誰も魔法は使えない

新谷式

芋虫の僕とゆきちゃん

 朝起きたら芋虫になっていた。


 僕は鏡の前から動けなくなった。これはまるで、カフカの小説『変身』みたいではないか。


 どうしよう。こんな姿を家族に見られたら、きっと腹を蹴られて顔を殴られ、手足を一本ずつ引きちぎられるに違いない。


「ゆうちゃーん」

 僕を呼ぶ母の声が聞こえた。


 ああ、どうしよう。このまま返事をしなければ部屋に来てしまう。僕の姿を見ればきっと卒倒するだろう。頭を打って死んでしまうかもしれない。そうすれば僕のこの無様な姿は見られなくて済むけれど、母さんが死ぬのは嫌だなぁ。


「ゆうちゃーん!」

 少し怒っている声に変わった。ああ、もう出ていかなければ。


 どうせ見られるのなら堂々と家族の前に姿を現してやる、と僕は勇気を出して部屋を出る。心臓がバクバク言っているのが耳に聞こえた。

 キッチンの扉の前に着くとより一層、心音が激しくなった。取っ手に手を伸ばす。一本ではなく無数に動く手が気持ち悪い。どうにか取っ手を掴んで扉を開けた。


「お、おはよう」

 笑えているのかはわからない。けれど、笑顔を頭に浮かべて挨拶する。朝食や新聞に顔を向けていた父と妹と弟が僕のほうを向いた。


 妹と弟の息を呑む声が聞こえた。否定的な事を言われる。僕は身構えた。しかし、誰も何も言わない。彼らの目はねっとりと僕の身体を見つめていた。

 父さんが新聞に目を戻す。カサリと新聞の擦れる音で妹も弟も皿へと顔を戻した。

三人は何事もなかったかのように朝食を再開した。


「ゆうちゃん、起きたの?」

 母が振り返った。「きゃ」と小さく声を上げて皿を落とす。その顔は青ざめていた。僕のこの姿を見て怖がっているのだろう。


 ああ、やはり僕はこのあと部屋に閉じ込められるか八つ裂きにされるんだ。


「そんなに大きくなっちゃって、部屋が狭くなるじゃない!」

 母が怒声を上げた。

「え?」と声が漏れる。母はぷんぷん怒りながら床に落とした皿を片付け始める。

「ははは、ゆうは育ちざかりなんだ。仕方ないだろう」

 父が新聞に目をやりながら言った。


 もしかして、芋虫の姿に見えているのは僕だけなのか。そうだったらいいのに。と一瞬目の前が明るくなった。だが、また暗くなる。


「で、お前は蛾になるのか、蝶になるのか」


 父が珈琲を口に含む。やはり他の人にも僕が芋虫に見えているらしい。

「青虫ってモンシロチョウとかじゃないの?」

 妹が言った。妹も僕が芋虫に見えている。なのになぜ、こんなにも反応が薄いのか。


「俺、蛾がいい!」

「なんでよ、キモイじゃん。蝶のがマシ」

「モスラとかかっけーじゃん」

「ははは、父さんはどっちでもいいぞ」

「やめてよ! どっちも鱗粉が舞うのよ、掃除が大変じゃないの」


 論点が違う。誰もどうして僕がこんな姿になったのか聞こうとしない。なぜだろう。だが、それはそれで、怖くて聞けない。


「ちょっと、ゆうも早く座ってご飯を食べなさい!」

 母が眉を吊り上げた。僕は急いでテーブルに向かう。二足歩行よりも難しい。亀くらいの速さでしか動けなかった。


「てか、にーちゃん飯食えんの?」

「それな」

 妹と弟は互いに見合った。僕は「さぁ?」と答えた。

「キャベツだったらあるわよ」

 母が冷蔵庫から丸々としたキャベツを出してテーブルの上に置いた。このまま食えという事らしい。

「ははは、食べ盛りだなぁ」

 父さんは笑ってから味噌汁を飲んだ。


「いけない、もう行かなくちゃ」

 妹が食べかけのご飯をそのままに僕の横を通り抜ける。

「俺もー! 母ちゃん、ごちー」

 弟も床に置いたランドセルを手に持って僕の横をすり抜ける。

「じゃあ父さんももう行かなくちゃな」

 父は自分の食べた分のお皿を流し台に置き、僕の横を通り抜けた。


 これはいつもの光景。朝起きるのが遅い僕は、いつも朝食を一緒には食べられない。皆が出かける時になってようやく食卓に着く。それなのに、今日は避けられているように感じた。


