色なき魂は額縁を飛び越えた
長月瓦礫
第1話 油絵から現れ出た少年は
屋根裏部屋は無数のキャンバスが並んでいた。
壁にかけられた風景画はどれもこれも色とりどりで美しい。
色彩豊かな四季と自然が事細かく描かれている。
私はため息をついた。
芸術に興味はないくせに、画家の名前だけは無駄に覚えてしまった。
絵に隠された画家のサインを見つけては、どのくらいで売れるかと考えてしまう。
絵画も一種のアクセサリーでしかなく、ほとんど意味はない。
そんなことを考えるような奴に頼むべきじゃない。
「まったくもって嫌な奴だと思うよ。君だってそう思うだろう」
部屋の中心にある少年の絵に目をやった。
少年の絵だけは色がない。髪や目、服などすべてがモノクロで描かれていた。
革張りのイスに座った少年、色はないのに生気がないことだけがよく分かる。
「さて、どうしたものかね」
絵の中の少年は笑みを浮かべているものの、目が笑っていない。
変なことをしないかと、こちらを観察している。
お客様を見たことがないのだろうか。
「初めまして。私は魔界評議会幹部がひとり、『色欲』でございます……つったって分かるわけないか。リヴィオでいいよ」
母親やこの絵を描いた先生なら何か知っているかもしれないが、関係ないことだ。
新しくできた異世界を悪魔が統治していると言ったところで分かるわけがない。
それは、自分の息子を描く上で、必要ない情報だからである。
少なくとも、この絵においては記憶と絆で構成されているはずだからだ。
子どもの絵を描いてもらうのは分かる。
子どもが死ぬのは、仕方がないことだ。
画家と因果関係があるとは思えない。不幸が重なることはよくあることだ。
この家で最期を迎えたのはよかったのかもしれない。
親戚総出で見送ったらしいし、それも悪くないことだと思う。
案内された墓地も静かで穏やかな場所だった。
さて、死んだ息子の肖像画が苦しんでいるというのは、どういうことだろう。
母親によれば、この絵が苦しんでいるというのだ。
だから、なんとかして話を聞き出せないかと相談を持ち掛けられた。
苦しみから解放してほしいと、何を血迷ったのか悪魔を頼りやがった。
代価を支払えば何でもすると言ったのはどこのバカなのか、それすら分からない。
それさえ用意できれば、悪魔は何でもできると思われているらしい。
少なくとも、私はそんなこと一言も言ってないんだけど。
そんなことを言いふらすバカは徹底的に潰したつもりなんだけど。
一度、刷り込まれた記憶を変えるのは本当に難しい。
「……本当にウチの門下生がやったの? 悪趣味にもほどがあるな」
よりにもよって、芸術を値段で判断するような私が呼ばれてしまった。
画家の先生の先生ということで、私のことを紹介していたらしい。
魔法を一時期教えていたことはあったが、美術は教えてもらっていない。
むしろ、教わっていた。全っ然身につかなかったけど。
母親には芸術に対する知識はほとんどないこと、死者は呼び戻せないことを何度も何度も説明したうえで、了承を得た。正直、理解されているかは分からない。
私の話はほとんど耳に入っていなかったようだ。
契約書にも同じことは書いてあるから、心配はいらないと思う。
風が吹いて儲かった桶屋が吹聴して誰もが真似をした。
成功したヤツの足元に失敗したヤツの屍が山のように転がっている。
そんなところじゃなかろうかと思う。
少年は微笑んだまま、何も答えない。
「死にかけの奴に呼ばれる分にはいいんだよ。
こっちの仕組みを説明すれば理解してくれるし、この役目からも解放される。
残された時間はそう長くないし、大体が見放された奴ばかりだから。
道化でも何でもいい、真面目にやれば喜んでくれるんだ」
私もニケと何らかの形で関わることができたら、こんな意味の分からない話を持ち掛けられることもなかったのだろうか。
せっかく、紹介してくれたんだから、手紙の一つでも寄こせばいいのに。
「けど、君は死んだ子本人じゃない。ただの油絵なんだ。
私にはどうしようもできない」
これは物を言わないただの絵だ。
母親が病院に行ったほうがいいのではないだろうか。
似たような服を着ている私に言われたくはないと思うが、この絵は不気味だ。
色彩がないからか、その人そのものを否定されている気がする。
私だったら、この画家には依頼しないだろうな。
家族を白黒に描かれたくはない。
「こんなところに閉じ込められてたら、そりゃ苦しいに決まってるさ。
こんなに絵があったところで見えてないんだろ?」
少しだけうなずいた気がした。
「せっかく描いてもらったんだから、誰かと話をするのがいいんじゃないかな。
かなりため込んでいるみたいだし。自慢話でも天気でも何でもいい。
私以外の誰かと話すのがいいんじゃないかな。
外の空気を吸えば、気分もよくなると思うよ」
ああ、最初からこうすればよかったんだな。
適当にそれらしいことを言って、ごまかせばよかったんだ。
変に助言をするより、よほどいいかもしれない。
「とにかく、君が絵から出てこない限り、私には何も分からない。
そういうふうに言っておくよ。あまり聞いてもらえないだろうけどね。
ついでに、いい病院を紹介しておく。私を頼るよりよほど健全だと思うから」
背を向けたとき、背中に衝撃が走った。
振り返ると、少年が絵から飛び出していた。
絵は革張りのイスだけが残されていた。
「あなたは、あの人でも先生でもないの?」
少年は顔を上げ、少しだけ首をかしげた。
白黒の少年で足元の影は、がたがたでいびつな形をしている。
「先生?」
「僕を描いた人や! 病院の先生よりも話を聞いてくれたから、ニケも楽しかったみたい。僕も話してみたかったんやけど、絵だからできなかったんよね」
絵の中の少年が飛び出して、意思を持って動き始めた。
私はまだ何もしてないんだけど、どういうことだろう。
「先生がね、ニケ少年の真実を明かさなければならないから、僕が代わりに伝えてあげてって言ってたんや! 今から話すから聞いておいてほしいんやけど」
少年は早口でまくし立てる。
作品に余計な情報を入れていないと思っていた矢先にこれか。
「君の先生はずいぶんと趣味が悪いみたいだね。私は何も聞いてないんだけど」
「だって、僕たちしか知らん約束やしな!」
少年は地面に座り直す。私も向かい合う。
「君の先生はエンタメと嫌がらせの違いを分かっていないな。
人の不快感を煽るのは、嫌がらせ行為そのものだよ。
そんなふうに魔法を使えと教えた覚えもないしね!」
「そうなん? ニケは嫌がってなかったけどな」
モデルとなった息子とは交流はあったはずだ。
画家の先生は何を見たというのだろう。
「それでな、この魔法はたった一回しか使えないから、家族を騒がせるのにちょうどいいだろうって。ニケもうろうろしないならそれでいいって言ってたんや。
だから、すぐに使わないと絵に戻っちゃうの!」
「分かったから、落ち着いて。ちゃんと聞くからさ、待ってくれない?」
私は椅子を持ってきて、少年を座らせた。
絵から出てきた白黒の人間がそのまま動いている。
何を考えているんだ、本当に。
機嫌よさそうに笑っているが、人間にはない色彩を持っている。
非常に不気味だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます