思い出ロウソク(孤独のカルアシリーズ)

@usunoromausu

思い出ロウソク 始

 ――いつからだろう。オレの頭の中に、のは。歳を重ねていくごとにソイツは、喰っていくんだ。思い出を、ぽりぽりと、音を立てて、止められない。

 昔は辛くなればすぐ、思い出の海に浸ることができたのに、今はほとんどが干上がってしまった。肝心な部分が抜け落ちてしまっている――だ。

 ただ黙って食われるのを見ているしかない。その結果、ほとんど齧り尽くされてしまい残った思い出の残骸、欠片、食いカス。嫌でもチラつく、残滓、残滓、残滓。

 気になって、気になって、気になって仕方ないのだ。だから今日も、始めようか。我ながら滑稽で笑えてくる、何千回目の負け戦を――

  

「ひゅーちゃんひゅーちゃん!      やろうよ!」

「あれ? もういっかげつたったの? じかんがたつのってはやいなー」

「ひゅーちゃんなんか、みずねえちゃんみたいなこといってる〜。へんなの〜」

「ぼっぼくはへんじゃないよ! それより、やろう?       」

「うん! じゃあきょうはー、ひゅーちゃんが     いってね」

「ええ!? このまえもボクがいわなかった?      」

「ちがうよちがうよ! このまえはあたし! ひゅーちゃんいくらおぼえるのがむずかしいからってズルはいけないとおもうよ」

「は、はい……」

「だいじょうぶだよね? このまえみたいに   をとべるとかいいまちがえたりしないよね?」

「ま、まちがえないから! ほらっ! いくぞ!」

「うん!」


 プツン――

 

 …………………………………………残念ながら、思い出はここで途切れている。以降に続くのは黒より黒い虚空だ。そのなかに登場するオレと燈火は、今よりずっと幼く見える。

 

 多分背丈からして小学二、三年生だと思う。かろうじて憶えているのは、燈火と手をつないでことだけだ。さっきの会話のことではない。

 もっと重要な言葉セリフ……しかしそれは齧られてしまった。とても大切で……忘れてはいけないはずなのに、悔しさすら忘れたのか、涙すら出てこない。

 今日も、ダメだったか――


    *

  

「それでは……はじめ!」

 

 同時に、四方八方からペンを走らせる音が聞こえた。あれからたぶん八年。高校二年生になったオレ(穂村日向ホムラヒュウガ 十六歳)は、テストに取り組んでいる。

 だがはっきり言わせてもらおう。今のオレには――やる気なんてない。周りの生徒のように殊勝に振る舞う理由がない。将来の目標が、ないから。


「退屈だ……」


 ただ無心で、ロボットのように問題に向き合うというのは、なんか癪に障るのでいやだ。

 オレは今、人生という名の問題に向き合っている最中なのだ。テストごときに邪魔されたくはない。もう一度さっきのように思い出を掘り返そうとして……やめた。

 こうゆうのはちゃんと時間を置いてからじゃないとうまくいかないものだ。何回も言ったはずなのに、あのときから変わらず未遂を繰り返している自分が嫌になる。

 ふとひゅーちゃん! と頭にこだまする大きな声の主――小鳥遊燈火タカナシトウカだ。話の流れから察している人が多いと思うが、その通りだ。オレは燈火が好きだった。

 

 ――ひゅーちゃんひゅーちゃん!      やろうよ! 


 あのとき燈火はなんと言ったのだろうか。わからない。わからないから気になってしまう。だがわかったところで……どうにもならないこともわかっている。

 なぜなら、燈火は六年生の冬休みが終わる直前、中学校の制服を着ることができずに――。路面が凍ってブレーキが利かなくなったトラックに撥ねられたらしい。


「……ッ!」


 何千回目かわからない悔しさが、ほんの一瞬だけよみがえる。無意識にペンを握る力が強くなる。小学生のころは、放課後必ず燈火の家で遊ぶのが日課になっていた。

 テレビゲームやボードゲームなど一通りの遊びは網羅したかもしれない。かもしれないなんて言葉セリフを使うってことは、齧られていて思い出がはっきりしないということだ。

 自分が腹立たしい。目一杯遊んで、すごく遊んで、このまま中学生になって、高校生になって、それから……と、関係が続くものだと思っていた。

 でも、神様に取り上げられてしまった。。返してほしい。それはオレの記憶で、たとえ神様であってもそんな横暴が許される理由にはならないはずだ。


 オレはギリッと、教室の天井を睨んだ――


    *

 

「テスト、全然だめだったな……」

 

