彼女に捧げる鎮魂歌

マカロニサラダ

第1話 はじまり

     序文


 彼女は多くの人物と関わっている為、証言者も多い。

 その大多数は、彼女をこう評している。

 

 可憐。

 儚げ。

 勤勉。

 奥ゆかしい。

 隠れファンが多い。

 

 その中でも多数の人が、興味を惹かれたのが老執事の証言だ。


「彼女は私達が千の熱意で熟す仕事を――一の熱意だけで熟してしまう」


 先述の通り彼女は勤勉で、更にはバイタリティに溢れていた。

 常に〝何かをする事〟を求めていた彼女は、暇である事を嫌っていたのだ。


 けれど彼女の立場は、ただの侍女にすぎない。

 それ以上の権限など持っていないし、実際、彼女は生涯侍女だった。


 ただ、彼女が有能な侍女だったのは確かだろう。

 しかし〝有能な侍女〟と言うのも、奇妙な表現だ。


 有能であるなら、然るべき部署に就くのが道理だろう。

 身分制度が絶対だったこの時代でも、彼女なら補佐官や秘書にだってなれた筈だ。


 だが、彼女はこう話している。


「いえ、私は、そういうのは結構です。

 私を取り立てる位なら、他の方にチャンスをあげて下さい」


 無欲と言えば、無欲なのだろう。

 或いは、自分を過小評価しているとも言える。


 だと言うのに彼女は何故――あれほど〝大それた真似〟をしたのか?

 何で彼女は最期の瞬間まで、彼女足り得た?


 実の所――その理由は彼女自身もまだ分かっていない。


     1 はじまり


「カナデは――またその本を読んでいるの?」


 侍女仲間であるマルン・ペイに声を掛けられた時、彼女はまだその本に目を向けていた。

 洗濯で忙しい筈のマルンは、只の気まぐれで彼女を気にかけたのだ。


 彼女こと――カナデ・プラームは漸く顔を上げる。


「ええ。何しろ時間が余ってしまって。

 既に二万五千回は読んでいるのですが、相変わらずこの本は私を魅了します」


「………」


 ……二万五千回、同じ本を読む。

 マルンは初め冗談だと思ったが、カナデなら本当にしかねないと思い直す。

 

 マルンは溜息をつきながら、改めてカナデ・プラームを観察した。


 カナデ・プラームは、どうも和国民の血を引いているらしい。

 以前、彼女自身が〝母は和国の移民だ〟と話していた事があった。

 

 カナデという珍しい響きも、きっと和国が由来しているのだろう。

 その一方でカナデの容姿は、ワールデル人その物だ。

 

 瞳の色は緑で、背中に流した髪は鮮やかな黄金色である。

 肌の色も白く、ワールデル人の特徴をすべからず有していた。

 

 ただ、彼女の仕事着だけは別だ。カナデは、和服を仕事着に選んだのである。


 他の侍女達がメイド姿であるのに対し、カナデだけは和服なのだ。

 けれど、茶色という地味な色の和服姿が、カナデを悪目立ちさせない。


 寧ろ控えめなカナデは、完全に周囲に溶け込んでいる。

 但しカエデ・プラームは、並はずれた美貌の持ち主だ。


 目立つタイプの美人ではないが、その容姿はどこか儚げで人目をひく。

 可憐という表現がしっくりくる彼女は、だから隠れファンが多かった。


 なぜカナデを隠れて支持しなければならないかと言えば、これも時代の所為だろう。

 身分制度が絶対だったこの時代では、とにかく王侯貴族がもてはやされる。


 その王族や貴族を差し置いて、ただの侍女に人気があるなどありえない。

 その事が発覚すればファンは勿論、カナデにさえイチャモンがつけられるかもしれない。


 そういう事を弁えている下々の者達は、表立ってカナデの美貌を称賛する事はなかった。


(でも、この子って、確かに美人なのよねー)


