第4章 みんな必死で生きている

第1話 子牛が生まれたよ

 僕がタウルス高原に来てから三年の月日が流れた。気がつけば、僕は風邪ひとつひかない丈夫な身体になったようだった。高原の空気が僕の身体によく合ったんだろうか。


 バッファローの長毛種を作ろうと計画を立てた僕らは、まず長毛種用のバッファローの元になる牛の選定に入った。それから牛舎をもうひとつ造り、長毛種の繁殖用の牛舎と普通のバッファローの牛舎を分けることにした。開拓団の皆は「やれることなら挑戦してもいいと思う」と概ね賛成の雰囲気だった。失敗しても特にマイナスになることがなかったのが賛成の決め手だったようだ。


 こうして、バッファローの長毛種への品種改良は気長に行われることになった。僕たちの独断と偏見で「毛が長い」と思われる牛を掛け合わせてみて、数年はそれで牛の毛が長くなるのかという実験が続くことになるとウォレスさんは言った。


「エリク様! とうとう親牛が産気づいたようですよ!」


 ある日の朝早く、ミネルバが血相をかえて僕を起こしに来た。長毛種用の牛が身ごもったことで、僕らは子牛の誕生を待ちに待っていた。今度生まれる子牛に、僕らはかなり期待をしていた。


 ミネルバと一緒に牛舎に僕が駆けつけると、既にルディとランドさん、動物学者のウォレスさんに加えて平地で牧場を経営していたガレー・ギブスさんが親牛の周りにいた。牧場主だったガレーさんは息子に牧場の経営を譲ってから悠々自適の暮らしを送るつもりだったらしいが、開拓団の話を聞いて是非新種の牛の世話をしてみたいとやってきてくれたのだった。


 バッファローの生態についてはウォレスさんが、飼育についてはガレーさんが中心となって様々なものをまとめてくれている。もちろん二人が知っているのは平地の牛やその他の別の種類の牛で、まだ僕らはバッファローという生き物について手探りの状態が続いていた。


「ところで、なんでミネルバさんまでやってきているんだ?」


 ルディが僕と一緒に来たミネルバを見て、不思議がる。


「彼女は産婆の資格があるんだ、僕も取り上げたってよく自慢されたよ」

「お産のこととなると、牛と言いましてもどうしても気になって……」


 ここ数年で牛の出産自体は何度も見てきたが、今日生まれる牛は長毛種となる牛の第一号かもしれない。僕がそんな期待を毎日話しているから、彼女も僕についてきたのだ。お産に苦しむ牛の横で、ミネルバは祈りを捧げている。


 まだ日が昇っていないため、牛舎に吊したランプの下で親牛が低い声で鳴いている。しかし、いくら待っても牛の頭は出てこない。僕も何度か出産には立ち会ったが、こんなに長引いたことはなかった。


「おかしい、普通の牛ならそろそろ頭が出てこないといけない頃だ」

「難産の可能性がありますね」

「これ以上待っていると、親牛までダメになっちまう」


 ガレーさんとウォレスさんは話し合っている。そしてガレーさんは、僕らをじろりと見て言った。


「誰かロープを持ってきてくれ。それと野郎を、あと数人だ」


 すぐにルディが資材小屋からロープを持ってきた。ランドさんが小屋に走って男手をかき集めてきたが、長毛種の子牛が生まれると聞いて開拓団員が子供以外全員やってきてしまった。


「応援は多いほうがいいけど、静かにしてくれよ」


 ロープを受け取ったウォレスさんが、少しだけ出ている子牛の足にロープを結びつける。ガレーさんが親牛の産道を触り、陣痛の間隔を探る。


「いいか、俺の合図で引いてくれ」


 ロープを持つルディとランドさん、それに駆けつけてくれた開拓団員たちが静かにガレーさんの合図を待つ。牛舎には親牛の低い声だけが響いていたが、その声が急に甲高い声に変わった。


「今だ!」


 ガレーさんの合図で一気にロープが引かれる。子牛の足が外に出てきたが、まだ頭は見えない。親牛の陣痛が終わったところで、ガレーさんはロープを引くのを止めさせる。


「頑張れ、もうじき楽になるからな」


 ガレーさんは親牛を撫でながら応援する。親牛もガレーさんの気持ちが通じているのか、僕には苦しみながらも牛が嬉しそうにしているように見えた。


「そら来た! 引け!」


 再度親牛の陣痛がやってきた。これ以上お産が長引くと、子牛も親牛も命が危ない。ロープを引く組も、見守る僕らにも力が入る。


「頭が出てきたぞ!」


 親牛の産道から、少し子牛の口が見えた。それから陣痛に合わせて、少しずつ子牛は朝の空気の中に押し出されていく。


「頑張れ、あと少しだ!」


 僕は叫んでいた。これだけ頑張ったのに、生まれてくる子牛が死ぬなんてあんまりだ。自然と僕の腹にも力が入った。


「出たぞ!」


 すっかり子牛の頭が出たところからは早かった。ずるりずるりと親牛の産道から子牛が出てきて、地面に落ちた。ガレーさんが急いで子牛の顔を確認に走る。


「よかった、ちゃんと生きてる。羊水も飲んでないな」


 ガレーさんは子牛の顔を布で拭いてやる。親牛が子牛を舐め始めると、子牛はしっかり顔をあげた。


「やったー!」


 僕は自分のことのように嬉しくて、ミネルバと抱き合って喜んだ。ミネルバは泣いていた。開拓団員全員が新しい命の誕生を見届けて、満足そうだった。


 その後、子牛はしっかりと立ち上がった。僕は子牛に開拓の光を見た気がした。

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