出る杭は打たれるけど出過ぎたら認められる――4

 四時になり、秀さんとの勝負のため、俺は板場に戻った。


「ルールを確認しとくぞ」


 その場に集まった、俺、秀さん、先輩たちを見回しながら、厳さんが口を開く。


「課題となる料理は、料理人の腕が顕著に表れる玉子焼きだ。純粋な腕比べになるよう、食材と調味料は同じものを使ってもらう。制限時間は一〇分。一秒でもオーバーしたら即失格だ。判定員は、哲と秀以外のすべての板前。出来映えや味を基準に、どちらの玉子焼きが優れているかを判定し、多数決で勝敗を決める――いいな?」


 厳さんの確認に、俺たちは首肯を返す。


 隣に立っている秀さんが、俺を見下ろしてきた。


「よう。やられる覚悟はできたか?」


 秀さんの目つきは、いじめっ子みたいに嗜虐的しぎゃくてきなものだった。いつもの俺なら、ビビって震え上がっていたことだろう。


 けど、いまの俺は違う。彩芽が応援してくれたから。俺に腹をくくらせてくれたから。


 敵意に満ちた眼差しを、真正面から受け止める。


「覚悟はできています。ただし、負ける覚悟ではありません」

「言うじゃねぇか」


 秀さんが頬をつり上げて、凶悪な笑みを見せた。


 俺たちのやり取りを眺め、厳さんが愉快そうに喉を鳴らす。


「いいねぇ。ふたりとも闘志が漲ってるじゃねぇか。なら、熱が冷めねぇうちに行こうとするかね」


 厳さんが手を打った。


「はじめ!」


 俺と秀さんの料理対決が幕を開けた。




「バカな……っ」


 静まりかえった板場では、秀さんの呟きがやけに大きく響いた。


 秀さんの顔は驚愕きょうがくに塗りつぶされている。


 無理もないだろう。


 満場一致。


 秀さんに賛同していた先輩たちを含めた全員が、『俺の玉子焼きのほうが優れている』と判定したのだから。


 立ち尽くす姿を見かねたように、厳さんが秀さんに声をかけた。


「負けを認められねぇか、秀?」

「あ、当たり前じゃないッスか!」

「だったら、哲の玉子焼き、食ってみろよ」


 顎でしゃくるようにして、厳さんが促す。


 箸を使うのも面倒だとばかりに手で乱暴につかみ、秀さんが俺の玉子焼きを口に放り込んだ。


 一口、二口と咀嚼そしゃくして――秀さんが目を剥く。


 理解してしまったのだ。悟ってしまったのだ。


 俺の玉子焼きが、自分が作ったものよりも優れていると。


 ギリッと歯を軋らせて、秀さんが叫ぶ。


「あり得ねぇだろ! 俺は板前を夢見て、一〇歳のときから料理してんだぞ!? なんで、こんな小僧に負けんだよ!」

「まあ、秀が認められねぇのもわからんでもない」


 溜息をついて、厳さんが眉をひそめた。


「哲の腕前は尋常じゃねぇ。異常と言ってもいいくらいだ。正直なところ、どうやったら一六歳そのとしでここまで上達できるのか、皆目見当もつかねぇ」

「教えてくれたひとがスゴかったんですよ」


 いつだったか修司と知香に言ったのと同じように、厳さんに知らせる。


「師匠がいんのか、哲」

「はい。祖父に教わったんですけど……神田博満ひろみつって知ってます?」


 その名前を口にした途端、板場にざわめきが広がった。誰も彼もが、信じられないとばかりに大口を開けている。


「こいつぁ、驚いたぜ」


 流石の厳さんも驚きを隠せないようで、ポカンとしていた。


「まさか、『伝説の料理人』の孫だったとはな」


 神田博満は――俺のじいちゃんは、世界でも五指に入ると称される料理人だ。


 様々なジャンルの名店で修業を積んだのち、国内ナンバーワンと名高いホテルで、総料理長を務めていた。


 和・洋・中問わず、比肩する者がいないほどの腕前を持ち、日本で首脳会議が行われた際には、晩餐会ばんさんかいを取り仕切ったらしい。


 ちなみに、現在は職を辞して、隣の県で定食屋を営んでいる。


「俺、親が仕事で忙しくて、小さいころは祖父母の家で過ごしたんですけど、三歳のときから祖父が料理を教えてくれたんです」

「さ、三、歳……?」

「祖父なりの、孫の可愛がり方だったんでしょうね」


 これ以上ないほど目をかっぴらいて、秀さんは絶句していた。


 秀さんの料理歴は一二年。


 俺の料理歴は一三年。


 若造だとあなどっていた俺が、料理人としては先輩だったのだ。その衝撃は計り知れないだろう。


 語り終えた俺は、ふぅ、と息をついた。


 料理対決に勝ったし、自分の事情も打ち明けた。俺にできることはもうない。これからどうなるかは、神様に委ねよう。


 緊張を感じながら、成り行きを見守る。


 秀さんが拳を握りしめた。


 体を震えさせて、奥歯を噛みしめて――ふ、と力を抜く。


「調子に乗ってたのは、俺のほうだったってわけか」


 秀さんが口元を緩める。浮かんでいる笑みは自嘲のそれだったが、憑き物が取れたみたいに清々しかった。


 俺に向き直り、秀さんが頭を下げる。


「逸材だなんだともてはやされて、天狗になってたみてぇだ。醜い絡み方して悪かった」

「いえ。秀さんが不満を覚えるのは当然だと思いますし、もう気にしていませんから」

「すまねぇな。恩に着るぜ」


 秀さんが顔を上げて、ビシッと俺を指さした。


「だがな! 負けっぱなしでいるつもりはねぇ! いつかはお前を追い越してやる! 覚悟しとけよ!」


 対決前と同じく、秀さんの目には闘志が漲っていた。しかし、敵意は欠片も見当たらない。


 それが嬉しくて、俺は笑顔で答える。


「はい。簡単に追い越されないよう、俺も頑張ります」


 バトルものの少年マンガみたいな展開だなあ、と思いつつ、丸く収まったことに胸を撫で下ろした。

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