第10章 俺たち友達だよな

第1話 親父っていいもんだなあ

 次の年、めでたくマリィは無事に女の子を出産した。万が一のことを考えて、マリィはもうじき生まれそうだという時期になってからミネルバと一緒にブルームホロウへ下っていた。


 いよいよ生まれるという知らせを受けて、俺は一気にブルームホロウまで馬を走らせた。工事が進んだ登山道は走りやすく、これが文明の力なのかと俺は道路工事監督のロックさんとヴァインバードの親父に感謝した。


 ミネルバから受け取って初めて抱いた俺の娘は柔らかくて、これが命の重さなのかと俺は泣きそうになった。小さくて、ふにゃふにゃで、今にも壊れてしまいそうな大切な命。どんな奴にもこんな時期があったなんて信じられないほど、赤ん坊は可愛らしかった。


 マリィは数日ブルームホロウで養生し、その後俺たちは高原に帰った。赤ん坊はマリィに似た栗色の髪が愛らしい。よく乳を飲んで、馬車に乗っている間はずっとマリィの腕の中で眠っていた。俺はこんなに素晴らしいものを抱えているんだぞと誇らしくて仕方なかった。意外と俺が幸せになるという目標が早く達成されてしまったかもしれない。


 タウルス高原に帰ってくると、皆が俺たちの赤ん坊を待ちわびていた。ランドさんは初孫の誕生に大喜びで、俺たちの帰りを今か今かと待ちわびていたそうだ。しばしもみくちゃにされてから、俺たちはようやく赤ん坊と小屋で落ち着くことができた。


「旦那様、赤ちゃんの名前は考えていますか?」

「もちろん。女の子なら、ケイトと名前をつけようと思っていた」


 ケイト、なら英語で女の子っぽい名前だろう? 毛糸じゃないからな!! この世界の毛糸とケイトは違うんだからな!


「ケイト……素敵な名前ですね!」


 マリィはケイトを抱きしめる。すると、ケイトがびっくりしてぐずり始めた。


「おおよしよし……おっぱいを飲みましょうね」


 マリィがすぐにケイトに乳を与える。うん、なんだかお母さんって感じがする。そうすると、俺はやっぱりお父さんになるんだな……どうにもしっくりこない。俺なんかがお父さんを名乗っていいんだろうか。


 いや、そういう考え方はやめるってこの前誓ったじゃないか。弱気でいじけていても仕方ない。俺ができることを誠実にやっていくと決めたのだから、やっていくしかない。


「じゃあ、僕はいなかった間の仕事の進み具合を確認してくるよ」


 俺は落ち着いたマリィを小屋に残して、工事の進捗具合を確認しに行く。牧場の方でも毛皮職人用の新しい建屋を作ることになり、その計画に追われているところだった。


「よう、お父さん!」


 牧場に行くと、ルディが待ち構えていた。なんだかからかわれているようで、なんともくすぐったいような、微妙な気分だ。


「お父さんはよしてくれよ、君と僕の仲だろう?」


 ルディは俺をじっと見て、静かに口を開いた。


「やっぱり、お前変わったな。マリィに赤ちゃんが出来たあたりから」

「そ、そんなことないだろう!? 僕は今まで通り、いつものエリクさ!」


 必死で誤魔化してみるけど、おそらくルディには通用しないだろう。でも、手から牛が出る以上に今の俺の状況をどうやって説明したらいいのか、さっぱりわからなかった。


「なんていうのか……親父の風格、というのとも違うんだよな。逆に少し子供っぽくなったというか、ガキ度が上がったというか……」


 ガキで悪かったな! どうせ前世の俺はコミュ障だったよ!!


「いい感じでお坊ちゃんっぽいところは抜けた気がするんだけど、どこかこう、違うっていうのか……どこかで無理をしている、というか……」


 ルディはしきりに首を捻っている。


「全く、人を一体なんだと思っているんだ……?」

「そう、そういうところだ。前のエリクなら煽られたらだんまりふてくされていたのに、なんだか噛みついてくるようになったじゃないか」

「そ、そうか?」


 うーん、自分のことなんか自分なんだからよくわかるわけがない。そもそも俺はエリク・ヴァインバードであるのは間違いないんだけど、前世の記憶がそこに混乱をもたらしている。ある時は風間大地の考え方で、ある時はエリク・ヴァインバードの考え方になる。何とか自分も周囲も騙し騙し生活を続けてきたが、やっぱり本当の俺が一体何なのかわからないというのはストレスかもしれない。


「お前……なんか悩んでるのか?」

「悩むだなんて、とんでもない。こんなに幸せで順風満帆なのに?」


 今の俺は充実している。もちろんタウルス高原の開拓には課題がまだまだたくさんあるけれども、今の俺が出来ることを精一杯やっているつもりだし、成果だって出ている。そして好きな娘と結婚して子供まで生まれた。これで悩んでるだなんて言ったら、いろんな奴に僻まれてしまう。


「それよりも、例の話に進展はあったのか!?」


 俺はとりあえず話の方向を変えることにした。


「お前が留守にしている間ぐらいで、急に進展するはずないだろう」


 実は、ルディにも結婚の話が出ている。相手はガレーさんの親戚の子だそうで、この前その子がタウルス高原にやってきていた。気立てがよくて優しそうな子だった。きっとルディと幸せな家庭を築くに違いない。


「僕はきっと、ルディは幸せになると思うんだ」

「この幸せ者に言われても世話ないよ」


 話題が変わり、どうにか俺はルディの追求を免れることができた。でも、俺の心には穴が空いたままだ。それがどうして空いているのか、どうすれば俺は元のエリク・ヴァインバードみたいになるのか。様々な謎が俺の中をよぎっていく。


 ああ、誰かに相談したいけどこんなこと誰も信じてくれるはずがない。一体俺はどうすればいいんだろう?

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