天国
リアニは深い闇の中にいた――。
それは彼女の怒り、悲しみ、失望が生み出した心の殻。
光一つ差し込まないその場所でリアニはただ一人縮こまって泣いていた。
「もう……誰も信じられない……」
その思いは自分の内にある真っ黒い感情をより濃くし、周りを囲う闇はより一層深くなっていく。
そして闇は泣き続けるリアニへ絶えず囁き続ける。
「私たちを騙していたあの魔女を許すな」
「あの魔女との思い出は全て偽物だ」
「私たちはいつも一人だ」
「私にすべて任せろ」
「私がお前に代わり、人と関わらないようにしてやる」
「そうすればお前はもう傷つくことは無い」
その闇の甘い囁きにリアニは身を任せ、一人まぶたを閉じる――。
「もう全部忘れて眠ってしまおう……」
*
リアニは一面が緑に覆われた草原に一人寝転んでいた――。
空からこの大地を照らす光はとても暖かく、そよぐ風はとても心地よい。
ここはまるで昔にお母さんが語ってくれた天国という場所のようだった。
お母さんが言うには「天国は全ての魂が行き着く先。死んでしまった者はみんなそこへ行き、魂が消滅するその瞬間までそこで穏やかに過ごす」のだそうだ。
「私は……死んじゃったのかな……?」
この広い大地でその問いに答えてくれるものは誰もいない。
耳に入ってくるのは、穏やかな風が草原を撫でる爽やかな音のみ。
その心地よい音は、リアニの心に安らぎを与えてくれる。
暖かさに包まれながら、彼女は再びまぶたを閉じる。
――不意に誰かが草原の中を歩く音が聞こえてくる。
リアニは目を開けて起き上がり、辺りを見渡す。
すると一人知らない男性が近づいてきて、優しく声をかけてくる――。
「やぁ、こんにちは。ここはとても気持ちがいい場所だね。良ければ僕もご一緒してもいいかな?」
「だ、誰ですか……? 私はもう人と関わり合いたくないんです。一人にしてもらえますか?」
その男はリアニの反応を見てフフッと笑う。
それが気に障ったリアニは「何がおかしいんですか?」と腹を立てる。
「あぁごめんごめん。知り合いに似ていたものでつい、ね。僕は死んでここをさまよう魂の一つさ……」
「魂……じゃあここはやっぱり……?」
リアニは許可もなしに横に座る男から少し離れてから問いかけると、その男は優しく微笑んで答える。
「そう。ここは天国と呼ばれる場所だ。死んだ者はここでまったりと消える時を待つんだ……。僕はもう十年ぐらい前に死んじゃってね……ここで消えるのを待っているってわけさ……」
彼の発言に言葉を失ったリアニは、どう声を掛けたらいいか迷う。
彼はそんなリアニの様子を見て、少し胸が温かくなった。
「フフッ、大丈夫だよ。起こってしまったことはもうどうしようもない。大事なのはそれをどう受け止めるかだからね。残してしまった家族たちにはとても申し訳ないけれど……」
「家族がいたんですか……?」
「あぁ。大切な妻と娘、それにまだ生まれてもいない赤ん坊がね……。彼女たちにはとても悪いことをしてしまった……」
彼は残してきてしまった家族たちに、思いを馳せるように遠くを見つめる。
その表情はとても切なく、リアニは胸にグッと来てしまう。
「えっと……どんな家族だったんですか?」
「そうだなぁ……一緒にいてとても楽しい明るい家族だったよ。僕はいろんな研究をしてたんだけど、その研究が上手くいくことって少なくてさ……。娘は失敗した僕をいつも叱りに来たんだ。『もう! また失敗してる!』ってね」
彼は起こる娘の真似をしながら楽しそうにその家族の思い出を語っていく。
「妻は僕のことをなんでもわかっててくれて、いつも優しくさせてくれていたよ。ただ娘には甘いところもあったかな。僕が散らかしてしまった部屋をいつも黙って片付けてくれてて、何度も申し訳ないなって思ったよ……」
「優しくて明るい家族だったんですね……」
空を見上げた彼は小さく震える声で「……そうだね」と口にすると、ギュッと目を閉じる。
しばらくして彼はリアニの方へ顔を向けると、同じように彼もリアニの家族について聞いてきた。
「君の家族はどんな家族だったんだい?」
「私の家族は……お父さんはいなくて、お母さんと私。あともう一人、お母さんの子供だって言う人がいたけど、本当かどうかはわからないです……。お母さんはとっても優しくて、綺麗で、温かい人でした。お母さんが作るご飯はとっても美味しくて、気持ちがポカポカしてくるものでした……。でも……お母さんはもう……」
リアニはメルティスのことを語る内に彼女のことを思い出し、涙がこぼれてきてしまった。
「す、すまない! 辛いことを思い出させちゃったみたいだね……」
「大丈夫です……」
涙をぬぐい、鼻水をすすって、深く息を吸い込み吐き出す。
「……それで、もう一人お母さんの子だって言う人は、私やお母さん、それに……ちょっとの間一緒に暮らしていた魔女のお姉さんを傷つけた人です。あんな人が私の優しいお母さんから生まれたとは思えません……」
「そう……だね……。でも、もしかしたら本当のことかもしれないよ……?」
リアニはその発言に少し腹を立て、少し語彙が強くなる。
「そんなわけありません! あんな悪魔みたいな魔女が私のお姉ちゃんだなんて嫌です!」
「ははは……申し訳ない。気分を損ねてしまったみたいだね……。ただ……カリスは悪魔みたいな魔女なんかじゃないよ……」
リアニは彼の言葉を聞いてキョトンとする。
彼にはその悪魔みたいな魔女の名前までは伝えていないのにも関わらず、その名で読んで見せたからだ。
「ど、どうして……カリスの名前を知っているんですか……?」
「あぁ……隠そうと思ってたのに、つい口が滑ってしまったな……。では改めて、僕はクロニス。メルティスの夫であり、カリスの父親であり……リアニ、君の父親でもある」
衝撃と共にそよ風が頬を撫でる。
信じられなかった――。
リアニは母親の名前や自分の名前もその男には伝えていない。
だが目の前にいる男は確かに自分の名前とカリスの名前、そしてメルティスの名前を口にした。
その上で、自分のことを父親だと名乗った。
「うそ……」
「ほんとだよ、リアニ。今までずっと一緒にいてやれなくてすまなかったな……」
リアニはクロニスの元へ駆けだして思いっきり抱きつくと、大声をあげて泣き出した。
「おとうさん……ほんとに……おとうさんなの……?」
「あぁ……。こんなに立派に育ってくれたのはきっと、メルのおかげだな……。ありがとう、リアニ。ここまで元気でいてくれて……」
クロニスはリアニの背中を「よしよし……」と丁寧に撫でてあやしてやる。
リアニは彼の腕の中で、初めて受ける父親の言葉を聞きながら涙をこぼす――。
空で輝く太陽は、二人の出会いを祝うように、明るく二人を照らした――。
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