星降る夜に、君とダンスを踊ろう

Lesewolf

第1話 お転婆令嬢、家を出る

 冬には雪が降りしきる北方地域、ノルトハイムの初夏の6月は涼しくも過ごしやすい気候であり、この時期は観光客も多く訪れる美しい、よくある田舎町。そんな町一番の屋敷に住む私の名は、クレア・シルフィード。バルコニーで優雅にお茶を嗜んでいる今がまさに至福の一時。


「あら、このクッキー美味しい」


 ラズベリーの香り漂うクッキーは、シェフ得意の一品だろうか。最近になり、メインシェフが引退し、新しい若者がメインシェフに就いたが、焼き菓子作りを得意としていると聞く。可愛らしいクッキーは、一つ一つが丁寧に作られているのがわかるし。動物の形をしたクッキーには、アーモンドが散りばめられている。見ても食べても美味しいだなんて、私だけが食べるだけなのが勿体ないわね。


「これなら、マドレーヌとかも頼めばよかったわ」


 控えている執事の視線に注意しながら、お茶を口へ運ぶ。仕草には定評があるとはいえ、油断しているとボロが出てしまう。私はあまりに普通の令嬢と違っていた。自分でいうのもなんだけれど、大人しく収まっていられない性格なの。

 さて。そろそろ、この至福の時間も終わりを告げてしまう。何故かと言えば、定期的に届くとある手紙が届くからよ。


「クレア様、お手紙です」

「……やっぱり」

「あからさまに、面倒臭そうになさらないでください」


 メイドのベッキーが後方に控えている執事に目配せした。執事の小言など、とっくに聞き飽きている。どうせ、その手紙は色欲伯爵からの封書なのだから。美しくも田舎の令嬢相手に手紙を送るなど、色欲伯爵くらいなのはわかっている。田舎過ぎて友達も出来ず、寂しい思いをしている事を突いて来るから厄介だわ。


「どうせ、ルドルフ伯爵でしょ?」

「はい」

「はあ…………」


 ベッキーの方が面倒くさそうな表情を浮かべながら、手紙を手渡してきた。手紙にはルドルフ伯爵家の印が入れられていたから、私は見てすぐわかるように、げんなりとしてみせた。この家紋、見るだけで吐き気がするのよね。ルドルフ伯爵は45歳を迎えたというけれど、私は18歳。どう考えても可笑しいのよ。この色欲伯爵め!


「はあ。やっぱり。……ルドルフ伯爵じゃないの」

「お返事、頑張ってくださいね」

「はあ。折角の美味しいクッキーが台無しね」


 私は封を乱雑に開けると、手紙を読み始めたのだけれど。


「なにこれ」


 私は絶句したまま、固まってしまった。ベッキーが思わず声を掛けるまで、私は石ころにでもなってた気分だった。私はすぐにベッキーではなく、後ろに控えていた執事ダニエルを手招きすると、その手紙を押し付けた。


「私めが読んでよろしい内容でしょうか?」

「小言が言いたいなら聞くから、読んで頂戴」

「……ふむ。拝見いたします」


 ダニエルはルドルフ伯爵と同年代だから、この手紙の異常さに気付いてくれるはず。気付かなかったら、お父様に話して私専属の執事を交代させてやるわ。私は更に憤慨した態度で、ダニエルが手紙を読む姿を見ていた。ダニエルの顔色が徐々に青ざめると、珍しくため息をついた。


「はあ……。これはまだ面倒になりましたね」

「どうなさったのですか?」


 ベッキーだけが訳が分からず、ワタワタしている。執事からの目配せに、私は黙って頷いた。手紙はベッキーの手に渡り、ベッキーは手紙を指でなぞりながら読み進めていった。


「……であるからして、この度クレア嬢を嫁入りさせる準備が整った…………。ええ、嫁入り⁉」

「はあ。何考えてるのかしら、あのおじさん」

「困りましたね……。伯爵家の申し入れを断るのは非常に難しく……」

「あら。私が断りたいって思ってくれているのね、ダニエル」


 ダニエルはため息と共に、手紙をベッキーから受け取った。手紙の後半はいつものように、クレアを褒めたたえる詩で溢れかえっている。読む必要なんてものはなく、いつも後半は読んだことない。


「とにかく、お父様に断りもなしに連絡してくるなんて、失礼にもほどがあるわ。よっぽど私が惚れているとでも思っているのかしら」

「そうでもないかもしれません」


 ダニエルが青ざめたまま、口元の髭を摩りながら視線を逸らしていく。いやな予感しかしない。


「どういうこと?」

「実は、この手紙は先ほど屋敷に来られた伯爵から直々に受け取ったものなのです」

「はあ⁉ あの伯爵が、うちに来た⁉」


 ダニエルはバルコニーから見える庭先を指した。庭の先の門には、荷車が止められている。


「嘘でしょう? 今来ているの⁉」

「旦那様とお話されております。以前からの約束だったようですが、お聞きになられておりませんか?」

「聞いてないわよ!」


 つまり、今現在お父様とルドルフ伯爵は婚姻の話をしている。金儲けに目のないお父様が、この話を断るわけがない……。冗談じゃないわ! 誰があんな色欲伯爵に嫁ぐものですか!


「失礼いたします」


 メイド長のアネットがバルコニーまで現れた。もう駄目だ、アネットは基本的にお父様の味方なのである。


「クレア様、旦那様がお呼びです」

「行かないわよ」

「クレア様……!」

「アネット、貴女は手紙の内容も、呼ばれている内容も知っているんでしょう!」

「ッ……。クレア様…………」


 アネットは首を横に振ることしかせず、真っ直ぐと私を見つめてきた。


「お断りするにしても、一度会わなければなりません」

「嫌よ」

「クレア様!」

「それが私の答え! そう言って頂戴。私は部屋に戻るわ。伯爵はお父様の部屋のままよね?」

「クレア様、お待ちください……‼」


 待つものですか。私はロマンチックな恋をして、素敵な人に嫁ぐんだから! それくらい夢見たっていいじゃない。


 私は元々一人娘で、お父様の跡を継ぐように教育されてきた。でも5年前に弟が生まれて、それは一変した。私は勉強せずに済んだけれど、お父様は私の結婚相手探しに夢中になっていった。こんな田舎の令嬢に浮いた話もなく、婚約者もいない。婿候補といって何度か候補は上がっていたが、お父様のお眼鏡にかなわなかったのだ。所謂、お金の問題だ。


「とにかく、私は結婚しないから! お父様にもそう言って頂戴!」


 私は部屋に籠ると、急いで荷造りを始めた。お父様が断るとは思えないし、何よりあの色欲伯爵が諦めるとは思えない。絶対に見つからない場所へ逃げなくては……。


 部屋の窓を覗くと、まだ色欲伯爵ルドルフは屋敷にいるようだった。粘っているんだろう。冗談じゃない。


「今のうちに、庭園から逃げてやるわ……」


 私は持てる物だけ持つと、屋敷を後にした。一生を屋敷の外で暮らすつもりはない。ただ単に、当面をしのぎ、拒絶しているという真意が伝わればいいと思っていた。それが浅はかだったのに気づくのは、町に着いてからだった……。

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