[短編] The Chim-dren

ばやし せいず

第1話

 荒い息を繰り返し、老夫の背を必死に追う。

 階段の滑り止めとして敷かれている木材を踏みつけながら、私は自分の軽装を後悔し、そしてひどく恥じていた。


 決して軽い気持ちでこの地を訪れたわけではない。むしろ、「記者生命をかけてみせよう」という意気込みでいる。

 だから丁寧に髭を剃り、ジャケットに腕を通し、磨いた革靴を履いて東京から遥々やって来たのだ。「年上の取材相手にせめてもの礼節を」という思いとともに。


 まさかまさか、登山をさせられるとは思っていなかった。唯一登山者らしいアイテムは、己の頭にのせてきたバケットハットくらいだろうか。


「そんなんじゃ、日が暮れちまうよ!」


 老人が――清水さんが――私を振り返る。


「若いんだから、踏ん張らんか!」


 ジャージに身を包む好々爺の笑い声が、初秋を迎えた山の向こうまで響いていく。

 驚くことに、彼は九十を超えているという。



 清水さんも、鉄道会社の延伸計画に反対する地元住民の一人だった。


 私が記者として彼に取材を申し込んだのは一週間前である。

 その時、電話口でたしかに言われたのだ。

 事の発端となっている「煙突神社」は、地元の丘の上にある、と。


 しかし今、彼に案内されているのは、どう控えめに表現しても「丘」とは呼べない、立派な山の中だった。

 山道は傾斜もきつく、高い木々に囲まれていて、まだ午前中だというのに薄暗い。何度もぬかるみや石に足を取られそうになった。どこから熊が飛び出てくるかもわからない。


――知っていたら、もっと重装備できたのに。


 オフィスでも浮かないこの装いが、むしろ生半可な気持ちで取材にのぞんだと勘違いさせてはいないだろうか……。

 清水さんは服装についてなんら言及してこないのに、私は恥じらいを拭い去ることができなかった。





 そのうちにたどり着いたのは、太い杉の木の前だった。ベンチ代わりにちょうどいい長方形の石が置かれており、そこに二人並んで休憩することになった。


「若いんだから、いっぱい食べなさい」


 清水さんは手作りと思われる大きなおにぎりを三つ、リュックから出して渡してくれた。


「鮭と、昆布と、わかめだよ」

「清水さんは召し上がらないんですか」


 ラップを剥きながら尋ねたが、彼は首を横に振る。


「歯が無くて食べられねえの」


 彼は口を「い」と発音する時の形にした。

 黄ばんだ歯がドミノのように間隔を空けて立っている。指で押せばぽろんと倒れてしまいそうだ。


「家帰ってお粥か蒸しパンでも食べりゃいいんだから。食も細くなったしね」

「それなのにお丈夫なんですね」

「そのへんの若いのより丈夫よ。やっぱり、歩くのが一番だね。高知に住んでる娘には怒られんだけど、この山だって毎日登ってるよ」


 握り飯を私が完食するや否や、清水さんは立ち上がってまた歩き出してしまう。私もペットボトルにわずかに残った麦茶を口に含み、慌ててついていく。


 すでにへとへとの私とは打って変わって、十歩先を行く爺は疲れている様子を微塵にも見せない。それどころか山の中腹を過ぎ、私の顎が前にでるようになってから、さらに歩行速度が増したような気がする。

 私も職業柄よく歩いてきたつもりだったが、清水さんの健脚ぶりにはとても敵わなかった。


 山道の途中で、清水さんがふいに足を止めた。

 しかし太い杉も、見晴らしの良い景色も何もない。これまでと同じような山林が広がっているだけだ。


 そう思って首を傾げたのだが、よく見てみれば、二本の木に挟まれる形でほこらが置かれていた。大人の膝くらいの高さしかない、小さな石組だ。案内役がいなければ、きっと素通りしていただろう。


「着いたよ」


 清水さんはくたびれたタオルで汗を拭って祠を指す。私はつい「こんなところが?」と言いそうになり、言葉を飲み込んだ。

 煙突と呼ばれているはずだが、賽銭箱も鳥居も無い。

 しかしやはり誰かしら訪れているようで、子どもが好むような菓子の小袋や、しなびた蜜柑が石の上に置かれていた。


 清水さんはポリ袋を出し、慣れた手つきで供えものを回収していく。

 この場所をきれいに保つためには必要不可欠の行為である。それは若輩者である私にも理解できていたのだが、清水さんは「俺が片付けてやんなくちゃいけねえの」と言い訳するように説明した。


には、申し訳ねえけどさ」


 木々をくぐって吹く爽やかな風が、首筋の汗を乾かす。

 私は帽子のつばを両手で押さえた。

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