第18話 球体関節人形
木曜日
「おはよう。最近肌が綺麗になったかい?」
夫が私の容姿を褒めるとは珍しい事もあるものだ。いや、褒めるには褒めるのだが、夫は美容関係にはめっぽう疎く、褒め方がどこかズレているのだ。そんな夫が私の肌の改善に気付くなんて一体何があった?
「おはよう。まさか律さんが気付くとは思わなかったけど。最近アトピーが改善したの。」
夫はちょっと笑って言う。
「心外だなあ。君の事はいつもちゃんと見てるよ。痛みや痒みが無くなったのは良かったね。」
この人はいつもマメに声かけてくれる癖に、髪を切っても気付かない様な人だから、今回の事は奇跡だとさえ思う。
「行ってくるよ。しんどくなったら休むんだよ?」
いつも夫は心配性だ。
「いってらっしゃい。」
素直に喜んでおけば良いものを我ながら可愛くない妻だとは思う。
しかし確かに、あの化粧水に変えてから皮膚の調子がすこぶる良い。その上明らかにシワシミたるみが減った。まさかあの化粧水にアンチエイジング効果があるとは。
さて、服について。とりあえず着られない服を全部布にした事をちょっと後悔している。
実は痩せた。というか、体重はそんな減っていないけれど、締まったというか?ちなみに自分では気付いていない様だけど夫様もちょっとだけ引き締まった。
これはもうハーブティー効果としか考えられない。
調子に乗って今日は薬草入りバスボムを作った。材料は重曹と、クエン酸と、そして薬草成分、少しの水。たったこれだけ。形を整えて少しだけ瓶に入れて脱衣所に置き、残りはアイテムボックスに収納した。
それから、お歳暮でもらって箱のまま物置部屋に積んであった石鹸に食用色素を使って宝石の原石みたいな形の石鹸も作った。
見た目が結構可愛くなったので、きちんとラッピングしたらインテリアとして売れそうだ。
私は石鹸を売れる資格持っていないから飾る専用なのだ。
異世界で石鹸チートはよくある話だけれど、日本で商売チートは無理だなと思った。
――――――
異世界はまたも雨である。
今日は球体関節人形の写真と寸法等、色々を調べてきた。
昔パート先で一緒だった人が写真を見せてくれたので存在は知っていた。スイートドールという精巧に作られた美しい人形に、自分好みのメイクをしたり、好きな服を着せて飾ったり撮影して愛でるのだ。
その人、
足しにとは言っていたがその実目的は金策ではなくて、イベントで趣味を共有する相手を見つけたり、自分が可愛いと思う服を作って広め、他のドールにも着てもらうといった趣旨にも思えた。
しかし、あれは高い。かわいいし実を言うと少し欲しいと思ったのだが、私などには絶対に買えない。いや、買ってはいけないものだ。
私は凝り性だから、買ってしまったらもう戻れなくなる。きっとめちゃくちゃハマると思うのだ。
実は私はあの時も
「かぁわいい!」
と年甲斐もなく素になって初ちゃんのスマホを手に取るところだったが何とか踏みとどまったのだ。本能的にこれはヤバいと思ったのだ。私が家事も寝食も忘れて服を作りつづける未来が見えて一瞬ゾッとした。
そうなれば夫にも愛想を尽かされ、たとえ一時的に初ちゃんと仲良くなれたとしても、私の本当の姿を見ればきっと離れていってしまうに決まっている。
生半可な覚悟と資金でおいそれと手出ししてはいけないジャンルであるのは分かった。その時は極力興味を持たないようにした。
結婚してからというもの私はこうして私を誘惑する危険な趣味は遠ざけて自制心を保ってきたのだ。
主婦は家庭が第一でなければならない、それは父親の教えだ。良妻賢母という言葉があるが、あれが私の最終目標だ。
私にはまだまだ程遠いのだが。
だが、かなり出来の良い衣装を作って売る事ができれば、パーツを買えるくらいには収入になるという事だから、ドールを買う事さえ鋼の心で我慢できるのならば、商売として成立するかも知れない。
私は人混みは好きではないので、人より少し安めにしてフリマサイトで売るつもりだ。
