、最後に彼が出した決断は予想もしなかったものだった。


 高橋はその後、猛虎駒と横行駒を手に入れた。そして、すべての駒を集めたが、それらを使うことはなかった。彼は裏社会を離れ、過去を清算し、静かな生活を送ることを選んだ。


 しかし、裏社会の世界では彼の決断がどう影響するのか、そしてその後の彼がどんな運命を辿るのかは誰にもわからない。駒は彼の手の中で静かに眠り、裏社会は依然として冷徹にその支配を続けていた。


 平安大将棋の駒は、ただの道具ではない。それは一つ一つがその世界を象徴する力を持ち、誰もがその力を手にしたいと思う。しかし、最終的にどの駒を選ぶか、そしてその力をどう使うかが、運命を決定づけるのだ。




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