世界で一番不幸な令嬢の行く末は…?

伽羅

第1話 プロローグ

「ビアンカ、君との婚約は破棄させて貰う」


 婚約者であるカルロスの冷ややかな声が、床に座り込むビアンカに浴びせられる。


 彼女を見下ろす視線も今まで見せた事のないほど冷淡なものだった。


 今、二人の間を隔てているのは冷たい鉄格子。


 ビアンカは異母兄を傷つけたとして殺人未遂で投獄されていた。


(…どうしてこんな事になったのかしら?) 


 ビアンカはどうして自分がこんな状況に置かれているのか受け止められないほど混乱していた。




 遡ること数時間前…。


 ビアンカは異母兄であるミゲルに呼ばれて彼の部屋に向かった。


「…お呼びですか? ミゲル様」


 メイド服のお仕着せを身にまとったビアンカがノックをして扉を開けると、ミゲルはベッドの上に寝転んでいた。


 髪は寝乱れてボサボサでシャツの前もだらしなくはだけさせている。


 ミゲルは寝転んだまま、ゴロリと身体の向きを変える。


 ミゲルのはだけた胸が見えて、ビアンカは咄嗟に目をそらす。


「何恥ずかしかってるんだよ。兄妹なんだからこれくらいどうって事はないだろ?」


 ミゲルがニヤニヤとせせら笑うが、ビアンカはきつく唇を噛み締めて顔をそらすしかなかった。


 そもそも兄妹と言っても母親が違うし、顔を合わせるようになったのも祖父とビアンカの実母が亡くなった五年前からだ。


 それまでは異母兄妹の存在は知っていたが、顔を合わせた事はなかった。


「いいからお茶を持ってこい! あ、なんなら酒でもいいぞ」 


 そんな軽口を叩くミゲルに背を向けて、ビアンカは一旦部屋を出た。


 本来ならばメイドの仕事なのだが、学校を卒業してからはミゲルの世話をするように義母から言い渡されていた。


 反抗しようものなら容赦なく義母の平手打ちが飛んできた。


 父親も政略結婚の末に産まれたビアンカよりも恋愛結婚をした義母や異母兄妹の味方だった。


 厨房に行き、お茶の用意をして再びミゲルの部屋に向かう。


 ワゴンを押して部屋に入り、ミゲルに言われるまま、ベッド脇のテーブルまでワゴンを押していく。


 そのテーブルの上に何故か果物ナイフがあるのが見えたが、不用意な事を言えば難癖をつけられるので黙っておいた。


 お茶を淹れてテーブルの上に置き、一歩下がろうとした所で、不意に起き上がったミゲルがビアンカの後ろに立った。


 ビアンカは咄嗟に身を引こうとしたが、その腕をミゲルの手が掴んだ。


「な、何を! 離してください」


 ミゲルの腕を振りほどこうとするビアンカを、ミゲルは口を歪めて見下ろした。


「そんなに邪険にするなよ。兄妹と言っても父親が同じだけなんだからさ。もっと仲良くしようぜ。カルロスには黙っててやるからさ」


 そう言いながらミゲルはビアンカをベットに押し倒した。


「いやっ! やめてください!」


 ビアンカは必死にミゲルから逃れようとするが、体力の差は歴然で逃げられない。


 そのうちにミゲルの手がメイド服のスカートの裾をまくり上げてきた。


 外気がビアンカの足に触れ、ビアンカは更に抵抗を試みる。


「大人しくしてろ!」


 バシッとビアンカの頬に平手打ちをすると、ミゲルは更にビアンカの裾を捲り上げる。


 ミゲルの手がビアンカの下着を剥ぎ取ろうとした時、ビアンカは手にした何かを思い切りミゲルに突き立てた。


「うわあああー!」


 不意にミゲルの身体がビアンカから離れた。


 その隙に起き上がったビアンカは、自分が果物ナイフを手にしている事に気付いた。


 その先端からビアンカの手にかけて、赤い血が滴っている。


 ミゲルはビアンカの横でお腹を押さえてうずくまっている。


 その手の隙間からダラダラと流れ出る血がベットのシーツを赤く染めて行く。


 ビアンカは呆然としたまま、その光景を眺めている事しか出来なかった。


 ドタドタと足音がこちらに向かって来るのを、何処か夢心地で聞いていた。


「一体何事なの!」 


 義母であるパメラの声が聞こえたが、ビアンカは放心状態で答える事は出来なかった。


「キャアッ! ミゲル!」 


 パメラはミゲルに駆け寄ると、その身体を抱き起こした。


「ミゲル! しっかりして! あなた達、何をしてるの! 早くその女を取り押さえなさい!」


 パメラの言葉が終わらないうちに、ビアンカは入ってきた騎士達にナイフをうばわれ、後ろ手に拘束された。


 ビアンカはそのまま部屋の外に連れ出され、馬車に乗せられて拘置所に連れてこられた。


 両脇を騎士に抱えられるようにして、拘置所の廊下を歩きこの独房へと押し込まれた。


 独房の中には簡易ベッドと仕切りのないトイレと洗面台があるのみだった。


 独房に入れられてようやくビアンカは自分がミゲルを果物ナイフで刺したのだと理解した。


(このまま犯罪者として裁かれてしまうのかしら…)


 ビアンカは力無くベッドに腰を降ろし、これからの事を考えた。


(でも、私はバルデス侯爵家のカルロス様と婚約しているわ。きっと、お父様やカルロス様がどうにかしてくれるに違いないわ。そもそもあれはミゲル様が私を襲おうとしたせいだもの。これが明るみに出れば、マドリガル家の恥になってしまうからもみ消してくださるに違いないわ)


 そんな希望的観測を思い描いていたビアンカは、訪ねてきたカルロスに冷たい現実を突きつけられるのだった。


 カルロスの姿を見て駆け寄ったビアンカに、カルロスは鉄格子越しにビアンカを突き飛ばした。


 床に倒れ込んだビアンカにカルロスの冷たい視線が突き刺さる。


「ビアンカ。君はマドリガル家から除籍される事になった。よって君との婚約は破棄させて貰う」 


 それだけ言い放つとカルロスはくるりと背を向けて立ち去った。


 ビアンカは冷たい床に座り込んだまま、うなだれるしかなかった。

 

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