融解

 「ごちそうさまでした」


 二人はビーフシチューを食べ終わると、そこにミシェルがやってくる。


 閉店時間が近いようで、店の中に残っている客は二人を除いていなかった。


 「わぁ、きれいに食べてくれてありがとう、リアニちゃん! どう? うちのシチューおいしかった?」


 「うん。すごくおいしかった。心も体もあったかくなったよ」


 「ありがとう! そう言ってもらえてうれしいよ~!」


 リアニの言葉にミシェルは飛び跳ねながら喜ぶ。


 その姿を見て、リアニの顔にも自然と笑みを浮かべる。


 「もうそろそろ閉店だね。私たちもそろそろ帰るよ」


 ストラはそう言って立ち上がると、リアニも頷き席を立つ。


 「えぇ~……。別にもうちょっといてくれてもいいんですよぉ……?」


 「ごめんね、エルちゃん。そうしたいのは山々なんだけど、もう夜も遅くなってきちゃったし、それに片付けの邪魔になっちゃ悪いし……ね?」


 ミシェルはまだ全然喋り足りないようで、頬を膨らませ駄々をこねる。


 キッチンにいたミシェルの父がその様子に気づくと、キッチンから出てきて「エル、お客様を困らせるんじゃない」と諭す。


 渋々、父の言うことを聞いたミシェルは二人の会計を済ませる。


 「ごめんね。今度は時間あるときにゆっくりしていくから」


 「うぅ~……絶対ですよ! 絶対にまた来てくださいね!」


 ミシェルの圧に気圧されて、ストラは思わず苦笑いをする。


 リアニは店を出る際に振り返ってミシェルに手を振り「またね」と挨拶をする。


 あまりにもその姿が可愛かったのかミシェルは悶えながら大きく手を振り返す。


 「「ありがとうございました!」」


 声の揃ったミシェルと彼女の父の声は、二人を店から送り出した。




 二人は店を後にし、月明かりに照らされる大通りの道を歩く。


 夜も遅く、賑やかだったこの道はすっかり静まり返っている。


 「どうだった、初めてのミルクヴァットは?」


 「楽しかった。いろんなものを見れたし、シチューもおいしかったし。エルちゃんとも仲良くなれた」


 リアニのほぐれた表情を見てストラは安堵する。


 涙ばかり見せていたその顔は、今は見る影もなく、幸せそうな明るい笑顔を咲かせている。


 ストラにはそれが堪らなく嬉しいのだ。




 この時間は正門の出入りを許されていないので、入ってきた扉へ向かう。


 (とは言っても、そもそも今日一日正門の出入りは許されていない)