「ほら、あんたも早く食べて、学校に行きなさい」

「え、学校?」

 僕は嫌そうな声を出す。この姿が見えているのなら、学校になんて行ける訳がないのに何を考えているのか。母はキッチンのほうを向いたまま言った。

「嫌なの? サボる気? そうはさせないからね。あんた今日はテストがあるって言っていたじゃない」


「え、でも、僕」

 こんな格好なのに、という言葉は続かなかった。

 もしかしたら、僕ぐらいの年になると皆青虫になるのかもしれない。なんてポジティブな事が頭に浮かぶ。

 それはないだろう。今までそんな人物など見た事がない。


「あ、そっか。ごめんね」

 母が謝った。ようやく僕の異変に対応する気になったのか、と期待する。

「そんなに図体が大きかったら、制服が入らないわよねぇ」

 母はお皿を洗いながら心配そうな声でため息を吐いた。


 そうじゃない。服があるとかないとか、たぶん青虫には関係ない。


「ねぇ、母さん、僕、変じゃない?」

 勇気を出して聞いてみた。母の返答はすぐには来なかった。ジャージャーと水の流れる音。母は皿を一枚、洗い流してから言った。


「変じゃないかって言われたら、変わっているわね。でも、それがどうしたの。あなたはあなたでしょう」

 母の表情は見えなかった。だが、姿が変わってしまった僕を変とは言わない母の優しさが嬉しかった。


「ありがとう。今日学校休んでいい?」

「駄目」

 即答だった。


 学校には行かなければいけないらしい。家族だから僕の身体について何も触れないのかもしれない。けれど、外に行ったらどうだろうか。きっとバッドで殴られてすりつぶされ、青い汁をまき散らす事になりかねない。

 どうにか行かないで済む方法を探したけれど、母は絶対に僕を学校に行かせる気だったので、僕は仕方なく家を出た。


 優しいのか優しくないのかわからないよ。


 学校に向かう。ここから歩いて十分のところに僕の通う中学校がある。よかった点は電車に乗らない事だ。

 歩き始めて一分、進行方向に人影を発見した。サラリーマンだ。きっと僕の姿を見たら発狂するぞ。


 その場に止まり身構える。けれどサラリーマンはそのまま通り過ぎた。

 あれ? と振り返るも、サラリーマンが振り返る様子はない。

 もしかして人形か着ぐるみだと思われたのかな。

 それなら楽勝かもしれない、と案外僕の脳みそはポジティブのようだ。

 そうか、もしかしたら、家族も僕が着ぐるみを着ていたと思ったのかもしれない。だからあんなにも反応が薄かったんだ。


「あらゆうちゃん! 大きくなったわね」

 声をかけてきたのは隣の家のおばさんだった。この時間になるといつも庭の剪定をしている。おばさんも僕が着ぐるみを着ていると思っているようだ。

「おはようございます。よく僕だってわかりましたね」

「そりゃあ、わかるわよ。鞄についてるキーホルダー、それを持っているのはゆうちゃんだけよ。それにしても、ずいぶん姿が変わったわね。育ちざかりって言うの? すごいわね」

 おばさんは早口で捲し立てるように言うと、すぐさま自分の家に入った。


 着ぐるみだと思われている訳ではないのがわかった。やっぱり皆、僕が青虫だと認識している。

 おかしい。ならばなぜ、誰も疑問や罵倒を僕にぶつけないのか。「人に優しく」というのは道徳で習った。しかし、これは本当に優しさと呼べるのだろうか。


 そのまま進むと今度は同級生に出会った。小学校から同じ学校に通う高尾だ。高尾は目を大きく開いたが、すぐにもとの表情に戻り、僕が到着していないにも関わらず歩き出した。


