勇者と魔王は馴染めない!
雨雲
第1話
オレンジ色の夕陽が空を染め、木々の間を抜ける風が芝生を揺らしていた。人々が家路を急ぐ中、一羽の鳩がベンチの下でパン屑をついばんでいる。そのベンチに、一人のスーツ姿の男が腰掛けていた。魔堂零士(元魔王)は、片手に缶コーヒーを持ちながら疲れた表情を浮かべている。
「ったく、今日もクレーム対応かよ。異世界の勇者と戦うほうが、まだ楽だったな。」
彼はコーヒーを飲み干し、空を見上げてため息をついた。この世界に転生して数年。かつて異世界を恐怖で支配していた魔王は、今ではブラック企業の係長として、日々に追われる身となっていた。
その時、不意に背後から鋭い声が響いた。
「貴様! そこにいるのはゼルドリスか!?」
零士は驚き、手にしていた缶コーヒーを落としそうになりながら振り返る。その声の主は、高校の制服を着た青年――山田歩(元勇者アルヴィン)。
「……おいおい、マジかよ。なんでお前がここにいるんだ?」
「それはこちらの台詞だ! なぜ貴様がこの平和な世界にいる?」
歩は険しい目つきで零士を睨みつける。その姿は、異世界で魔王と対峙していた頃の勇者そのものだった。
「いやいや、待てって。俺だって理由なんか知らねぇよ。ただ気がついたら、こっちの世界に転生しててさ。」
零士は肩をすくめ、再び缶コーヒーを口に運んだ。
「転生して、今じゃサラリーマンだよ。ほら、これでも真面目に働いてんだぜ。」
「サラリーマン…? 異世界の支配者だった貴様が、なぜそのような地位に甘んじている?」
歩は真剣な顔で尋ねるが、零士は大笑いした。
「甘んじてるわけじゃねぇよ! これでも毎日、戦場みたいな職場で生き抜いてんだよ。」
「戦場…現代社会にも戦場が存在するのか?」
「まぁ、ある意味そうだな。けど、剣も魔法も使えないのが厄介なんだよ。」
「お前、こっちに来てどれくらい経つ?」
零士が問いかけると、歩は少し考え込んで答えた。
「数ヶ月だ。この世界のことはまだ十分に理解できていない。」
「だろうな。お前みたいな堅物が、この現代のルールに馴染むなんて無理だろうよ。」
零士は缶コーヒーをゴミ箱に放り投げる。見事な命中に、歩が驚きの表情を浮かべた。
「その命中精度…やはり貴様、まだ魔力を…!」
「違ぇよ。ただの缶投げだ。お前、ほんと何でも異世界の魔法に結びつけんのな。」
「だが、この世界の技術には驚かされるばかりだ。貴様が語った『ブラック企業』とやら、それもこの世界特有の現象か?」
零士は苦笑しながら深くため息をついた。
「ブラック企業っつーのはな、上司が鬼で、仕事が地獄ってやつだ。現代社会のダンジョンみたいなもんだ。」
「そんな理不尽を許しておくとは、この世界の規律はどうなっている!」
歩の声はどこか憤りを含んでいる。零士はその熱さに思わず笑ってしまう。
「お前、ほんと真面目だな。けどな、現代じゃ正義感だけじゃやってけねぇんだよ。」
零士が思いついたように立ち上がり、歩に声をかける。
「よし、せっかくだから現代社会を教えてやる。とりあえず、コンビニ行くぞ。」
「コンビニ…? それは何だ?」
二人は近くのコンビニへ向かう。自動ドアが開き、涼しい空気が流れる中、歩は驚きの声を上げた。
「ここは…まるで異世界の宝庫だ!」
「おいおい、ただのコンビニだぞ。大袈裟すぎだろ。」
零士はアイスケースを指差し、抹茶ソフトを手に取るよう促した。
「これ食ってみろ。現代の文明の味だ。」
「抹茶ソフト…それは何だ?」
「甘いアイスだよ。まぁ、食ってみりゃ分かる。」
歩は慎重にそれを手に取り、零士は自分用のガリガリ君を購入。そしてレジに向かう途中、歩は「セルフレジ」に目を奪われた。
「これは…魔法陣か? ここに品物を置くと支払いが済むのか?」
「だから魔法じゃなくて機械だって。俺がやるから見てろ。」
再び公園に戻り、二人はベンチに座ってアイスを食べ始めた。歩は一口食べて、目を見開いた。
「これは…! 甘味の極みだ!」
「だろ? こっちは甘いもんでストレス発散するのが常識なんだよ。」
「ストレス…それは戦闘による疲労のようなものか?」
「まぁ、そんな感じだな。けど、異世界と違って、こっちじゃ戦闘なんてできねぇからな。」
零士はアイスをかじりながら、どこか遠くを見るような目をしていた。
「こういう小さな楽しみがないと、やってられねぇのが現代ってもんだ。」
歩は黙って頷きながら、また抹茶ソフトを一口かじった。
空が夜に包まれる頃、零士が立ち上がった。
「じゃあな、勇者。俺は帰って寝るわ。」
「貴様、意外と勤勉だな。」
「そうかもな。じゃあな。」
零士の背中を見送りながら、歩は静かに呟いた。
「この世界もまた、一つの冒険だな…。」
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