希望の魔女と終焉の魔女
霖
邂逅
荒れ果てた大地。渇ききった河。所構わず徘徊する異形の化け物。それに怯えながら細々と暮らす人々。
高台からその様子を窺っていた彼女は静かに嘆く――。
「ここも、地獄のようね……」
突然現れた異形の化け物に人類は成す術もなく、世界は奪われた――。
*
「じゃあ行ってくるね」
一人の少女リアニは、血の滲む包帯を足に巻いた母親に手を振り、住処にしている洞穴を出る。
「ごめんね、一緒に行けなくて。気を付けていってらっしゃい。無理しちゃだめよ」
「わかってるよ、大丈夫。お母さんこそ無理して動き回らないでね」
洞穴を出た彼女は、周囲の状況を確認しつつ自分と母親の分の水と食料、そして包帯の代わりになるものを求めて山を下る。
下った先には、半径およそ五百メートルを枯れ木を削って作られた壁に囲まれた小さな村がある。
その村には数十人の人が暮らし、畑が整備され、村の中心には井戸がある。
この荒廃した世界では珍しく整った村で、彼女たちは外の情報を伝える代わりに、いつも水や食料を恵んでもらっている。
命を懸けることで得られるその情報は、村の存続に欠かせないもの。故に村にとってその情報には、親と子の2人分の水と食料、その他日用品の何倍もの価値のあるものとなる。村は彼女たちのおかげで存続できているといっても過言ではない。
「おつかれさまです、門番さん」
見張り台に立つ人に手を振り扉を開けてもらう。
「リアニちゃんか! 元気にしていたかい?」
門番は扉を開けるように係に指示し、扉を開ける。
「私は元気だったよ。でもお母さんが足を怪我しちゃって……」
「そうだったのか……。それで今日は一人でここまで来たのか。偉いね!」
開けられた扉はリアニがギリギリ通れるほどの幅で、するりと通り抜けると扉はすぐに閉められた。
門番は村外からの来訪者に合わせて門を開き、通り抜けたことを確認した瞬間に急いでその門を閉じる。
いつ襲い掛かってくるかわからない化け物たちという脅威への対策の一つであり、その仕事には来訪者を含め、村の人全員の命がかかっていると言っても過言ではない、非常に重要な仕事でもある。
「ありがとう、門番さん。お仕事頑張ってくださいね!」
リアニは門番にぺこりとお辞儀をし、村の中央にあるひときわ大きな家を目指す。
その最中、村の人々に声を掛けられる。
彼女とその母親は村の外で暮らす珍しい人間、共に有名人なのである。一度彼女たちが村を訪ねれば、注目の的となり話し込んでしまう。
用事が済む頃には日が暮れ始めている、なんてことも珍しくない。
しかし、怪我をした母親の元へ一刻も早く帰りたかった彼女は、「ごめんなさい」と話しかけてくる人、一人一人に丁寧に謝りながら急いで目的地を目指す。
目的の家にたどり着き、その戸をコンコンと叩く。ガラガラと音を立て引き戸が開き、中から出てきたのは齢八十は超えているであろう高齢の男性だ。
「あぁ、やっぱりリアニちゃんじゃったか、元気じゃったかの? 急に外が騒がしくなったから、もしかしてと思っていたところじゃよ。さぁ入った入った」
「元気だったよ、村長も元気そうだね。じゃあお邪魔しまぁす」
家の中は外見から想像もできないほど殺風景。
家に入ってすぐ右手に、井戸から汲んできた水の入った木のバケツ。
囲炉裏の傍らに薄汚れた敷布団、そして棚が一つあり何冊か書物が入っている程度で、あとは無駄に広いスペースが余っているのみ。
どれだけ大きな家に住もうとも、その生活はお世辞にも贅沢とは言えない。
この世界を生き抜くためには、贅沢で豪華な一日を生きるのではなく、粗末で必要最低限の暮らしを一か月続けることの方が重要なのである。
村長は靴を脱ぎ、囲炉裏の傍に腰を下ろす。リアニも続いて反対側へ腰を下ろし囲炉裏の奥の村長と顔を合わせる。すると村長は違和感に気づきリアニに尋ねる。
「ん?そういえばお母さんはどうした? 一緒じゃないのかい?」
「お母さんは足を怪我しちゃったから、おうちで待っててもらってるの」
「そうじゃったのか……。大変じゃったのぉ……」
彼女に同情するが、なんともないと首を横に振っている。
彼女がたった一人でここまで来たこと、そして10歳とは思えない彼女の逞しさに驚きを感じながら、沸かしたお茶を飲み、一呼吸おいてから彼女に本題を尋ねる。
「外の様子は確認できたかのぉ?」
「うん。なんか化け物の数が少なくなってる気がする、見かけなかったわけじゃないけど。少なくなっているというより、化け物たちが移動している感じかも。村の南側に向かうやつを何匹か見たよ」
それを聞き村長は持っていた湯呑を置き、唸りながらあごに手を添える。
これは村長が深く考え込むときの癖で、これをしているときには彼に何を言っても反応しなくなる。
村長とは5年ほどの付き合いにもなるリアニは、彼の考えがまとまるまで静かにお茶をすすりながら待つことにしている。
しばらくして、村長はおもむろに顔を上げ、リアニに問いかける。
「……化け物以外に何か変わったものは見なかったかのぉ? 例えば――フードを被って黒いローブに身を包んだ人影とか」
村長は何か思い当たる節があるようで、かなり具体的な例を挙げてきた。どうやら、最近リアニ以外にもこの村を訪れた者がいるようだ。