 詰所にいる警備に扉を開けてもらい、町の外へ出て小屋へと歩いて帰る。


 その途中、正門前を通ると、そこには今日一日中、中へ入れるようにと抗議をしていた人達が休んでいた。


 その人数は今朝よりも少なくなってはいたが、まだまだ多くの人間がこの場に残っているようだった。


 ストラはこの場にいる女性の何人かを注意深く見るも、首を横に振り、再びリアニと手を繋いで歩き始める。


 「あの人達に言われたやつ?」


 「そう。でもこの場にいるとは思えないかな……。いたらとっくに姿を変えて暴れているはずだし」


 スタスタと歩くストラに手を引かれながら、リアニは振り返ってもう一度彼らを見る。


 彼らの表情は疲れ切って、不安に苛まれたものばかりで、町中の雰囲気とは全く異なるものだった。


 リアニの心はチクリと小さなとげが刺さったような痛みを感じた。




   *




 ――何もない砂原を一つの人影がさまよう。




 よたよたと歩くその影は、また別の一回り大きな影に襲われる。




 しかしその人影は襲われる瞬間、襲い掛かる影よりも大きな影となる。




 人影だったものは、襲い掛かる影を振りのけると、逆にその頭へとかぶりつく。




 しばらく激しい抵抗を見せるも、その影はやがて動かなくなり、最後は塵となって消えた。




 その消える様を見届けた大きな影は、再び人影へ戻ると、口元を抑えてうずくまる。




 「……アァ……ニン……ゲン……。ニン……ゲン……ワ……」




 しばらく唸り続けたそれは立ち上がると、再び何もない砂原を歩き始める。




 ――彼の口元と腕は真っ赤に染まっていた。




   *




 朝日が窓から差し込み、小さなベッドに向かい合わせで眠る二人の顔を照らす。


 リアニは窓を背にして寝ているためか、そこまで強い刺激は受けていないようだが、一方でストラは窓へ体を向けていたため、その朝日をもろに受ける。


 眩しい日差しに叩き起こされ、少し不満げな顔をしながら起き上がると、隣で眠るリアニの頭を少し撫でてやる。


 その可愛らしい寝顔を見て機嫌を直したストラは、そっとベッドから降りて小屋の外へ出て思い切り伸びをする。


 大きく息を吸い、朝露で少し潤った爽やかな空気を全身に送り込む。


 「ふぅ~……。いい天気ねぇ……。さて……!」


 ストラはいつものように、魔力で濡らした布で顔を拭き、寝間着を脱いで部屋着に着替える。


 昨日買った食材を整理すると、朝食の用意を始める。


 完成したとき、その匂いにつられてか、寝室の扉がゆっくりと開く。


 起きたばかりで目がしっかりと開いていないリアニは、サイズの全く合っていないダボダボの寝間着を引きずって匂いの元へ歩いてくる。


 「おはようリアニちゃん。よく寝れた?」


 「ぅん……。おはよぉ……お姉さん……」


 ペタペタと歩いてきたリアニは席着くと、ストラに顔を優しく拭かれる。


 拭き終わったその顔は、どこか寝ぼけながらも夢の世界からは抜け出したようだった。


 二人は朝食を取り始めると、昨日買い忘れた物について話し出す。


 「リアニちゃんの服がないの忘れてたね。また今日町に行って買いに行こっか」


 「うん、エルのお店も行きたい」


 リアニはすっかりミシェルの事を気に入ったようで、帰りの道中もずっと彼女の事について話していた。


 今まで同年代の子とはあまり触れあってこなかったリアニには、彼女との会話はとても新鮮なものだったようで、たった二言三言しか話していないのにも関わらず、その一瞬一瞬をとても鮮明に覚えているようだった。


 ストラはそのことを喜ぶ半面、ちょっぴり悔しくもあった。




 ストラは自分が着なくなった小さい服を、リアニのサイズに合うように切って調節する。


 若干不自然になってしまったが、上からショールをかけて誤魔化して町へ向かう。


 正門前は昨日の夜よりさらに人が減って、百はいたであろう人の数は、十数人まで減っていた。


 その様子を尻目に、昨日と同じ扉を目指す。


 今日立っていた門番は、昨日立っていたガリンドという男性ではなかった。


 「久しぶりスレインさん。ご家族の調子は大丈夫?」


 「これはストラ様! お気遣いありがとうございます! おかげ様で段々と調子がよくなってきてますよ! 今度しっかりとお礼をさせていただきますね。それでこちらの子が噂の……?」


 「そう、大体昨日の人達から聞いてるみたいでよかった。この子がリアニちゃんね」


 スレインと呼ばれたその男の門番は、ストラからリアニの紹介を受けると、腰を落として目線を彼女に合わせる。


 「初めましてリアニちゃん。僕はスレインと言います。まあ覚えられなかったら門番さんで大丈夫ですよ。よろしくお願いしますね」


 「リ、リアニです。よろしくお願いします」


 リアニは未だにどこかぎこちない振る舞いではあるものの、今度は隠れずに挨拶を交わすことができた。


 スレインはその挨拶に笑顔で返すと、立ち上がってストラに向き直る。


 「本日は昨日と同じご用件で?」


 「そう。昨日買い忘れちゃったものがいくつかあるから」


 「わかりました。では中に入った後いつものように詰所にも用件をお伝えください」


 そう言うとスレインは扉を開け二人を中に入れようとする。


 ――その瞬間、突然ストラは振り返り、一本の木を見つめる。


 リアニとスレインは驚きのあまり固まってしまうが、やがてスレインが声をかける。


 「ストラ様……? 何かございましたか……?」


 「いや……。私の気のせいだったみたい。気にしないで」


 ストラは何もなかったと笑顔で伝えるが、その笑顔はどこかぎこちないものだった――。

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