「うぇーい、何それハロウィン?」

「今、五月」

 僕が返すと高尾はまた「うぇーい」と言った。

 高尾にも僕が青虫に見えている。それなの、どうしてこんなにも反応が薄いのだろう。


「な、なぁ、高尾。僕、青虫になっちゃった」

 震える声だったのが情けない。高尾は前を見たまま言った。

「まぁ、人は変わるって言うし、いいんじゃね?」

「いや、変わり方が異様だよね?」

「そういう事もあるって。うちのねーちゃんなんて、ある日突然にーちゃんになって帰ってきたぜ」

「その話と同列にしていいの? 僕、人間ですらないよ」

「よくある事だって。ある日突然宇宙人になる奴だっているんだから」

「いるの?」

「テレビでやってた」

 そういえば高尾は心霊番組が好きだったな、と思い出す。


「でも、皆僕の事を気持ち悪がったり気味悪がったりしないんだ。なんで?」

「そりゃあ」高尾が口を開くも言葉が続かない。

「高尾?」

「そりゃあ、お前はお前だからだよ」

 母と同じ事を言った。


 本当にそうなのだろうか。姿が変わろうと、僕が僕ならいいのだろうか。


 遠くに僕がひそかに好意を寄せているゆきちゃんの姿を見つける。ゆきちゃんはこっちを向くと、すごく嫌そうな顔をした。

「おーい、サカキバラー」

 高尾がゆきちゃんに向かって手を振る。ゆきちゃんは返事をせずに逃げるように校舎の中へと入ってしまった。


 あれは、僕が知っている顔だ。自分の嫌いなものを見る顔。嫌悪というものだ。僕はショックだったけれど、なぜかその表情に安堵の気持ちを持った。


 クラスに入ると、ざわめきが止まり、静寂が漂った。息をのむ。家族や高尾は『僕は僕』だと言ってくれたが、さすがに全員が肯定してくれる訳がない。

 さっきはゆきちゃんの態度を嬉しく思ったのに、大多数から否定の目を向けられるのは嫌なようだ。


 しかし、やはり彼らは何も言わなかった。父と妹と弟がそうだったように、彼らもまた何事もなかったかのように話を続けたりボールをぶつけあう作業へと戻っていった。


 そこで僕は気付いた。


 変わった僕が認められた訳ではなく、誰も僕を見ようとしていないのではないか。


 僕が他人にとって重要な存在ではないのは知っている。けれど、この姿について何も言われないのは、必要じゃないとかそれ以前に、いないものとして扱われているようで悲しくなった。


 自分の席に着こうとするも前後に人がいる狭い場所に僕の身体は入らなそうだ。どうしようかと戸惑っていると、高尾が僕の席に近付いて指差した。

「お前は急に大きくなったからな、後ろの席でいいだろ」

 高尾は僕が了承するよりも前に僕の机を一番後ろに運んだ。

「ありがとう」

 僕の言葉を聞き終わる前に高尾は自分の席に戻り、周りにいる人間と楽しそうに話を始めた。いつもなら、もう少しは一緒に話をしてくれるのに、やっぱりみんな、どこかよそよそしい。


 急に疎外感が襲ってきた。誰も僕に反応してくれない。腫物のように扱われている。僕は、いないほうがいいのだろうか。


 予鈴が鳴って、しばらくしたら先生が入ってきた。先生は一番後ろにいる僕を見て、小さく悲鳴を上げた。

 やっと僕の話を聞いてくれる人がいた。先生なら、どうしてこうなったのか、治す方法はないのか、一緒に考えてくれるかもしれない。

 そう思ったのに、先生は僕に声を掛ける事もなく引き攣った笑顔を浮かべ教卓に立った。


 出席確認を始める。いつもの朝のように、名前を呼ばれたクラスメイト達が元気に挨拶をしていく。やがて僕の名前が呼ばれた。

「菅原勇気さん」

 先生は僕を見てはいなかった。他のクラスメイトの顔は見ているのに、僕の時だけは天井を見ていた。僕は「はい」と答えた。


「全員いますね。今日は特に連絡事項はありません。じゃあ一時間目の準備をしてくださいね」

 先生は面倒ごとなどごめんだ、とでも言いたげにさっさと教室を出て行った。

 先生はあきらかに動揺していた。僕を見て、不愉快そうだった。だけれども、何も言わなかった。


 なぜ誰も、何も、言ってくれないのだろう。


 一時限目が始まった。数学の先生が入ってきた。その先生も担任の先生と同じ反応を見せたが、やはり何も言わなかった。二時限目の社会、三時限目の理科、四時限目の国語の先生は最初から僕を見ようともしなかった。

 四時限目を終えると給食の時間になった。給食当番が動きだして準備をしている。僕も給食当番だった事を思い出し動こうとした。

 僕が給食当番の割烹着が入っているロッカーに近付くと、なぜかざわめきがなくなり静かになった。なんだろう、と教室内を見渡す。全員の顔に、困惑があった。


「あ、俺がやるよ」

 高尾がロッカーから給食当番の割烹着を取った。その瞬間、教室が安堵に包まれているような感覚が肌に伝わった。

 誰も僕を気にしていないようにしているだけで、本当は嫌なのだろう。でも何も言わない。それは、僕を傷つけないようにする為?

