第3話 書斎机の嘆き
私はどうやら、作家という人種に縁があるらしい。書斎机だから当然ではあるが、生まれてこのかた、役人や商人に使われるより、物書きに使われることがほとんどだった。
若い頃はインク壺を倒されて真っ黒になったこともあるし、万年筆のくすぐったさには身悶えしたものだ。そのあとはタイプライター。あのかしましい音に慣れたと思ったら、今では平べったいコンピューターとやらが私の上に鎮座するようになった。人間がものを書く道具は、私とは違って日々進化しているらしい。
そういえば今回の引っ越しは突然だった。あるじは昔のように古道具屋を介さず、私の写真を撮るとインターネットという市場に陳列したのである。するとすぐさま買い手がつき、私は宅配業者によって新しいあるじのもとへ届けられた。
私の体は引き出しが二つ付いているだけのシンプルなもので、表面には傷も多いため、二束三文で取引された。寒空で一日客を待つつらさはないが、どうにもお手軽で拍子抜けしたものである。
新しいあるじは大学を出たばかりのような坊っちゃん風の男だった。ひとり暮らしにしては広いアパートで、親の財力を想像させる。棚や椅子にもアンティークの趣味が見て取れた。
彼は窓際に私を置き、小型のコンピューターを乗せ、ついでに古風なペン立てや古書なども飾って満足げに頷いた。作家の卵かも知れないが、どうも形から入るタイプらしい。そういう意味では私を選んだのは間違いではない。
男は私の前に座ると、コンピューターの蓋を開いてさっそく何か書き始めた。
物書きは時間がかかる。前のあるじも一生懸命何か書いていたが、どうもモノにならないらしく途中でエタるのを何度も見た。この言葉は最近覚えたもので、作家が行き詰まると私はよくこの言葉で激励したものだ。「頑張れ、エタるな!」という風にね。
この若い男も、二言三言書いたぐらいで手を止めてしまった。彼も同じか。やはり文章をひねり出すのは苦労するらしい。
私が静かに励まそうとした、そのときである。
画面にずらずらと大量の文章が浮かび上がったのだ。ざっと見た限り十ページ分はあるだろうか。私は仰天した。何しろこの男は二言三言しか文字盤を打っていない。どうしてこんなことがあり得るだろう。彼は魔法使いか? どんな魔法を使えば十ページに及ぶ文章が瞬く間に書きあげられるのだ?
男は画面に目を走らせると満面の笑みを浮かべた。
「すげえな、さすがAI。完璧じゃん」
何だって? また私の知らない言葉だ。
彼はさらに何か書き込み、右手に持ったネズミ型の機械でカチリと音を立てた。ものの数分のうちに、またもや大量の文章が画面に出現した。
「おお、イイねこの展開。マジAI最高!」
私は合点した。コンピューターの中にはAIなる影武者が潜んでいて、この作家の代わりに文章を繰り出しているのだ。その証拠に、画面上には「AI小説の簡単な書き方」という文句が躍っている。もはや彼が作家なのではない、AIという姿の見えない化け物だ。
あるじはこんな風にして次々と作品を書き上げては自信満々で頷き、どこかの出版社へと送った。ほんのいくつかのキーワードを文字盤に叩き込むだけで画面に吐き出される物語をあたかも自分の創作のように。
私は苦い思いで彼を見つめていた。書けないつらさを目の当たりにしていた昔とは別の苦みであった。
かつてのあるじたちは決して成功した作家ではない。だが少なくとも彼らは自分の言葉を、自分の物語を生み出そうとしていた。たったひとつの形容詞を探し当てるために、私の上に肘をついて何時間も頭を抱える姿を見てきた。憑りつかれたようにペンを走らせる熱量が原稿用紙を通して伝わってきた。タイプライターは作家のバロメーターであり、かしましく文字盤を打つ音は私の喜びだった。
それがなんだ。インターネットという実体のない世界から拾ってきた言葉で、誰かが先に書いた物語をつぎはぎして形を変えただけの小説など、私に言わせれば張りぼての中古品だ。見てごらん、二行目のフレーズはあの作家、三段落目の文はごっそりあの話、ラストに至ってはあの作品の物まね。君はそれを分かっているのか。この物語とやらに君の心は、魂はあるのか。ええい、物言えぬこの体が口惜しい。
引き出しを震わせて歯ぎしりしていると、あるじの携帯が鳴った。うきうきと電話に出た彼の表情が、相手と話すうちに青ざめていく。
──盗作? いえ、とんでもない。僕が考えた話です。
──あ、いや、少しだけAIを使ったけど……全部じゃないし。
──そうですか……申し訳ありませんでした。
大きな溜息とともに恨みがましい目がこちらに向けられた。奇しくも画面にはこのようなニュースが浮かんでいた。
『議会、AIを使用した創作物の禁止法案を可決。取り締まり強化』
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