 まるで他人事のようにつぶやきながら、放課後昇降口を出る。特に部活動に入ってるわけでもないので、このまま真っすぐ家に向かっている。

 ふと横を、笑顔で雑談しながらカップルが通り過ぎていった。オレも本来ならそうなっていたはずだと、なにも繋がれていない手を見て……虚しくなった。


「制服姿、見たかったな……」

 

 燈火とは、小学二年生のときのクラス替えで、席が隣同士になったことで知り合い、その年のうちにオレたちは相思相愛の関係になっていた。我ながら早すぎると思う。

 だがそれには理由があった。それはお互い、周りの人に馴染むのが得意ではなかったからだ。要するにただの口下手ということだ。

 人の輪から外れた者同士、出会って、そして……好きになったのは必然だったかもしれない。その気持ちを死んでから五年経った今でも、引きずり続けている。

 ひゅーちゃん! とオレを呼ぶ声は、今日のようにたまに頭の中に響いてくる。そしてそのたびに湧き上がる喪失感、虚無感、不快感。だがそれを受け入れている自分。

  

「オレの時間は、あの日からずっと……」

 

 燈火がいれば、なんて今まで飽きるほど考えた。しかしやめることはできないのだ。なぜならさっきも言ったが、理由はたった一つ――気になって仕方ないからだ。

 いつの間にか日課になっていた、思い出の掘り返し。オレはおそらくこれからも、そんな馬鹿なことを続けていくだろう。それこそ、思い出すそのときまで。


「どうして、思い出せないんだ……?」

  

 そんなパッとわかるはずのない質問をぶつけながら校門をくぐった直後――先輩。と声をかけてくる女生徒がいた。いつもの小さく、今にも消えそうな暗い声。

 ヘアゴムで留めた二つの髪の束を両肩に垂らしている。全体的にキリッと鋭い目つきによりクールな印象だが、きつく真一文字に結んだ唇は桜色であでやかに映る。

 付き合いだけでいえば燈火より長く、幼稚園からの関係だ。それも家族ぐるみで仲が良いからだろう。

 よく合同でキャンプやホテルに行っていたのを覚えている。 

 

「廉夏か……」

 

 直後、まるで内面を見透かされたような錯覚に襲われ、オレは視線から逃げるように家路につこうとしたら――グイッとブレザーの裾をつかまれた。しばらくの沈黙。 

 周りの生徒は次々と帰っていくなか、オレは指一つ動かせなかった。いや、動かさなかった? 

 よくわからない。振り切って帰ってしまえばと思う。最初に喋ったのは、一つ下の後輩である流川廉夏ルカワレンカだった。

 付き合いだけでいえば燈火より長く、幼稚園からの関係だ。それも家族ぐるみで仲が良いからだろう。よく合同でキャンプやホテルに行っていたのを覚えている。

 

「待ってください。今日もその……行きますよ」

 また始まってしまったと、内心落ち込んでいた気持ちがさらに株価が下落するようにして下がっていく。

「…………」

 

 オレはその問いを返すことなく、廉夏に連れられるがままにいつもの場所へ向かった。着いたのは、学校で一番近くにあるコンビニエンスストアのセコイマート。

 入った瞬間、もはや別世界かと疑うほどに寒気のする冷房が、絶えず稼働していた。すでに店内は、放課後なだけあってほとんどが学生で埋め尽くされている。


「先輩は外で待っててください」

「……ああ」

 

 本当は冷房に当たっていたかったが、言われた通りにする。我ながらなにやってんだと思いつつ、すっかり高校二年生になってからの、このルーティンに馴染んでいた。

 車止めに座ってしばらく待っていると、廉夏がレジ袋を携えて戻ってきた。いつも固く閉じられている口が、このときだけはいつもわずかに綻んでいる。


「いつもの場所でいいですよね?」

「……ああ」

「……行きましょう」


 目的地はかつての思い出の場所であると同時に、齧られた記憶が想起して苦しい。

 にもかかわらずほぼ毎日ここに来るのは、性懲りもなく思い出そうとしているからだ。

 五分ほど歩いて着いたのは、雑木林のど真ん中にある寂れた公園。雑草は生い茂り、遊具の手入れなどは、見る限りほとんどされていない。カサカサと風で葉が揺れる。

 ぽつんとぼろぼろな電灯の下に、ベンチが一つ設置されている。いつものポジションだ。ドサッと腰を下ろしたあと、隣で袋の破ける音が聞こえる。

  

「先輩、これ」

 