 マルンの心証でも、カナデはどこか儚げな感じがする。

 幽霊、または妖精とさえ称せる程にカナデは浮世離れしているのだ。

 

 これでは、深窓の令嬢である。

 いっそカナデが貴族の娘なら、男達も表立って彼女に熱を上げられるだろう。

 

 マルンはそう思いながら、苦笑めいた物をみせた。


「んん? どうかしましたか、マルン?」


 微笑みながら、はてと首を傾げる、カナデ。

 マルンは、首を横に振る。


「いえ。

 カナデは、暇な時間があっていいなと思って」


 普通、侍女達に暇な時間などない。

 朝から晩までやる事が決められていて、その仕事を熟す為に走り回っているのが彼女達だ。

 

 現にマルン・ペイも朝から晩まで、洗濯の作業に追われていた。

 何しろ城中の洗濯物を、たった十人で処理しなければならない。

 

 城に住む者達の数は、優に三百名を超える。

 その全ての洗濯物を洗って干し、取り込んでは畳むのがマルン達の役割だ。

 

 マルン達はその作業だけで、一日を潰していた。

 無論、食事や睡眠をとる時間ぐらいは与えられているが、忙しい事に変わりはない。


 だというのに、カナデと言う少女は本を読んで時間を潰す暇がある。

 マルンがその事を羨んでも、自然な流れだろう。


「はぁ。マルンは、面白い事を言いますね。

 暇な時間がいいとか、私としては困惑するばかりです」


「………」


 ……いや、まず面白がっているのか、困惑しているのかハッキリしてもらいたい。


「正直、私としては暇な時間程、退屈な物はありません。

 常に何かをしていなければ、落ち着かないのです。

 ですが、私達に与えられた娯楽と言えば読書ぐらいでしょう?

 そう考えると私が読書に耽るのも当然と言えます。

 ……あ、いえ、これは些か無神経な言い草でしたね。

 マルン達は、今も仕事に追われているのだから」

 

 今度はカナデが苦笑すると、マルンは呆れる様に返答した。


「まー、そうね。

 無神経というか、自慢ともとれる話だわ。

 でも、いいの。

 ぶっちゃけ、私はカナデの様になりたいとは思わないから。

 だってアナタの人生って――只の地獄じゃない」


 カナデ・プラームの人生は、地獄。

 少なくとも、一般的な感覚では、そうだった。


 実際、漸くカナデにも仕事が回ってくる。


「遅くなってすまん、カナデ。

 この案件の草案を、うまい具合に代筆してもらいたい。

 いや、今更君にこんな注文をつける必要はない、か」


 草案が書かれた紙の束を、若い執事が机に置く。

 廊下の端に机と椅子を置いて、そこで仕事をしているカナデは、もう一度微笑んだ。


「了解いたしました。

 三十分以内に、済ませておきます」


「………」


 やはりこれは地獄の様だと、マルン・ペイは感じる。

 何しろカナデが代筆を頼まれた案件は――千以上に及ぶ。


 一つの紙に一つの案件を代筆したとしても、千ページに及ぶのだ。

 カナデはそれを、三十分以内に終わらせると言った。


 マルンにしてみれば、己のキャパシティを遥かに上回る仕事量だ。

 マルンでは過労死決定とも言える、過酷な作業である。


 千の熱意で取り組まなければ――マルン・ペイはこの仕事を果たせない。

 しかしカナデ・プラームは一の熱意だけで――この代筆を熟せると言う。


 実際、カナデに時間的余裕があるのは、その為だ。

 機密文書の草案を書く部署より、カナデの仕事の方が早い。

 

 草案を行う部署が次の仕事を終える間、カナデは暇となる。

 その時間を使って、カナデは例の本を何度も何度も読み返していた。


 それは地獄と言えば、地獄なのだろう。

 少なくとも自分がなすべき仕事ではないと思い――マルン・ペイは静かにその場を離れた。


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