メイドさんに恋するお嬢様の話

七草葵

メイドさんに恋するお嬢様の話

「今日の紅茶もすごくおいしいわ。あなたが淹れてくれる紅茶はいつも私好みの味ね」

「身に余るお言葉ありがとうございます」

 主人から褒められても表情ひとつ動かさず、ロボットのように定型文じみた礼を述べる。そんなメイドの反応を見て、主人はわずかに表情をくもらせたものの何も言わなかった。しばしの沈黙。宝石のように美しいお菓子たちが並ぶ皿を見るともなしに眺めつつ、主人はかすかに嘆息する。物憂げに紅茶をひと口飲み、ちらりとメイドを見る。メイドは主人の視線には無反応だった。気付いてはいるはずだが、そのそぶりは見せない。何か反応を欲している視線であればすぐに反応するはずだ。彼女はとても優秀で、だからこそ主人の一挙一動に対して無駄な反応をすることはないのだった。そんな完璧さを前にして、再び主人は吐息する。

「紅茶の淹れ方を習おうかしら。隣町のリーザ嬢は先月パンケーキを習ったそうよ」

「それは私の仕事です。私が不要になりましたら、いつでも習ってください」

「いじわるを言わないで」

 主人は拗ねて、それきり口をつぐんでしまった。メイドはいつになく迷ったように、唇を何度か開きかけたが、結局は元の姿勢に戻った。背筋をピンと伸ばし、主人の邪魔にならないようそっと控えて、命令を待ち続ける姿勢に。彼女の所作はどこか機械じみた隙の無さがあったが、それゆえに気品があった。

 主人はティーカップにある琥珀色の鏡面にメイドの姿を映し、ひそかにそれを見つめる。家柄も、財力も、権力も、教養も、全てにおいて恵まれた立場にある主人ですら、メイドのこととなると悩まずにはいられなかった。彼女のメイドは、それほどまでに魅力的だった。


* * *


 彼女がメイドと出会ったのは、十年ほど昔。家庭教師による授業が始まるより少し前のことだった。家柄や自分の立場をきちんと理解するためにも従者が必要である、という父親の教育方針によりそのタイミングで専属の従者が与えられた。それまで身の回りの世話は、屋敷にいるメイドが持ち回りで行っていた。彼女は生まれ持っての天真爛漫さで、たいそう周囲から可愛がられていたため専属の世話役ができるとあって悲しんだ者も少なくなかった。彼女は屋敷で働くすべての人々を愛していたし、屋敷で働くすべての人々も彼女のことを愛していた。

 ただ、彼女の専属となったメイドだけは違っていた。

 彼女が違和感を抱いたのは半年ほど前の事だった。あるお茶会の最中、一番仲の良い友人であるリーザ嬢から、恋愛相談を持ち掛けられたのだ。

「先日お庭をお散歩していたら、お兄様がご友人と狩りに出かけるところへお会いしたの。そのご友人の乗馬姿はとても凛々しくて、私ひと目で恋に落ちてしまったの。お夕飯もうちで一緒に召し上がられてね。私の知る誰より紳士的で、とても素敵な方だったわ」

 リーザ嬢のうっとりした表情に、彼女は少なからず羨望を覚えた。彼女たちはまだ社交界にデビューしておらず、素敵な男性に出会える機会などほとんどない。恋愛の話ができるのは大人の証拠であるかのように見えるのだった。

「あのお方と出会って以来、気分が沈みがちになってしまったの。女から恋心を打ち明けるなんてはしたないことはできないし、お兄様にご友人のことを尋ねたらきっと変に勘繰られてしまうし……なかなかお会いできなくてつらいわ」

「それは大変ね」と彼女はかろうじて言うことができた。リーザ嬢の表情は本当に苦し気だったからだ。

「またあのお方に会うにはどうしたら良いのかしら。ほんの数秒でもいいの。またお会いすることができたら……」

 そうしてしばらく、彼女はリーザ嬢が再び恋の相手に会う方法について話し合った。なかなか良い案は出なかったものの、友人は満足したらしく、話題は恋愛そのものの話へと移って行った。

「恋とは楽しいものだって、歌にはあるけれど。それだけではないのね」

「ええ、そうなの。私も知らなかったわ。あのお方のことを考えるだけで、胸がぎゅっと締め付けられるの。どきどきと鼓動が早くなって、全身が熱くなって……すっかりあのお方のことしか考えられなくなって、眠れない夜もあるのよ」

 リーザ嬢は、苦しみを語るにはどこか恍惚とした表情をしていた。

「あなたにもそのうち、そういう相手が現れるわ」

「そうかしら」

 彼女はそう応じつつ、ある予感を覚えていた。


 部屋を出て、控えていたメイドに帰宅を告げる。メイドはうやうやしく頭を下げ「承知いたしました」と言う。その声を聞いた瞬間、彼女は電流が走ったような感覚を覚えた。彼女がこれまでメイドに対して抱いていた感覚は全て、恋心だったのではないかと気付いた瞬間だった。

 彼女は幼い頃から自分の世話をしていたメイドに、恋をしていたのだ。


* * *


 恋心を自覚してからというもの、彼女は大いに悩んだ。自分が持って生まれた地位や立場、期待されうる行動や生き方、それからごく単純に、相手の感情の所在について。

――私にとっての『あのお方』は、私のことをどう思っているのか?