「給食もお前の分を運んでやるからさ」

 僕は何も言えず、頷いて自分の席に戻った。その時、窓辺に座るゆきちゃんと目があった。あから様な嫌悪。誰も向けないその表情を、ゆきちゃんだけが僕に向けていた。


 給食の時間が終わり、五時限目は体育だった。こんな身体じゃ動けない。けれど、体育の先生は休む事を許さない人だから出ようと思った。体育着は着られないのでそのまま出る。

 校庭で待っていると先生が現れた。先生は僕を一瞥したものの、何も言わずに授業の開始を宣言した。


「じゃあ、二人一組になれ」

 僕は高尾のほうを向いた。いつも高尾と組んでいるからだ。けれど高尾はすでに別の人と組んでいた。周りを見てもほとんどペアになっていた。

「残っているのは、榊原と菅原か。じゃあお前ら組め」

 ゆきちゃんはいつも一人。こういうペアを作る時、最後に残った人と組んでいた。


「嫌です」


 ゆきちゃんははっきりとした声で言った。その言葉に周りが動揺して声をあげる。


「なぜだ? 残っているのは菅原しかいないだろう」

「これは菅原くんではありません。これは芋虫です」

 さらにはっきりと言い切った。その言葉に体育の先生は困った顔をした。

「菅原じゃないならなぜここにいる? そうなるだろ。いいから菅原と組め」

「嫌です。私、芋虫は嫌いなんです。生理的に無理です」

 ゆきちゃんは僕を睨みつけて、強い言葉で言った。


「お前、最低だな。こいつは菅原で間違いない。姿が変わったって菅原は菅原なんだからいいじゃねーか」

 高尾が声を荒げた。あとから他のクラスメイトが「そうだ」と同調する。

「お前に人の心はないのか」

「最低だな」

「菅原くんだって気にしているかもしれないのに気遣えないの?」

「菅原が芋虫に変わったからって差別するのか」


 その言葉たちは過熱していく。僕を嫌いと言っただけでゆきちゃんがまるで犯罪者のように扱われ、やり玉にあげられていた。


「人間は誰であれ、容姿、言語、思考、宗教が違えど差別は許されない。そう、道徳の時間に教わっただろ。お前は今、菅原を差別したんだぞ」

 体育の先生がきつい言葉で言った。

「差別じゃありません。嫌いだと言ったんです。自分の好き嫌いを言うのは差別ですか」

 ゆきちゃんは毅然と返す。

「菅原を否定しただろ。それは差別だ」

「私は菅原くんが嫌なのではなく、芋虫が嫌いなだけです」

「そんなのは言い訳だろ」

「嫌いなだけで死んでほしいとか消えてほしいとは言っていません」

「否定された本人は傷ついている」

「すべてを認めろというんですか。でもそれなら、私の嫌いも認められるべきだと思います」

 体育の先生が眉間にシワを寄せた。

「お前の嫌いは差別的だから認められない」

「差別的ではない嫌いはなんですか」

「そもそも人を否定するのはいけない事だ」

「なぜですか。自分の嫌な事は我慢しろと? でもそれはそれで私の事を否定している事になりませんか」

「お前は屁理屈ばかり言って、優しさというものはないのか!」


 ついに体育の先生は声を荒げた。その声に便乗するように、周りの生徒がゆきちゃんを糾弾し始める。ゆきちゃんは一瞬怯えた顔を見せたが、それでも背筋を伸ばしてそこに立ち続けた。


「お前は反省するまで体育の授業に出るな」

 ゆきちゃんは「わかりました」と答えて校舎の中に戻っていく。先生が僕を見た。

「お前は、今日は休んでろ。嫌な気分にさせて悪かったな」

 それは気遣いというよりは、誰も、先生すら僕と一緒にペアを組んでくれないから疎外されただけのように感じた。

 

