キズアト

七草葵

キズアト

「あぅ……んっ、そこ……」

「ここ? 痛いですか?」

「ううん、ちがくて……そこ……か、感じる、の……」

 雪野さんの反応の言葉に笑みを隠し切れなくなりながら、私は愛撫を続ける。

――私の好きな雪野さんは、盲腸の痕が性感帯らしい。

 透き通るように白く、きめの細かい肌。どこを触っても、指先を柔らかく受け止めてくれる。そんな彼女の身体の中で、唯一硬く浮き上がっている、一本の傷跡。直線ではなく、ねじれて歪んだそれは、雪野さんが唯一受けたことがある手術の痕だ。うつくしい雪野さんの身体の中で、唯一の醜いその場所が彼女の性感帯なのだと思うと、そのことにひどく興奮する。知らないふりをして、何度もその場所をなぞり、彼女から甘い声を引き出す。このセックスが終わった後、雪野さんを駅まで送った後、きっと自己嫌悪で死にたくなる。分かっていても、やめることができない。


 彼女が彼氏に振られた夜。弱みに付け込んで迫って以来、ずっとセフレとしての関係を続けている。

 セフレといっても、セックス以外の用事で一緒に遊んだりするし、むしろその方がずっと多い。普通の友達だけど、たまにセックスする関係、と表現した方が正しいのかもしれない。

 今日も、お互いの自宅からほぼ中間地点のとある駅で待ち合わせをしている。雪野さんとのデートだから、今日は気合いを入れてきた。とっておきのデパコスを使って、特別な日のために買ったブランドものの服を着て、約束より20分も早く待ち合わせ場所に立っている。デートだと思ってるのは私だけだって、分かってはいるのだけど。

「お待たせ」

 春の日差しみたいに温かな声とともに、雪野さんが現れる。品のあるお化粧、露出の少ない清楚な服。今日も雪野さんはきれいだった。眩しいくらい。彼女の隣にいるために、必死に取り繕ってなんとか体裁を整えている私とは大違いだ。

「わあ、スカートとっても素敵だね。いつも可愛いお洋服で、すごいなぁ」

「雪野さんだって可愛いですよ」

「ふふ、本当? これ着るの、今日が初めてなの。変じゃない?」

 その場で、くるんっと回って見せる。ロングスカートがふわりと舞って、まるでおとぎ話に出て来る妖精さんみたいだった。

「お尻のところに値札が付いたままです」

「えっ、本当!? 取ってくれる?」

 セフレ相手に、無防備にお尻を向けてくる。雪野さんの無邪気さが可愛くて、ちょっと憎たらしい。

「嘘ですよ」

 わざと冷たい口調で言うと、雪野さんは困ったようにおろおろした。「なぜか私を怒らせた」と考えて、不安になっているのだ。優しい雪野さん。いじめ甲斐があって大好きな雪野さん。でも、嫌われるのを恐れているのは私の方だから、必要以上に困らせたりしない。

「ほら、カフェの入店時刻もうすぐですよ。行きましょう。予約取るの、大変だったんですから」

「あっ、そうだよね。行こっか」

 雪野さんはほっとしたように表情をほころばせた。やっぱり、笑顔の彼女が一番可愛い。

「あれ、雪野さん?」

 カフェから出た後。なんとなく街中をうろうろしていた私たちは、背後からの呼びかけに振り返った。男三人組が立っている。その中の一人に、雪野さんが笑いかける。どうやら知り合いのようだ。

「偶然だね。お買い物?」

「うん。俺、この辺に好きなブランドの路面店があって。雪野さんも? そっちは友達?」

 少し早口な、矢継ぎ早の質問。緊張しているのが見てとれる。雪野さんに対して、好意を持っているのを隠そうともしていない。羨ましくて妬ましい。ここで「はい、セフレです」と答えたらどんな反応をするか、試してみたいような気になる。

「そう、大事な子なの」

「ふーん……? そうなんだ、よろしくね。俺、雪野さんの同僚で」

「……はあ、どうも」

 男のプロフィールなんてみじんも興味がなかった。それよりも、男も違和感を持ったらしい雪野さんの受け答えの方が気になってしょうがない。友達でもなく、わざわざ『大事な子』なんて言い方で友人を紹介するものだろうか?

「良かったらこれからみんなで食事にでも行かない? みんないい奴らだし。この前の返事もさ、お互いのことよく知ってからの方がしやすいでしょ。俺のこと、もっと雪野さんに知ってほしいし……」

 チラチラと私の方を見ながら男が言う。明らかに、私からのアシスト待ちだ。優しい雪野さんは、友達が乗り気になれば断れないと踏んでいるんだろう。絶対に口を開くものか、と私は顔を逸らした。

「えっと……今日は、やめておこうかな。この後も行くところ、あるから」

 雪野さんは困ったように微笑みながら、やんわりと断った。私はひそかに優越感を抱く。自分の性格の悪さに一番笑ってしまう。

「じゃあ、行こっか」

「はい。雪野さん」


 しばらく歩いて、駅前まで着く。お互いに沈黙したままだった。いつもだったら雪野さんの方から、相手のことを説明したり、話題をあからさまに逸らしたり、無邪気に店先のディスプレイに気を取られたりするのに、今日はなぜか無言だった。

「雪野さん、今のよかったんですか?」

 仕方なくというか、間の持たなさに困って私の方から口を開いた。

「よかった、って?」

「だって、ほら……あの人明らかに、雪野さんのこと狙ってましたよね。むしろ、告白済みみたいな会話だったじゃないですか」

「……うん」

「雪野さん、前の彼氏と別れてから結構経つし……そろそろ彼氏とか、欲しいんじゃないですか?」

 もともと私とのセフレ関係だって、雪野さんに次の彼氏が見つかるまでのつなぎみたいなものだ。雪野さんは男が好きなんだし、それを否定する気はない。少しの間夢を見せてもらえただけでも、私は幸せだと思わなくちゃいけないんだから。

「いいの。もともと、断るつもりだったから」

「えっ?」

「それより、この後……ね、おうちに行ってもいいかな?」

 雪野さんはちょっぴり頬を染めて、そんなことを言う。

「……この後行くところって、私の家のことだったんですか?」

「う、うん……だめ?」

「別に、だめじゃないですけど。雪野さんって、意外と計算高いんですね」

「えっ!? そ、そうかなぁ……」

 私のちょっと冷たい言い方に、雪野さんが慌てる。綺麗な形の眉がちょっとハの字になるのが可愛い。

 前の彼氏と別れて以来、雪野さんがなかなか新しい恋人を作らない。

 だからちょっとだけ、期待してもいいのかな、なんて思っている。

 雪野さんには絶対に言わないけれど――私は彼女のことが好きだから。雪野さんの性感帯を知る最後の一人が、私であることをひそかに願ってしまう。

 それでも今夜だって、雪野さんを見送った後、死にたくなるんだろうな、と分かっている。

――でもこの恋は、自分の心を傷つけるだけの価値がある恋なのだ。


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キズアト 七草葵 @reflectear

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