データを参考に木でマネキンを作った。
木で作ったニセモノだから顔を真似るのは自粛した。
あえて木目が綺麗に出る様にして、一目見て人形ではなくマネキンと分かるようにしてある。
「自分でドール服作っている人はちゃんと可愛くメイクした自分の子に着せて見本写真を撮って売ってるけどね…。私には分不相応だ。」
話は全く変わるが、実は私は若い頃お祭りのカラオケ大会に出るのが趣味だった。夫に勧められて初めて出たカラオケ大会で特別賞の景品を頂いたからだ。歌っている姿が楽しそうでこちらまで楽しくなれたという言葉をいただいた。他人から技術ではなく私個人を褒めて貰められたのは初めてで正直に嬉しかった。私は料理以外で人に認められた事に味を占めた。
あの頃は毎年よく色んな大会に出たものだ。優勝した事もある。祭りじゃない本物のカラオケ大会にも出た。ただ舞台に出て歌うだけとはいえ人前に立つのは怖かったから、当時は変装する為にウィッグを買い集めていた。
好きなアーティストがゲスト出演するというので、上手く歌えば鐘が鳴らされるあの大会にも出た。予選会場では舞台の下に長机が置かれてあり、そこで出場者は全員歌った後に簡単なアンケートを受け、コメントを求められた。歌を歌いに行っただけなのに、話すのが苦手な私はその時非常に困った経験をした。最後にそのアーティストが好きな理由を聞かれ、私はよほど妙なコメントをしたのだろう。スタッフがとても困った顔をしていたのは今も忘れられない。
結局は予選落ちし、私とは違って模範的なコメントをした子が私と同じ歌で本戦出場していた。大会を開催したテレビ局の大晦日に毎年あるとても有名な番組で初めてその歌手を見て感動したのだという。
私はそのアーティストをデビューの時からずっと好きだったので、その発想は全く無かった。主催側への忖度コメントを大好きなアーティストに聞かせる事がまさか正解だったとは。あるいはその子はテレビに出る為その選曲をしただけで、アーティストの事はたいして好きでもなかったのかも知れない。その子は私より上手くはなかった。
私はそれ以来カラオケ大会に出るのを一切やめてしまった。ただ好きな事をするのにそれ以外の能力が必要になるのは理不尽だと思ったからだ。私は時たまスナックでお世辞を言われながら歌をリクエストされるのがちょうど良い。
ともかくそうして残ったのはウィッグのコレクションである。十数年も前のものを未だ捨てられずにあまりに多いので実家に置いてもらっていて、放置されてあったものを引っ張り出して持ってきたのだ。一度も使わなかったものもたくさんある。
こういう何でも集めてしまう人間だから、ドールという沼には決してハマる訳にはいかないのだ。再度私は気を引き締めた。
箱に入ったままだったウィッグを浄化してからそれを素材にドールのウィッグを作った。錬金術で色素を抜いてから、涼やかなシルバーとブルーのグラデーションに。
これは売り物ではなくて、ヘッドセットだけだと寂しかったので作ったのだ。
試しにいくつかのドレスやお出かけ服を男女揃いで作って写真を撮る。
そしてそれとは別に女児服とお揃いの大人服も作りました。母娘セットと、父息子セット。ママの大人服がそのまま小さくなったみたいなオシャレ背伸び女児服。
売れるかどうか分からないお試しだから120のワンサイズのみ。
女児は可愛い。娘を着飾るのは憧れる。娘とお揃いを着るのが楽しくて頑張って若さを保ってるお母さんもきっと居るだろう。
私に娘は居ないから娘が居たらどんな気持ちだろうかと想像しながら楽しんで作った。
もちろん男の子もいくつになってもかわいいという事は間違いない。
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物語中の架空の会社です。
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