第6話 武蔵と言う人物

 宮本武蔵は変わった人物だと思って居た。


 勘四郎の想像では、無口でひたすら剣のみに生き、人を避け野山に生きるけものの様な生活を送る孤高ここうの人、それが勘四郎の中の宮本武蔵なのだった。


 しかし実際に目の前に居る武蔵はそうではなかった。


 風体ふうたいこそ噂通りだが、話好きで身なりは清潔せいけつ、始めこそ恐ろしい印象を受けたが、こうして話してみると、どこか人懐ひとなつっこささえ感じてしまう。


 風呂を上がった後もこうして武蔵の部屋へ誘われて、夕膳ゆうぜんを共にして居る。


 気に入られたのだろうか。


 勘四郎からすれば、憧れだった人物に誘われて断る理由などどこにもない。


 実際じっさいに宮本武蔵は旅の途中とちゅう身寄みよりのない子供を拾って自分の養子ようしにして面倒を見たりして居る、それも一度ではない。


 人間嫌いの孤高の人、孤独こどくな人なのではなく、本当のところは人が好きだったのではなかろうか。


 そんな武蔵の人柄ひとがらにつられたのか、勘四郎は身の上やこれまでの経過けいかなどを全て打ち明けた、武蔵は話し上手じょうずでもあり聞き上手でもあったのだ。


「ほう、生駒家と言えば名門ではないか、武者修行などと、ご両親も心配しておろう」


「はい、でもどうせ自分は家督かとくげるはずもなく……何のために自分はあるのかといつも考えておりました」


「ふむ、それで剣を」


「はい、剣の世界で名を上げとうございます」


「して、その剣で人をあやめてみてどうであった」


「わかりません、ただ怖かったです」


「ははは、お主は正直しょうじきじゃのう。 しかしその怖いと言う気持ちは大事と考えよ、恐れを知らぬ者は早死はやじにするであろうよ」


「武蔵様は怖くないのですか」


 勘四郎は思い切って一番聴いて見たかった質問をした。


「怖い」


 返って来た返答に勘四郎の方が面を食らってしまった。


「お主があまりにも正直に語るもんでな、拙者せっしゃも正直に申すと、実は怖い、死にとうない。 死にとうないので準備じゅんびおこたらない、それこそ考えうるであろう全てのことを思案しあんする。 万全ばんぜんの準備をして戦いにのぞむ。 準備もせずに試合に望むは阿呆あほうのする事じゃ。 負けるは死に直結ちょっけつするでな。 卑怯ひきような勝ちも致し方無い事じゃ、卑怯を想像出来ぬやからは、その時点で拙者に負けて居るのよ。 命は一つしか無いでな、勝ちに綺麗きれいも汚いもないのよ、拙者はそうやって今まで勝ちを収めて来たのじゃ、それが兵法ひょうほうだと拙者は思うて居るし、これからも変わる事は無い。 だから拙者は負けると思うた試合は絶対にせぬ。 それを普段から心掛こころがけて居るから油断もない」


