地下鉄

コナトゥス

 金田は電車に乗った。乗った駅からは地上を走る電車だが、途中から地下鉄になる電車だ。地上を走っているうちは、少しでも外が見えるのがまだしも息抜きになる。毎日代わり映えのしない風景だが、それでも外が見えない地下鉄よりも、外の見える地上の電車の区間を金田は好む。  


 電車の設計は、国民の平均サイズにのっとって作られている。よって、背の高い人は外の空は見えないのかもしれない。高身長では、電車の窓枠の上限よりも目線が上にくるので、外は見えにくいだろう。

「電車からの風景を見るという意味では、背が低いと景色がよく見えるという利点もあるのだ」

と金田は悦に入ることもある。 


 電車は毎日同じ時間に同じ車両のものに乗る。であるから、必然的に同じ人と隣になることが多い。その人と話したことはないが、降りる駅は知っている。向こうも金田のことは知っているはずだし、ワンオブ見知らぬ他人ではあるが、全く完全に知らない他人でもない。同じ駅の利用者が毎日いることで、少なからず金田に元気を与える部分はあるようだ。


 「その元気というのはつまるところ、”共感”というアダム・スミスも重要視した概念からきているのではなかろうか」

 と、経済学史をかじったことのある金田は考えている。同じ駅の同じホームの同じ時間に電車に乗る仕事に出かけていく人、外見上はみな普通にやっているのだ。その普通性をみると、金田の背筋はなぜだか伸びる。


 毎日電車に乗る金田だが、なぜ乗らなくてはならないか?仕事があるからだ。ではなぜ仕事をしなくてはいけないのか。当然のことながら、仕事をしないと生きていけないからだ。仕事をし、お金を稼ぎ、そのお金で衣食住を満たすことで生きている。当たり前のことすぎて、改めて考えることが少なくなってきたが、全ての起点はそこにある。


 朝、電車にのる金田は日経新聞を電子版で読み始める。電車で座れることはないが、立っていてもスマホをみるスペースぐらいはつくれる。立ちながらの通勤は、最初は辛いが、案外慣れてしまうものである。満員電車で長時間立つ筋肉というものが、自然とつくのだ。この筋肉はジムではつくれないものだ。それに、何か聴くなり、読むなり、見るなど、何か集中できるものがあると、通勤時間といえども、時間はあっという間だ。


 毎日、電車にのっていると、ゆれの激しい区間がどこか、真っ直ぐで揺れない区間はどこなのか、はっきりとわかってくる。また、運転の上手い運転手と下手な運転手が明確に分かってくる。1駅の到着・発車を体験すれば、運転の良し悪しがわかるようにもなった。


 コロナ前よりも満員率がきつくなった電車といえども、フィジカルを鍛える場、情報をインプットする場、と捉えてみるのもよいだろう。下手な運転で体が大きく揺らされる場合は、よりフィジカルを鍛えられる、と好意的にとらえる。全ては捉え方なのかもしれない。


 日経新聞は10分弱ほどで読み終わる。紙面ビューワーでみるため、高速で読める。パラパラとめくって、気になる記事を読み、自分の企業の株価を読む。最後の「私の履歴書」も読む。


 電車が進むと、やがて地下鉄に入いる。地下鉄に入ると、あたりが暗くなる。昼なのか夜なのか外見上、わからなくなる。外で雨が降っていようが、雪が降ろうがわからなくなる。


 金田が勤務しているビルは、地下鉄の駅に直結している。そのためお昼どきに外に出ない限りは、帰り路の最寄り駅到着まで外気を吸わないこともよくある。


 金田は勤務先のビルの下にある駅に到着すると、決まってすることがある。ビルとは逆方向にあるカフェで15分ほどホットコーヒーを飲むのだ。逆方向なので、同じ会社の人と会うこともない。いつも少し早い時間に会社に向かっているので、時間調整の意味あいもあるが、金田にとってはかかせない習慣となった。時間がないときはいかないが、15分ほどの時間が取れれば向かうようにしている。


 カフェは小さめのこじゃれたスペースだ。同じ時間に行くので、だいたい同じ人がいることが多い。仕事前の時間は憂鬱になると言われるが、この憂鬱と、仕事時の緊張、退勤後の弛緩をむしろ楽しめるようになってきたのは、この習慣によるところが大きいのかもしれないと、金田は考えている。

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