きみがそう言うなら、まあ

箱女

ギャンブル性のない大勝負

「プリフロップ・オールインはあまり好きじゃない。対話の拒否かなと思うんだよ」

 三品糸みしないとは気だるげにこぼした。よほど面白くない思い出があるのだろう。素人を相手に我慢ができないほどなのだから。彼女の目の前に座っている聞き手はテキサス・ホールデムはおろかポーカーの知識についてもはっきりとした自信を持っていない。役をすべて答えろと言われても詰まってしまうくらいには疎かった。糸の言葉の指すところが修治にはほとんどわからない。

 糸は机の上のいちご牛乳を指で叩いた。紙パックが情けない音を立てる。

「戦術として否定はしないけどね。場が煮詰まれば他に選択肢がないこともあるし」

「何の話だよ。オールインはまだ聞いたことあるけどよ」

「ああごめん、ゲームの進行の話だったね」

 そう言って糸は自分の手元にある二枚、次に修治の前にある二枚のトランプを指さした。

「私たちに配られる手札は二枚。でもポーカーの役は五枚で完成する。さあ修治。どういうことかわかるかい?」

「わかるか! こっちは素人だっつってんだろ!」

「これくらい察してくれないと困るよ、今後の人生」

「なんでお前に人生の心配されなきゃなんねえんだ……」

 修治の返答に糸はじっとりした視線を向けた。込められた思いは期待外れの四文字だった。修治にしてみればたまったものではない。いきなり呼び止められたと思えば知らない話に付き合わされて失望までされたのだ。理不尽だと主張しても誰も文句はつけられないだろう。そんな修治の心情など知らぬげに糸はため息をついて説明を続けた。

「場札。私たちプレイヤー全員が使えるカードがあるんだよ。その場札とそれぞれに配られた手札を組み合わせて役を作るのさ」

「全員? 一対一でやるんじゃねえのか」

「最後はね。テーブル単位だと六人から十人のあいだで始めるのが主流かな」

 糸は二枚の手札を誰も座っていないほうに向けて四組伏せた。糸本人と修治を合わせるとプレイヤーの数は六人ということらしい。六人を想定したのは彼女にとってこの人数が馴染んでいるからかもしれないし、敵が少ないほうがラクと考えたからかもしれない。

 修治はじっと黙って糸の手がトランプを操るのを見ていた。彼女の話を途中で遮ろうとしたところで無駄だと修治は知っている。こんなシチュエーションは一度や二度ではないのだ。

 やがて糸がテーブルの中央に五枚の裏返しのトランプを並べ終えた。さあ見ろ、とでも言うように手を左から右に流す。修治にとって見慣れた白い指先がほんの短いあいだだけ知らないものに見えた。

「この五枚が場札だよ。プレイヤー全員が使えるカード」

「おい待て。それじゃ合わせて七枚になるだろ」

「五枚を選ぶんだよ。手札と場札を合わせた七枚から」

 糸の表情が次第に笑顔に変わっていく。しかしそれは単に穏やかなものではなく、奥にぎらついたものの潜んだ野性的なものを感じさせる。すぐさま修治は理解した。糸の提示しているこのゲームは、その本質にそういった要素を含んでいるのだ。

 一拍。何かに納得してから修治は視線を下ろした。

 修治が裏返しのカードに目をやっているあいだ、糸は一言も発さなかった。自身の目の前の二枚も新たに配った場札の五枚も、どちらも何も語らない。カードは正体を明かしてはじめて意味を持つ。背を向けたカードはただの可能性だった。

「余った二枚は?」

「修治にとって余った二枚はそれ以外の意味はないよ。他の人にとってはそうじゃないかもしれないけど」

「は?」

「そこがミソなんだよ。修治からしたら要らないカードが他の人から見ると役の成立要素になってるかもしれないんだ。わかる?」

「さすがに聞かねえとわかんねえな」

 糸は頷いて、そして人差し指を立てた。

「たとえばフラッシュはスート、マークが揃えばいいんだから数字は小さくてもいいよね。他にもAとKの強いツーペアでも2のスリーカードには勝てないし」

「ああ、そう言われりゃ理解はできるな。ああそうか、難しいなこれ」

 修治の人差し指の爪がこつこつと机をノックする。その動作は無意識的で、クセに近いものを思わせる。思慮が生活のそばにあるのだろう。どちらかといえば強面の男だが、その姿は見る者に違和感を抱かせない。

 夕日が斜めに射して、窓のかたちに教室を切り取っている。影の部分は黒が濃く、もはや明るいどころか強烈な色に塗られた部分とで影絵に似た対比を演出している。教室には彼ら以外に誰もいない。ふたりが音を立てない限り静かだった。