 体育が終わり、教室に戻った。そこにはゆきちゃんがいて、窓の外を見ていた。

「差別主義者ー」

 誰かが言った。それはゆきちゃんの事を言っているとすぐにわかった。どこからかクスクス笑う声がした。ゆきちゃんは面倒そうにため息を吐いていた。


 僕を嫌いだと言ったゆきちゃんを、皆こぞって非難する。すごく奇妙な気分だ。 ひとりぼっちのゆきちゃん。そこにいるのは本来、僕ではないのか。


 六時限目の授業中、前から後ろにプリントが配られた。でも、ゆきちゃんには渡されなかった。ゆきちゃんは後ろの席を振り返り、驚いた顔で自分の分までプリントを持っていった人を見ていたが、すぐに前を向いて何事もないような態度を取った。


 僕の差別はよくないけれど、僕を嫌いだと「差別した」ゆきちゃんになら、何をしてもいいと言うのだろうか。




 授業が終わり、僕はゆきちゃんの事を校門前で待ち伏せした。遠くからやってくるゆきちゃんを見て、僕は飛び出した。ゆきちゃんは悲鳴を上げて逃げようとした。

「待って、逃げないで! お願い」

 ゆきちゃんの足が止まる。おそるおそるこちらを振り返った。

「ゆきちゃんから見て、今の僕をどう思う?」

 体育の時間にははっきりと言っていたゆきちゃんは、僕を目の前にしたからか答えづらそうに眼を逸らす。

「大丈夫。はっきり言ってくれていいよ」

「……気持ち悪い」

「だよね!」

 僕が明るい声で言ったものだから、ゆきちゃんは目を細めて眉間にシワを寄せた。


「ごめん、これまで会った人たちは、全員僕のこの姿を見ても変だなんて言わなかったから、なんか嬉しくて。自分が変わったとき、受け入れてもらえるのは嬉しいよ。でも、全員同じ気持ちなのが気持ち悪かったんだ」

 ゆきちゃんは顔を横に背け、腕を組んで両腕を摩った。

「皆、優しいんだ。僕の事を悪く言わないんだ。僕は僕がおかしい事をちゃんとわかっているのに、誰も僕を否定してくれない。それが、なんだか誰も僕を見ていないようで悲しかった」


 ゆきちゃんはポケットから学校に持ってきてはいけないスマホを取り出し、操作を始めた。

「面と向かって言わないだけよ」

 画面を僕に見せる。今朝作られたばかりのグループチャットだった。そこには僕の事が書かれていた。


『菅原が芋虫になったの見て、まじでキモイと思った!』


 あんなに僕は僕だと励ましてくれたのに、スマホの中では別の事を言っている。面と向かって言われるよりもショックだった。

「朝一番で作られたんだよ。だから私も招待されていたんだよね」

「言ってくれればいいのに。陰でこそこそ言うなんて」

「仕方ないよ。表立って言ったら〝悪い人〟になっちゃうもの」

「でもゆきちゃんはちゃんと言ってくれた」

「私は、嫌いを認めているから」

「どういう事?」

「嫌いって言われるとすごく悲しいし寂しい。でも、誰も嫌わない人や物などはないというのをわかっているから、嫌いがあってもいいと思っているのよ。ただそこで、嫌いだから除外してやろうとか、嫌いだから嫌がらせをしてやろうとか、そういうのは駄目だと思うの」

「普通に接していれば、嫌いも悪い事じゃないって事?」

「たぶん。だって、嫌うにも理由がある訳でしょ。もしかしたら相手が過去に何か嫌な事があって嫌っているのかもしれない。それを否定したら、その人の嫌な事があった気持ちはどこへやればいいの?」

「じゃあゆきちゃんが僕を嫌うのも、過去に芋虫に嫌な思い出があるから?」

「あの時も言ったけど、菅原くんが嫌いなんじゃないの。芋虫が無理なの。昔、近所の悪ガキに背中に芋虫を入れられた事があったから」

 ゆきちゃんは渋い顔をして笑った。


「他の人は僕がこの姿になった時、優しく接してくれた。それは腫物を触るようだった。それが僕は悲しかった。でも君は僕のこの姿を嫌いだと言った。けれど普通に接してくれている。そんなゆきちゃんが、僕は好きだよ」

 ゆきちゃんは驚いた顔をした。僕も自分が好きという言葉を口にするとは思わなかった。


「そう。でも、今のあなたの姿は嫌いだわ」


 ゆきちゃんは笑いながら言った。初めて見る優しい笑顔。

 僕は、この姿になって初めてよかったと思った。

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