 素っ気なく渡されたものは、先ほどコンビニで買ってきたであろうチョコロールパンを、半分にちぎったものだった。廉夏の大好物で、放課後は決まって買っている。

 オレはパンに口をつける。口の中にモチッとした食感と、直後にチョコがクドいほどに甘ったるさを主張してきた。今は美味しいが、しょっちゅうとなるとしんどいな。


「……よく飽きないな。たまには違う味を食べたいとか思わないのか?」

「生地のモチモチ感がいいじゃないですか。それにチョコは、人類がもたらした究極の菓子です」

「……大げさだな」

  

 あっという間に完食したが、その後になにかをやるわけでもない。ただぼんやりと、誰が使っているわけではない錆びついた遊具を見つめるだけの時間。

 そうしてしばらくすると、よみがえる三人で遊んでいたころの思い出。泣き虫の廉夏、天真爛漫だが泣き虫でもある燈火、そしてオレ。まだ齧られていない思い出。

 鉄棒の練習をしていた廉夏が失敗して足を擦りむいてしまい、盛大に泣き出しててしまったときのことだ。

 そのときにオレは、なにを思ったのか……

 

「にぃに、いたい……いたいよぉ……!」

「こまったな……とうか、ばんそうこうかしっぷもってない?

「も、もってないよ! でもいえにとりにいくと、すごくじかんかかっちゃうちゃう……どうしよう……」

「ひっぐっ……ひぐ……いたいよにぃに……なんとかしてよぉ……」

「うーんなんとか……よぉしそれなら――そぅら、たかいたかーい! たかいたかーい!」

「…………なん、て」

「…………ひゅーちゃん……」

「…………ヒッグッ……わ、わたしは……あかちゃんじゃないよぉ……にぃにのバカァ!!」

「ふがッ!!」

  

 あのときは、たとえ時間がかかっても家に帰って絆創膏や湿布を取りに行くべきだったのに、余計なことをしたせいで泣きながら廉夏から蹴りを食らってしまった。

 二度と戻らないからこそ過去は美しく見える。だがその美しいはずの記憶のなかにいる燈火の顔は……蟲に齧られていた。今日も思い出そうとして、失敗した。

  

「先輩、一ついいですか?」

「わっ……あ、どうしたの?」


 オレが少し驚いてしまったのには理由がある。

 いつもならこうして過去の記憶を掘り返していると、気を使ってくれたのか廉夏はいつの間にかいなくなっていることが多いのだが、なぜかまだ隣に座っていた。

  

「例えばラーメン屋に行ったとして、先輩はその店オススメのラーメンを食べますか? それとも自分の好きな味のラーメンを食べ続けますか?」

 ? 質問の意図がわからない。できれば放っておいてほしいのだが、オレは素直に答えることにした。

「……どう、だろうな。その日の腹の調子もあるし、そうゆうのは気分次第だろ?」

 眉をひそめながら答えると、廉夏は無表情を崩さぬまま、

「私は、どんなラーメン屋に行っても必ず味噌ラーメンを食べるようにしています。というより、味噌ラーメン以外のラーメンをラーメンと認めていません」

「過激派だな」

「それじゃ聞こえが悪いです。一途って、言ってください」

 

 と、言った廉夏が、一瞬はかなげに笑ったような気がした。オレは頭をもたげて浮かぶ雲に視線を移す。ちぎれた雲の間に見える太陽が眩しい。

 でもすぐに見えなくなってしまう。ふと隠れてしまった太陽について考えた。

 燈火が死んでしまって以降、太陽のように輝いていたはずのオレの人生は、いつの間にかすっかり雲が覆い尽くしてしまった。一寸先は闇と言うが、オレの場合は灰色だ。

 いつかこの灰色は、オレの前から消えてくれるのだろうか。いやそもそも、。だってあんなに大切で……でも忘れちゃって……尊い思い出の……


「先輩……」

「――ッ!!」

 

 スッ とオレの手に廉夏の手が重なる。フニッと沈むように柔らかくて、繊細ですべすべしてて、温かくて、でも少しひんやりしている不思議な感触。

 ずっとこうしていたいと思ったのも束の間、オレの意図せずして、欠けたはずの記憶の断片が、まるで通勤ラッシュで電車に駆け込む乗客のようにして流れ込んできた。

 ほんの一瞬のはずだが、その刹那に数え切れないほどの思い出がフラッシュバックする。燈火の笑った顔、怒った顔、泣いた顔。久しく忘れていた大好きな人の顔。

 手を伸ばそうとしたのもつかの間、まるでオレの目の前を新幹線が通過するようにして、遺ったのはうるさいくらいの静寂。急に切なさが胸にこみ上げてきて、気づけば、 

 