「これをめくっていく過程で駆け引きが生まれる。対話だよ。賭け金をつり上げてもいいし、降りたっていいんだ」

「待て、降りられるのか?」

「もちろん。何でも勝負勝負ってなったらそれは運で決まっちゃう。面白くない」

 修治はもういちど考える姿勢になった。まだまだ情報は足りていないが、ゲームの骨格はおおよそ見えてきた。この段階なら考えを進められる部分も出てくる。かつて彼が遊んだポーカーは五枚の手札が配られて、それから一度だけ手札の交換ができるというものだった。もともと降りるなんてルールができるほど真剣な遊び方をしていないから比べるのも難しいが、それでも大きな差があるように修治は感じていた。

「じゃあ良い手が来るまでずっと降りてりゃいい。負ける確率はぐっと下がる」

「無論。でもみんなそれくらいのことは気付いてるよ。だからゲーム参加率は修治が思ってるより低い。簡単じゃないよね。あとはいわば席料とでも言えばいいのかな、座ってるだけで出さなきゃいけないチップもあるし、順番にチップを払わされる役割も回ってくる。意外とバカにならない」

「ふうん。意外と面白そうだな」

 それを聞いて糸の表情が一瞬だけうれしそうにほころんだ。しかし彼女の性質はそのままでいることを良しとしない。やさしく細まった目元はすぐに戻ってしまった。彼女が望むことと近道は一致していない。ふたりのカードは伏せられている。

 そして糸は静かにしている。修治の思考に介入しようとしない。さあ一緒に遊ぼうと誘わない。こうしたほうが効果的だと経験的に三品糸は知っている。

 修治は自分から見て五枚目の裏返しのカードを指した。

「勝ちが決まるのはやっぱり最後か?」

「三枚めくっただけで勝ちが決まることも少なくないかな。役って五枚で成立しちゃうからね。極端な話、ロイヤルフラッシュとか」

「それどうすんだ。勝ちました、って宣言すんのか?」

「違うよ。ワンゲームで強い役を作った人が勝つんじゃなくて、最終的に多くチップを奪った人が勝つんだ。だから早い段階で強い役とわかればうまくチップを搾り取ることを考える」

 手で雑巾を絞るような真似をしながら糸はぱっと笑んだ。言葉と表情はあまり一致していると言えそうにないが、あるいは彼女はそこに楽しみを見出しているのかもしれない。修治はそんな糸の表情と動きのアンマッチに注意を払わずに、また指で机を叩き始めた。情報が増えれば考えられることも増える。すくなくとも彼にとって糸の情報の与え方はちょうどいいものだった。

 またすこし静かな時間が過ぎると、修治が口を開いた。

「お互い手が見えないからブラフが成立するってことだよな」

「そうだね。相手が強い役の急所のカードを持ってるかもしれない。この心理だよ」

「じゃあいちばん最初にオールインしても面白そうだな」

「ええ? 私は賛成できないな」

「ビビらせてチップを奪うのはアリだろ」

 糸は長めの鼻息をついた。

「費用対効果の面でもおすすめはできない。たいていはさっさと降りられちゃってあんまり稼げないことが多い。ひどいと相手が強いカードを持ってることだってある。逆に乗られまくっても困るよ。仮にきみがAを二枚、最強の手札を持ってたとしても六人テーブルで全員が参加したら勝率はだいたい五割になるしね。いい手を持ってて駆け引きもなしで負けちゃったらバカみたいだろ」

「まあ、そうか。そうだな」

「対話さ。チップを通じて情報のやり取りをするんだ。たとえば私ときみとでね。そういう意味では人と人の関係に似てる部分もある。私が言葉できみに問いかける。それに対してきみが対応を決める。変わらない。その意味ではテキサス・ホールデムは私たちの関係と言い換えてもいいのかもしれない。私ときみが対話の末に勝負するかどうかを決めるんだよ。勝負っていうのは、まあ、言葉の綾かもしれないけど」

 最後のあたりはもにょもにょと声が小さくなって、彼女は窓の外に視線を投げた。糸の目に映る夕日は熱を凝縮したような赤に迫るオレンジ色をしている。それは多くの人が青春の色と言われて納得するような色だった。眩しく力強く、短くて印象に残る色だった。いつか人生のあるポイントで思い出しそうな色だった。

 そんな糸の様子を修治は不思議そうに眺めていた。

「いやふつうに勝負だろ。ゲームなんだしよ」

「いいんだよ、気にしない気にしない」

 いま思い浮かんでしまっているものを振り払うように糸は頭を振った。

「話変わるけどよ、勝てると思った場合のオールインはアリじゃねえ?」

「いま言ったことは別にしても、相手が乗ってくれればいいけどね」

「お前は?」

 そう切り返されるとは思っていなくて糸はびっくりした。返事をしなくちゃという焦りと決して動揺だけは悟らせてはいけないというプライドがせめぎ合って、三品糸に小声で呟かせるというかわいらしい成果を産んだ。

 きみがそう言うなら、まあ。

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きみがそう言うなら、まあ 箱女 @hako_onna

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