第6話

オフィスの朝はいつも慌ただしい。コピー機の音、キーボードを叩くリズム、電話の受話器を取る声が混ざり合い、どこか雑然とした雰囲気が漂っている。その中で、魔堂零士(元魔王)は、デスクに肘をつきながら書類をぼんやりと眺めていた。


「零士さん、すみません…例のクレーマー案件です。」

若手社員の佐藤が、申し訳なさそうに書類を差し出す。


零士は書類を手に取り、斜めに目を通した後、口元に薄い笑みを浮かべた。

「またあいつか。毎回同じような話だな。懲りないやつだ。」


「で、でも零士さん、このお客様、本当にすごい剣幕で…誰も手を付けられなくて…」

佐藤は困惑顔で言葉を濁す。


零士は椅子から立ち上がり、書類を片手にヘッドセットを装着した。

「いいだろう。俺が直接話をつける。議論がしたいなら、存分に付き合ってやる。」


その一言に、周囲の社員たちが息を呑む。




「おい! この間の話、どうなってんだ! そっちがミスしたんだろうが!」

電話越しに、苛立った男性の声が飛び込んでくる。


「お客様、ご不満があるようですね。」

零士は穏やかな口調で応じたが、その声にはどこか冷徹さが感じられた。


「不満も何もねぇよ! さっさと責任取れって言ってんだ!」


「責任を取るべきかどうかは、事実に基づいて判断されるべきです。」

零士は静かに言い放った。

「お客様が被害を受けたと主張されるのなら、その根拠を教えていただけますか?」


「根拠だと? そんなの関係ねぇ! こっちは損してんだよ!」


「関係ないと仰いますが、それでは論理が成立しません。」

零士はすかさず反論する。

「損害の内容、発生した原因、そしてそれが弊社に直接起因するという証拠がなければ、議論は進められません。」


電話越しの相手が言葉を詰まらせる。零士はさらに続けた。

「私はお客様の感情に対して理解を示すべきだと考えています。しかし、解決のためには事実に基づく議論が必要です。」


「そ、それは…まぁ…分かったよ。」

相手の勢いが明らかに弱まった。


零士は小さく微笑みながら締めくくった。

「冷静にお話しいただければ、全力で対応いたします。それでは、改めて整理ができた段階でご連絡ください。」


電話を切った瞬間、オフィス内には零士を称えるような拍手が響いた。




「零士さん、すごいです! あのクレーマーをここまで黙らせるなんて!」

佐藤が目を輝かせて感嘆の声を上げる。


「論破というより、議論を整理しただけだ。」

零士は肩をすくめながらコーヒーを一口飲む。


「でも、あの冷静さは真似できないですよ!」

別の社員が興奮気味に加わる。


「感情に流されるのは、ただのエネルギーの浪費だ。」

零士は書類を手に取りながら答えた。

「相手を論破するのではなく、状況を支配する。それだけだ。」


その言葉に、周囲の社員たちは感嘆の声を漏らす。


部長がゆっくりと近づいてきた。

「零士君、君の言葉には説得力があるな。どうしてそんなに動じないんだ?」


零士は部長をじっと見つめ、淡々と言った。

「動揺する理由がないからです。事実を知り、規律に従えば、それ以上の混乱は起きません。」


部長は一瞬言葉に詰まった後、深く頷いた。

「なるほど…勉強になるよ。」




その日の夕方、零士は帰り道の途中にある公園に立ち寄った。木漏れ日がベンチを照らし、静かな風が吹いている。彼はベンチに腰を下ろし、手に持った缶コーヒーを一口飲んだ。


「人間たちの感情というのは、面倒だが興味深い。」

空を見上げながら、零士は小さく笑った。


かつての魔王としての彼には、規律の中で支配する術が染みついている。しかし、この世界では、規律だけでなく感情が大きな影響を持つ。


「感情もまた、一つの武器か…。学ぶことは多いな。」


そう呟いた彼の瞳には、夕陽が映り込んでいた。


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