リアニの記憶では、この村の周りで暮らす人間は彼女とその母親以外にはいない。
もちろんすべてを見てきたわけではないので、自分たちの目の届かないところに暮らしていた人間がいる可能性がないわけではない。
しかし洞穴が使えなくなった場合を想定し、母親と別の住処になり得る場所を探し回った経験があるからこそ、その可能性は全くないと否定している。
「いや、見たことないよ。そもそもこの辺りで村の外で暮らしてる人間なんて、私とお母さん以外には――」
不意に大きな物音と共に外が騒がしくなった。
リアニは一瞬、お母さんが無理して山から下りてきたのかと思ったが、外から届く声は来訪者を歓迎しているものとはとても思えないものであった。
様子を見るために戸を開ける。
――そこには信じられない光景が広がっていた。
さきほどリアニが通り抜けた村の入り口は無惨にも破壊され、村を囲む木の壁は炎の壁に変えられている。
入口に近かった家の何軒かは化け物に破壊され跡形もなくなっている。村の人々は恐怖と混乱で悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
「な、なにこれ……。なんであいつらが……」
リアニは自分が見ているものを受け入れたくなかった。
ついさきほどまで笑顔が交わされる活発な通りだったものが、今は悲鳴と涙が飛び交う地獄に変わっている。
この世界の脅威を忘れさせてくれる平和な村は、地獄を思い出させるかのように容赦なくその餌食となる。
この村を世界の本来の姿に戻さんとする化け物たちは逃げ惑う人間に襲い掛かり、その体を満足そうに食らいつくす。
――不意に体を大きく揺さぶられる。
「リアニちゃん! しっかりせぇ! 早くお母さんのところへ帰るんじゃ! 君たちは村の恩人なんじゃ! 絶対にここで死んではならん! いざとなれば村人全員を盾にしてでも逃げて、生き残るんじゃ!」
村長の大声にハッとする。
「そ、村長はどうするの……? 一緒に逃げようよ!」
「わしは皆が逃げる時間を稼ぐ! 気にせず行け!」
村長に気圧され、言われるがまま化け物たちから離れるために、入ってきた扉の反対側へ全力で逃げる。
(反対側にも扉はある。そこから脱出できれば……)
しかしすぐにその考えは間違っていると思い知らされる。
村を囲む壁が燃やされているため扉も崩れ、炎の障壁となり脱出は極めて困難。
無理をして通ったところで、火だるまになって灰になるのが落ちであることは容易に想像がつく。
村人たちも同じ考えだったのか、その現実に打ちひしがれ、絶望し、何人かは膝から崩れ落ちている。
地獄を目の当たりにしても、彼女はなぜか冷静であった。
(こうなっている以上、村から脱出できるところは化け物たちが入ってきたところしかない……)
平和な村で何にも怯えずに暮らしてきた人たちとは違い、彼女はこの世界の残酷さを知っている。
だからこそ状況を見極め冷静に行動できたのだろう。
村は現在、四方を炎で囲われており、村の中央あたりまで化け物たちが入り込んでいる。
リアニは化け物たちに見つからないように、炎の壁に沿って慎重に反対側への移動を試みる。
幸いというべきか化け物たちは村の人間を襲うことに夢中で、村の端を移動する彼女には気づきもしなかった。
炎から上がった火の粉で何か所かやけどをした程度で済んだ。お世話になった村人を見捨てている罪悪感に涙が止まらなかった。
――このまま順調にいけば脱出できると、そう思っていた。
化け物たちが入ってきた後に火をつけられたのだろう。そこに炎の壁はなく、難なく通り抜けられるように見えた。
しかしそこには炎の壁の代わりにフードを被り黒いローブを身にまとった人影があった。
その人は村の様子を窺っているように見えた。
(村長の話に出てきた人で間違いないと思うんだけど……。こんなところで何を……?)
リアニは恐る恐るその人に近づく。
するとその人は近づいてくる彼女に気づいたようで、フードを脱ぎその顔を彼女に見せる。
その瞬間、体が凍り付いたように動かなくなる。
「よくこの地獄から逃げ切ることができましたね、驚きました。この炎の壁伝いに来たんですね。まだ幼いようですが、あなたはなかなか勇気がありますね」
フードを脱いだ黒いローブの女は、この地獄に似合わない笑みを浮かべ、凄い凄いと手をパチパチ叩きリアニを称賛する。
彼女のその不気味な笑み、そして彼女から放たれる強大なプレッシャーを受け、リアニは目の前の女が村に化け物を仕向けたのだと悟った。
下手に刺激しないように、穏便にこの場を離れられるように方法を考える。ただ今までの出来事や目の前の存在への恐怖心で考えがまとまらない。
全身汗でぐっしょり濡れている。
この汗が炎の近くにいた熱さからかいた汗なのか、はたまた緊張から来る冷や汗なのか、判断がつかない。
体がうまく動かせない。声を出そうにもうまく口が動かず言葉にならない。
「……あ、あなたは……だ、だれ、ですか……?」
これがやっと口にできた言葉だった。
「フフッ、緊張しちゃってかわいいわね。あたしは――終焉の魔女よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます