雪のまとりょーしか。

一粒

すべてが。

いつからか?

どうしてか?

ある時から、すべてが自分である様に思える様になってしまった。。。

図体のデカイねーちゃんが、やたら邪魔なところにデンと突っ立っている。

(邪魔だよ。。。もっと、人の邪魔にならない所に居てくれりゃ~い~のに。。。)

一旦、心の中で、文句が吹き出し、毒づく。

イライラと(すげぇ~。邪魔。)と、悪たれ口を内心で吐き出し続け、少し経った所でハタとする。

(あれは。。。私か。。。)

(あの沙羅邪魔な姉ちゃんは、いつもの私なのかと。)

私からすると、一生懸命仕事をしているつもりだけれども。。。他の従業員からしたら、(邪魔?)

いつもの私は、邪魔なのかもしれない。。

いつもあの場所にいるのは私だし。。。

威風堂々とあの場に佇むのは、私だ。

デカイし、存在感があるし、威圧感?

(邪魔だ。)(邪魔?。。。)

(私。邪魔だった?。。。)


周りの様子を見て、寄るとか、そんな意識はさらさらにない。。。


他人に同じ様な感情を生み出させているのかもしれない。。。

そう思い出したら、恥ずかしくなった。

こんな思いを同僚はしていた?

そんな気はないよ。

ただ、仕事をこなすのに精一杯で。。。

(邪魔?。。。)


もし、私の目の前に、違う形の自分が現れて、

他の人が感じている私を表現してくれているとしたら。。。


『人の振り見て我が振り直せ』


あ~わ、成るなよ。

見ぐせぇ~から。

と、言う意味だと思っていた筈なのに、

いつからか、この意味が変わり始めてきた。


日本人は、もう既に、

生きている時からこの世の仕組みを知っていて、それが言葉として現れていると、耳にする。


『人の振り見て我が振り直せ』

人が鏡であり、

目に写るものすべてが自分である。

神が何を伝えたいかを知るには、

自分に意識させられる「それ」を、

深く考えれば良い。



人に意識を向けたところが自分であり、

良ければ、尚更磨き、悪ければ変わる事を意識し始めよ。

これが、今の私のこの言葉の意識。

『人の振り見て我が振り直せ』


自分の目に入るものが自分であり、

鏡であるとしたら、

「私はなんの為に生まれてきたの?」

生きている間に幾度となく発した言葉に、

答えが生まれる。


「自分がどのようであるかを知るために、

あらゆる違うものを存在させて、

自らを知るための空間に存在させた。」


周りが見臭いなら、自分自身がそうである。

周りが美しい世界なら、自分自身がそうである。


これが、昨今出来てきた、わたしの回答。

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