第39話 痕跡

 数年ぶりに訪れた、リューリにとって前世の住居兼研究所の庭は、放置されていた為に荒れ果て、見る影もなかった。

 薬草を育てていた小さな畑も、雑草に覆われている。

「想像はついていたが、実際に見ると、少し心に来るものがあるな」

 呟くリューリを、アデーレとウルリヒ、そしてフレデリクが、やや心配そうな顔で見ている。

「……みんな、付き合わせてすまない」

「気にしないで。リューリちゃんに頼られるのは嬉しいよ」

 ウルリヒが言うと、アデーレとフレデリクも頷いた。

「初めて会った頃のリューリちゃんは、私たちに対しても警戒心が凄かったが……それを考えると感慨深いな」

 そう言って、アデーレが微笑んだ。 

「リューリちゃんの前世……ヴィリヨ・ハハリは、ここで亡くなったのか?」

 フレデリクが周囲を見回した。

「その筈だ。もっとも、ここは街から離れているし、宮廷魔術師を辞めた後、私は一人暮らしの上、人付き合いがほとんどなかったから、他人には気付かれていないと思う」

「だとすると、遺体は、そのまま放置という可能性が……」

 言いかけたウルリヒが、はっとした様子で自分の口に手を当てた。

「ウルリヒの言う通りだ」

 リューリは頷いた。

「刃物で刺されて殺されたらしいということは覚えているが、その日一日の記憶が飛んでしまっているんだ。ここに来て、自分の遺体を見れば、何故殺されたのかが分かるかもしれないと思ってはいた……だが、一人で来るのは、少し怖かった」

「でも……辛いなら、無理に思い出さなくてもいいのでは?」

 躊躇ためらいがちに、アデーレが言った。

「そう思ったこともある。今は、みんなが良くしてくれて幸せと言えるし、前世のことなど忘れていても困ることはないかもしれない。しかし……」

 リューリは、出入り口の扉に手をかけた。

「『エクシティウム』の名を聞いた時、ひどく胸の中がざわつくような、不快な感じがした。前世では何の関りもなかった言葉の筈なのに、だ。だから、やはり、はっきりさせておいたほうがいいと思ったんだ」

 扉は施錠されておらず、リューリを殺害した犯人は、そのまま現場を離れたのだと思われた。

 小さな玄関ホールから繋がっている居間にはほこりが積もっているものの、物の配置はリューリの記憶と同じであり、部屋が荒らされた形跡はない。

「あ、これは希少な魔導書では?」

 卓子ローテーブルの上に無造作に置かれた数冊の書物を見て、ウルリヒが呟いた。

「師匠の遺産だ。私は読んだから、欲しければ、持っていってもいいぞ。他にも、欲しいものがあれば持ち帰ってくれ。誰かに役立ててもらえるなら、師匠も満足するだろう」

「いいの?」

 目を輝かせているウルリヒを、アデーレがたしなめた。

「そういうのは、後にしたらどうだ」

 叱られた子犬のように首を竦めるウルリヒの姿を見て、リューリは、くすりと笑った。

 寝室や浴室、台所も、ほこりまみれであるのを除けば、やはりリューリの記憶と変わらぬ状態を見せている。

「物取りや強盗が来たという感じではないね……」

 フレデリクが、ぽつりと言った。

「そうだな。あとは、家の奥にある実験室か」

 薄暗い廊下を抜け、リューリは実験室の扉を開けた。

 魔導具の制作や魔法薬の調合、あるいは自ら組み上げた呪文を試してみるといった実験に使う部屋だ。

 薬瓶の並んだ棚や、様々な実験装置の置かれた部屋の中もまた、長い間放置された為にほこりが積もっている。

 しかし、床に目をやったリューリは、異変に気付いた。

 板張りの床にも足跡が付くくらいにほこりが溜まっているが、よく見ると、かなり広範囲に黒い染みのような汚れが付いている。

「これは……だいぶ古いが、血の跡か? かなりの出血量だな」

 屈んで床の埃を指で払いながら、アデーレが言った。

「血痕の上にほこりが積もっているということは、つまり……」

 ウルリヒは、続きの言葉を口に出したくないのか、眉根を寄せた。

 黒い染みを見つめていたリューリは、眩暈に似た感覚を覚え、床に座り込んだ。

「大丈夫かい?!」

 フレデリクに抱き起こされながら、リューリは、「あの日」に何が起きたのかを思い出していた。

「……心配ない。急に色々と思い出した所為か、少し気分が悪くなっただけだ」

「思い出した……?」

 アデーレとウルリヒも、リューリの顔を覗き込んだ。

「『あの日』……突然、この家に知らない奴が来た。私の魔法の技術と知識を、彼らの組織の為に役立ててくれないかと言われた……その組織の名が『エクシティウム』だった。そういえば、『魔法による世界の改革』などということも言っていたな」

 リューリの言葉に、フレデリクの表情が険しくなった。

「私の時と同じだ……」

「私は新しい実験を始めたところで、彼らの話に興味が持てなかったから、協力はできないと答えたんだ。その後、気付いた時には刃物で刺されていて、意識を失った。たぶん、そのまま死んだのだろう」

 そこまで話すと、リューリは深い溜め息をついた。凄惨な記憶が蘇った為か、彼女は、ひどい疲れを感じていた。

「でも、どうして奴らはリューリちゃん……ヴィリヨ・ハハリを殺したんだろう」

 ウルリヒが、不思議そうに首を傾げた。

「協力を得られないのであれば、逆に組織にとっての脅威になる可能性を考えたのかもしれないね」

「ふん……私一人を相手に、随分と気の小さい連中だな」

 フレデリクの言葉を聞いて、リューリは皮肉な微笑みを浮かべた。

「少し、変ではないか? リューリちゃんの言っていた状況であれば……」

 室内を見回していたアデーレが呟いた。

「そういえば、遺体がないね? 数年放置されていたとして、骨くらい残っていそうなものだけど」

 ウルリヒも、周囲を見回した。

「リューリちゃんの話から考えて、ここが殺害現場で間違いない筈だが、何者かが遺体を移動させたということか?」

 何か考える素振りを見せながら、フレデリクが言った。

「そうとしか考えられない状況だが……何だか気持ち悪いな。だが、これで一つ、はっきりした。私も、『エクシティウム』とは無関係ではなかったということだ」

 一つの疑問は解けたものの、新たに浮かんだ疑問を抱きながら、リューリは再び胸騒ぎを覚えつつあった。

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