第3話 ゼルタス家の話

 バッファローの呼び名が正式にヴァインバード牛となったが、相変わらず開拓団の中では「牛」と呼ばれていた。この名前は対外的なものになるんだろう。


 そして、牛の飼育法も手探りで少しずつわかってきた。平地で飼育されている一般的な牛よりもバッファローは大人しく、人によく懐いた。これはバッファローの性質ではなく、僕が出現させたからかもしれないけれども。


 牛の飼育の仕方は平地の牛とそれほど変わらないが、一番の違いはその体躯だ。平地の牛よりかなり大きいヴァインバード牛の飼育は、普通の牛に比べて少し骨が折れるそうだ。


「こんな牛、今まで見たことなかったからなあ」


 そう言って牛の世話をするのは、山や動物の知識が豊富なラクシ・ゼルタスさんだ。ラクシさんはソルテア族で、開拓団ではこの辺りの地形や生物の調査などを主に担当している。それに狩猟も得意だ。


「ブルームホロウの村でも見たことがなかったの?」


 僕の隣でマリベルがラクシさんと話している。ブルームホロウはこのタウルス高原に辿り着くまでの道程で人が住んでいる最後の中継地だ。


「そうだね。ブルームホロウはここより斜面がいっぱいあったから、コウゲンジカはいてもこんなに大きな牛は見たことがなかったね」

「コウゲンジカはたくさんいた?」

「たくさん、というほどではないけどたまに見かけたよ。見かけるといいことがあるって、山の神様のお使いって呼んでいたよ」

「山の神様?」


 マリベルが首を傾げる。


「そう。ソルテアの昔話に出てくる大地神エリオス様が使わしたのがコウゲンジカ。だからコウゲンジカは食べてはいけないって小さい頃よく言われたよ」

「ええ、でも昨日牛のお肉を皆で食べたじゃない?」


 マリベルが心配そうに呟くと、ラクシさんは牛の毛並みを整えながら続けた。


「まあ、この牛はコウゲンジカじゃないから食べても大丈夫だと思うけどね!」

「そ、そうなの!? ……大丈夫よね、神様、怒りませんよね?」


 マリベルはやはり心配そうに僕に話しかける。


「だ、大丈夫なんじゃないかな? 平地の牛だって皆食べるだろう?」

「そうよね、大丈夫よね? 牛を創造された神様、怒りませんよね?」


 僕が出した牛なんだから大丈夫だよ、という言葉を僕は飲み込んだ。


「ヴァインバード牛はこれだけ大きいんだ。乳も毛皮も、肉も油もたくさん取れる。まさにタウルス高原には願ったり叶ったりの生き物だ……しかし、都合が良すぎる」


 不思議そうにラクシさんが言うので、僕はドキリとする。


「今まで何度も高原調査に行ったけれど、こんなに巨大な生き物はいなかったと思うんだ。今になって、どうして急に出てきたんだろう?」


 ドキリどころじゃない。もう僕の背中は冷や汗で濡れている。


「やっぱり、神様のお使いだからじゃないですか?」


 何も知らないマリベルが無邪気に言うと、ラクシさんは笑った。


「それじゃあ、やっぱり食べてはいけないのかい?」

「……食べていいですよって神様がくださったんです!」

「じゃあ、そういうことにしておこう」


 バッファローの出所についての話が終わったようで、僕はほっとした。


「リディアも今日は牛のシチューを作ると言っていたから、後で大会館に行ってみるといい」

「ありがとうございます!」


 リディアさんはラクシさんの奥さんで、二人の間には子供が二人いる。リディアさんは入植者のセレスティア人で、ここから一番近い都会のエルムウッドで出会ったそうだ。二人は双方の両親の反対を押し切って、大恋愛の末にブルームホロウの村まで駆け落ちしてきて、それでこの開拓団に加わったのだそうだ。レインさんと似たような経歴だなと僕は思ったけど、逆に考えるとそういう人たちを受け入れるのが開拓団のような気もしてきた。


 二人の子供のケーラとメリアはとてもいい子で、大人に混じって牛の世話や料理の手伝いをしたり、まだ幼いカーペンター夫妻の娘のアビゲイルと遊んだりしている。この兄妹が頑張っているのを見ていると、僕も頑張らないとなあと思う。


「ねえ、エリク様。牛は本当に食べてはいけないのかしら?」


 牛舎を出ても、マリベルはまだバッファローを食べることに悩んでいるそうだ。僕は別に構わないと思うけど、彼女が不安がっているならどうにかしないといけないな。


「そうだな……例えば、牛の乳をもらうことに抵抗はあるかい?」


 僕の問いに、マリベルはふるふると首を振る。


「しかし、牛の乳は牛の赤ちゃんの食べ物なんだ。僕たちが牛の乳を飲むことで、赤ちゃんが飢えてしまうことに繋がる」


 すると、マリベルは先ほどと同じような不安そうな顔をする。


「だから僕たちは牛たちに餌をあげて、風が吹かない安全な家を用意する。その代わり牛たちは乳や肉、毛皮を僕たちにくれるんだ……これでわかったかい?」


 そこでようやくマリベルは笑顔になった。


「エリク様は何でも知ってますね、神様みたいです」

「そんなことないよ。それにその、エリク様ってのやめない?」


 開拓団の皆は、もう既に僕に様なんかつけていない。未だに様をつけているのはミネルバとこの子くらいだ。


「嫌です。エリク様はエリク様です!」

「じゃあ、僕もずっとマリィじゃなくてマリベルって呼んでやるからな」

「どうぞご勝手に!」


 何だい。


 女の子って、よくわからないな……。

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