第2話 夜の高原に行こう
俺の娘のケイトはすくすくと大きくなっていった。この前まで乳を欲しがって泣くばかりだったのに、気がつけば這い回ることができるようになっていた。
「さすが旦那様の娘ですね、もうじき立ち上がってしまいます」
「何を言うんだ、フロンティアの家の運動神経のたまものだよ」
俺とマリィはケイトの成長を心から喜んだ。そして、もうひとつ喜ばしいことがあった。
ルディの祝言の日取りが正式に決まったのだ。相手は例のガレーさんの親戚の子だ。あれから何度か調整が行われて、いよいよその子がタウルス高原にやってきてくれることになった。これはめでたいと開拓団員たちは大盛り上がりで、内緒で進行していた俺の祝言と違って盛大に開催されることになった。
女性陣たちは花嫁衣装や新しい肩掛けを作るので連日盛り上がり、男性陣も新しく来る女の子に期待を寄せている。最初から人妻なんだけどな。
ただ、俺はいまひとつルディの結婚に関しては喜ぶことができなかった。ルディは俺とマリィを心から祝福してくれたというのに、俺はどうしてルディの結婚を喜ぶことができないんだろう。
***
そう思っているうちに月日は流れて、いよいよ明日がルディの祝言という日になってしまった。今頃ルディのお嫁さんはブルームホロウにいるのだろうか。明日は随分と綺麗になった登山道を通って、俺たちの住むタウルス高原にやってくる。住み慣れた街を離れてくるのは心細いだろう。それは俺もよく知っている感情だ。
明日は祝言ということで、マリィはケイトを寝かしつけて早めに床に入った。そして俺も眠らなければと横になるが、一向に眠気がやってこない。
……眠れない。
俺は立ち上がって上着を羽織ると、外へ出た。今の時期は風が穏やかで、結婚式にはもってこいの季節だ。今夜は風が吹かないだろう。
なんだか無性に、ルディの顔を見ておきたくなった。
俺はフロンティア家へ行き、ルディの寝床があるところの窓をそっと叩いた。するとすぐに窓が開き、ルディが顔を出す。こいつも眠れなかったんだな。
「こんな夜遅くにまだ起きていたのか?」
「それはお互い様だ」
ルディはすぐに支度をして出てきた。
「どこへ行くんだ?」
「とりあえず、誰もいないところへ」
ランプを持った俺とルディは集落を出て、何も言わずに高原の方へ歩いて行く。牛舎を横切り、牧場の柵を超えるとそこはまだ手つかずの自然が広がるタウルス高原だ。
「昔も、こうやって夜に高原に来たな」
ふと、俺はルディと仲良くなったあの日を思い出した。確かバッファローの群れを作るために、夜のうちに高原に出かけたんだっけ。
「あの頃はまだこんなに立派な牧場がなかったもんな」
「もちろん、牛だってこんなにいなかった」
「誰かが手から出さなきゃ、な」
俺とルディは顔を見合わせて、クスクスと笑った。
「この辺もすっかり立派になったな」
あの頃ただ平原が続いていただけの場所には、今はしっかりとした柵が立てられている。昼間はのんびりバッファローがくつろぎ、草を食んでいる。その隣には大きな牛舎が建てられ、夜間はそこでバッファローたちは風の心配をせず眠りにつく。
その隣には長毛種用の牛舎、牧場で使う道具の倉庫などが並んでいる。集落の方を見ると、建物も倍の数になったし大会館なんて二代目が造られている始末だ。
「あれから何年だ?」
「えーと……七年、か」
もう俺がタウルス高原に来て、随分と経つんだなと実感する。今でも変わらないのは、星の光くらいじゃないだろうか。
「いろいろあったな」
思えば、俺の開拓はルディと仲良くなったところから始まった。バッファローが俺から出てきたということを知っているのは今のところルディとウォレスさん、あとはこっそり秘密を教えたマリィだけだ。
最初はびっくりさせてしまったけれど、これからの連れ合いにこのことを隠し通せる自信がなかった。実際に子牛を出したらマリィもひとまず信じてくれた。そして、それでも俺のことを愛してくれると言ってくれた。嫌われるかもしれないと思っていたから、それには俺もほっとした。
しかしバッファローの秘密は打ち明けられたが、マリィにも俺は前世の記憶のことを言えないでいた。目の前で実践できるバッファローの出現ならともかく、いきなり「実は俺は違う世界からやってきた人間だ」なんて言ったらいよいよ頭のおかしな人になってしまう。手から牛が出る時点で相当ヤバいのだけど、前世の記憶なんて言い出したら俺はとうとうおしまいだ。
「そうだな」
俺とルディはどんどん高原の奥へ向かっていく。以前ルディに教えてもらった、赤い星が俺たちを見守っている。あの赤い星さえ見えていれば、俺たちはまた元の集落へ帰れるはずだ。
普段人が訪れない高原には、少し背が高い草が一面に生えていた。風の影響を受けないくらいの高さの草が、俺とルディの膝をくすぐる。
「次はいつ、こうやって来れるだろうか」
「別にいつでもいいんだけどな」
「そういうわけにも行くまい。お互いの奥さんに断ってからでないと」
「変に律儀だよな、お前」
俺とルディは笑った。星の光と高原の風、そして俺とルディの間の空気はあの頃とちっとも変わっていなかった。
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