「離せッ!!」

「あっ……」


 とっさにオレは手を振り払っていた。まだ重ねられた部分の感触が、温度が残っていて、今はものすごく不快に感じた。早く消えてくれと何度も唱える。

 廉夏の顔を見ることなく、オレはその場をあとに……できなかった。なぜなら、腕をガッシリとホールドされてしまったからだ。ゆっくりと諭すような声色で、

 

「今日もまた、思い出してたんですか?」

「…………どうして、」

「甘々ですよ、先輩。離れた時期もありましたが、何年一緒にいたと、思ってるんですか」

「…………」

 しばらく間を置くと、なぜか急に廉夏がごめんなさいと謝ってきた。理由を聞くと、 

「私は……燈火姉ちゃんが死んで、先輩が一番苦しい時期にそばにいられなかった悪い子、だからです」

「それは……仕方ないだろ。父親の仕事の都合なんだから。少なくともお前は悪くない」


 燈火が死ぬ数ヶ月前、廉夏の父親が転勤してしまったことにより、家族は引っ越しを余儀なくされた。

 今でも思い出せる。離れたくないと泣き叫ぶ廉夏の顔が。ある日から露骨に嫌っている態度を取ってきたのに、その日だけは手のひらを返したように泣いていた。

  

「……そう言ってくれて、嬉しいです。でも、もう一つあるんです。私が悪い子な理由」

「……! 廉夏、ちょっと待――」


 ボフッ と後頭部に両腕を回され、そのまま廉夏の胸の中に顔を埋めている大勢になる。

 なにも見えない視界のなかでは、ふんわりとかすかに甘い匂いを嗅いだせいで意識がボヤけてしまう。暗示をかけるように、誘惑するようにして頭の上から声がした。

 

「燈火姉ちゃんから奪ってもいいですか? 先輩のこと。過去を眺めながら後ろ向きに進むの、もうやめてほしいです。代わりに、私を……」

 

 両頬を手で押さえながら、廉夏はまっすぐにオレを見つめてくる。校門で見たときは冷めきっていた目つきが、今は人肌のような熱を感じる。実に整った顔立ちだ。

 透明感のある瞳、綺麗に生えそろったまつ毛。なるほど、好きになりそうだ。。そんなことを思う自分に腹が立った。でもそれが、真実なんだ。

  

「…………やめろ」

「初めて会ったときからずっと、先輩の――」

「やめろって言ってんだろうが!!」


 思わず加減を考えず叫んでしまい、すぐに自分が犯した過ちに気がつく。両頬に添えられた手がだらりと落ち、目の前には今にも泣き出しそうな顔をした廉夏がいた。

 テレビの裏側の配線コードみたいに絡まった感情が、痛いほどに伝わってくる。オレのせいだ……オレが引きずってばかりに……でも気になって、気にな――


「クソッ!!」


 オレは逃げた。両手で顔を覆い、立ち尽くす廉夏を置き去りにして、脇目も振らずに駆け出した。屑だ、惨めだ、最低だ。

 一人暮らしをしているアパートに飛び込むようにして入る。鍵を閉めた直後、玄関に仰向けで倒れる。オレは胸の中にある黒い水を掻き出すようにして一言、


「なんで、忘れちまったんだよぉ……!」

  

 廉夏の言葉セリフがよみがえる。正論だ。あまりにも正論だ。もうすぐ五年が経とうとしているにもかかわらず、オレはいつまでもいつまでも未練がましくて……情けない。

 でも……仕方ないじゃないか。頭の中に失くしてしまった思い出が、齧られた燈火の顔がチラついて、離れなくて、気づけばオレは、燈火の思い出に囚われている。

 まるで牢獄だ。前に進みたい気持ちはあるが、できることはガシャガシャとネズミ色に錆びついた汚い格子を鳴らすことだけだ。

 目からは悔し涙が溢れてくる。泣きつかれたはずなのに、律儀に何度も何度も。馬鹿みたいだ。あぁ、どうか、記憶を……

 

「思い出すことができれば、前に進めるのに……!」

「できるヨ。僕にかかればね」

「――ッ!!」


 驚いて立ち上がると、なぜか家の中にスラッとモデルのように細身で、黒いシルクハットを目元が隠れるほど深々と被っている少女が立っていた。

 唯一見える薄桃色の口元はニヒルな笑みを浮かべていて、美しくもどこか不気味でつかみどころがない印象を受けた。

 服装は真っ白なショートトレンチコートに、白黒のチェック柄のネクタイ、そして同じ配色のチェック柄のミニスカート。

 オレの物語タビジが、音を立てて動き始めた――

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