 武蔵が堂々どうどうと言い切った。


 体力もあり技術も持ち合わせて居る武蔵ほどの兵法者であっても毎回細心まいかいさいしんの注意を払って試合に望む、負ける試合は始めからしない、それは道理どうりである。


 目から鱗が落ちる思いであった。


 武蔵が語った事は当たり前の事ではあるが、その当たり前の事を念頭ねんとうに置いて日々送る者が果たして何人居る事だろうか。


 勘四郎は感心しながら、ふと右側に置いてある武蔵の太刀たちが眼に入った。


 それは当たり前の光景である。


 武士の刀は左差し、刀を右手で抜くのでそう差すのだ。


 だからさやごと刀を右手に持つ行為こういは、相手に他意たいが無いと言うあかしである。


 左利きは行儀悪ぎょうぎわるしとされ、勘四郎は左利きであったのだが、幼き頃よりきびしく右利きに治された経験がある。


 それは相対あいたいして座る際も同じで、刀を置く時は右側に置くのが礼儀れいぎだ。


 勿論勘四郎も右側に置いて居るし、武蔵のそれも正解である。


 ここで勘四郎は少し意地悪いじわるな質問をした。


「武蔵様、武蔵様は今右に指物を置いておられますが、それは油断ゆだんされて居るのではないのでしょうか」


 幼き頃に左利きであった勘四郎だから気が付いた質問である。


「ん、勘四郎がいきなり切り掛って来た場合どうするかと言う質問かな」


「あっ、いや、すみません、ぎた発言でした」


 武蔵の言葉がお主から勘四郎と呼び捨てに変わって居る、やはり気を許して居る。


「勘四郎は左利きか」


「いいえ、違います」


「そうであろう、先ほども言うたが生駒家は名門であろうから行儀作法ぎょうぎさほうなどは厳しくされたであろう」


「はぁ、まぁ、その通りです」


「まぁ勘四郎の立ち居振舞いふるまいを観て居ればそれは解るのだが、じゃあ今度は拙者の方からの質問じゃ」


「あ、はい」


 勘四郎は背筋を正した。


「もし拙者が左利きなら何とするか」


「あっ」


 武蔵がにやりと笑った。


 宮本武蔵は左利きだったと考える歴史家は多い。


 一本より二本の方が有利と考え、武蔵は二刀流にとうりゅうを使うようになったと言う。


 二刀を自在じざいに振るうのに、勿論武蔵の怪力かいりきも必要であったであろうが、右利きの場合、左手がそれに付いて行かないのだ。


 元々利き腕が左だと、右手がそれに順応するのはそれ程難しくはない。


 後に二天一流にてんいちりゅうと言う流派りゅうはを開き、数多き門弟もんていかかえるのだが、最後まで名のある名人は生まれなかったと言う。


 余談よだんになるが、勘四郎が使う小野派一刀流は、数々の流派に分流して居るが、小野派一刀流は今現在も続き警視庁の武道専科生ぶどうせんかせいは剣道のみならず小野派一刀流を学んでいる。


 一刀流は万人が学べる剣術であるが、二天一流は剣の天才である宮本武蔵個人にしか使えない剣術だったのであろう。


「すんまへん、お客はん」


 外居そといから店の者が声を掛けて来た。


 武蔵が返答を返すのを確認かくにんして、店の店主がふすまを開けた。


「お話し中どうもすんまへん、お客はんは宮本武蔵様でいらっしゃいますか」


 申し訳なさそうな顔で店主が訪ねた。


 しばらく武蔵は何も答えず店主の顔を見詰みつめていた、勘四郎はどうして良いか解らずに武蔵の顔と店主の顔を見比べた。


 武蔵は名前をたずねられてどう返答するべきか思案して居るのだろうか。


 店の店主もどうしたら良いか解らない顔になって小さくなって居た。


「いかにも、拙者が宮本武蔵である」


 やっと返答した武蔵に、店主が安堵あんどした様子ようすを見て、勘四郎も安堵した。


「宮本武蔵様に、お客はんがお越しになっておられます」


 店主がそう告げると、武蔵が怪訝けげんな顔をした。


 またしばらく店主の顔を見詰めた。


 小さくなって居た店主が、さらに小さくなって居た。


「何人だ」


「は、はい、お一人でございます」


 息も絶え絶えに店主が答えた。


 まるでへびにらまれたかえるの様だ、勘四郎は店主が可哀そうになってきた。


風体ふうていは、姫路藩ひめじはん藩士はんしか、浪人ろうにんか、性別は、どんな様子で参った、刀は持っておったか、今何処いまどこで待たせて居る」


 矢継やつぎ早に詮索せんさくする武蔵質問に、店主は順を追って答えて行く。


 まるで役人に詮議せんぎを受ける罪人ざいにんの様だ。


「ところで店主、なぜ拙者が宮本武蔵と解った、他の部屋には寄らず真っ直ぐにこの部屋を訪ねた様に見受みうけるが」


 今度は勘四郎がぎょっとなった。


 今の今まで勘四郎と普通に談笑していたのに、外の気配まで感じ取って居たのだ、勘四郎は全然気付かなかった。


「お客はんが宮本武蔵様だと、姫路の皆がうわさしとりますよって」


 最後の方は聞き取れなかったが、武蔵程の有名人にもなると、何処どこへ行っても噂されるのであろう。


「通せ」


 武蔵の言葉にやっと解放かいほうされた店主は、返事もせずに駆け出して行った。


 その男は旅の町人風ちょうにんふうで、店の店主に案内され部屋に入って来た。


 武蔵の前に礼儀正しく正座をして、私は八郎と申す者ですと名乗った。


 武蔵は何も言わず八郎を見詰めている。


 八郎もそれ以上何も言わず、笑顔で武蔵の視線を受け流していた。


しのびか」


 八郎が一瞬おっと言う顔になったが、直に笑顔を取り戻した。


「さすがは宮本様、まずは失礼をお詫び申し上げます」


「その忍びが拙者に何用なにようであろうか」


「はい、御用ごようが御座いますのは私の主人で御座います」


「主人とな」


「はい、宮本様を招待しょうたいして夕膳でもご馳走ちそうしたいと申しております」


「ほう、それは残念なことをした、夕膳ゆうぜんなら今そこの若者と食ろうたところでな……して、その主人と申すはどこの御仁ごじんかな」


「はい、柳生兵庫助様やぎゅうひょうごのすけさまに御座います」

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