 彼女が頭を悩ませながら屋敷の庭を散歩していると、執事長に出会った。どうやら客人を招く際の動線を確認しているらしく、庭師と真剣な表情で相談をしている。執事長は彼女に気付くと、うやうやしく頭を下げた。

「誰かいらっしゃるの? お父様のお客様?」

「左様でございます。当日はお嬢様が主役ですから、素敵なドレスをご用意しなければなりませんね」

「今持っているドレスで十分よ。それより、どんなお料理が出るのかしら」

 無邪気な彼女に、執事長と庭師はどこか寂し気な笑みを浮かべた。

「お嬢様」

 メイドが慌てた様子で彼女の側まで来る。執事長に頭を下げ、彼女をその場から連れ去った。

「執事長はお忙しい方ですから、邪魔をしてはいけませんよ」

「そんなつもりはなかったの。ただ……」

「紅茶の淹れ方を聞いていたのですか?」

 メイドはどこか切羽詰まった様子でそう尋ねた。彼女はその表情の意味がくみ取れず、首をかしげるばかりだ。まるで悪い行いをたしなめるような口調だった。

「そうだとして、いけないこと? 執事長に聞きなさいと言ったのはあなたよ」

「それは、そうですが……」

 普段感情を見せないメイドが、多少なりともうろたえた様子を見せる。彼女はそのことに驚き、不思議と達成感を覚えた。長い間一緒にいる専属のメイドにも関わらず、表情の変化を見た記憶はほとんど無い。彼女は好きな相手の表情の変化を見ることが、こんなにも嬉しいことだとは想像したこともなかった。それがたとえ、狼狽の表情だったとしても。


 その日以来、彼女はメイドの表情を変化させる方法を一生懸命に探った。子供が親の気を引く方法を探る際のような無邪気さはみじんもなかった。その分、彼女は懸命に頭を絞った。

 作戦はなかなかうまくいかなかった。体調が悪いふりをした時はさすがに胸が痛み、数時間で計画を取りやめた。危険な遊びをするには彼女自身が臆病過ぎた。ヤキモチを妬かせようにも、メイドが彼女へどれほどの感情を持っているのか計りかねて計画倒れだ。初めての恋ということもあって、彼女はから回ってばかりだった。

 とうとう彼女の作戦は「他の使用人たちの仕事を学ぶ」ことに落ち着いた。メイドの表情の変化に気付いたきっかけも執事長との会話によるものだったし、使用人たちの仕事を覚えることでメイドを手伝えるようになるのも都合が良かった。メイドの仕事を手助けすることで、両親や兄姉との違いをアピールすることもできるし、家事を覚えること自体も新鮮で面白かった。そのうえメイドはいつもハラハラとした顔をしたり、眉根を寄せたりと表情の変化をあからさまに見せてきた。どんなに仕事を手伝ってもネガティブな表情しか見せないのは問題だったが、表情の変化を見られるという数少ない機会なので仕方がない。それよりも、メイドの仕事を減らすことでゆったりとした時間を二人で過ごせるだろう、という思惑が外れたことの方が問題だった。

「今日は私が紅茶を淹れるわ」

 午後の穏やかなティータイムに、彼女はメイドにそう申し出た。まだ練習中ではあったが、彼女の努力の過程をメイドにも知ってほしかったのだ。しかし、メイドは渋い顔をした。

「そんなに心配しなくてもいいのよ。執事長ほどじゃないけど、だいぶ上手くなったんだから」

 メイドの渋い顔を、味への心配だと決めつけて彼女は紅茶を淹れ始めた。茶葉の量からお湯の量に至るまで真剣に、丁寧に、執事長からの教えをたどっていく。彼女の一挙一動を、メイドはなんとも言えない表情で見守っていた。

「ほら、できたわ」

 彼女はメイドの分をテーブルの向かい側に置いて、椅子に座った。紅茶は今までで一番良い出来で、琥珀色の水面には濁りがひとつもなかった。

「飲んで感想を聞かせて」

 ドキドキしながら彼女は着席を促した。しかしメイドは、彼女のそばから少しも動こうとしない。口をぎゅっと閉じたままうつむいている。

「どうしたの?」

 不安になって彼女が問いかけると、メイドの表情は徐々にくしゃりと歪んでいった。そしてついには、目じりから涙がぽろりと落ちる。

「えっ!?」

 彼女は焦って、メイドに駆け寄った。涙が幾筋も落ちていく頬をぺたぺたと触る。

「泣くほど嫌だったの? 私の紅茶を飲むのは」

「嫌です……」

 ぽつりとメイドが言った。

「そ、そう……」

 まさかの返答に、彼女は少なからず怯んだ。「そんなにまずそうだったかしら……」

「おいしそうだから、嫌なんです」

 メイドは涙で震える声で、そうつぶやく。

「どうして私の仕事を取ってしまわれるんですか」

「どうしてって……」

「もう、私は必要ありませんか?」

 メイドはやっと彼女の顔を見た。涙にぬれた瞳は美しく、宝石のようだった。場合に似合わず、彼女は見惚れてしまった。

「このごろ、使用人たちから色々と身の回りのことを教わっていますよね。調理場にもよく足を運んでいると聞きました」

「そうだけど……それがどうして、あなたが必要ないってことになるの?」

「近頃、私は何もしなくていいとおっしゃることが多いですし……他の使用人とばかり話して、お忙しそうで……」

 彼女はメイドが険しい顔ばかりする理由にやっと思い至った。

「私がみんなに色々と教わってたのは、理由があって……。あなたが必要なくなるなんてこと、絶対にないわ」

 真剣な表情で、彼女はメイドを見つめた。自分の気持ちを真逆に捉えられたままでは我慢ができなかった。

「でも……」

 メイドは不安げに彼女を見た。鼻頭まで赤くして、幼い子どものような泣き顔を無防備に向けられて、彼女は動揺した。メイドは可愛らしかったし、泣き顔も新鮮だったけれど、見たいと願っていた表情ではなかった。

「それでは、なぜ急に他の使用人たちに仕事を教わったりなんて……」

「う……それは……」

 彼女は言葉に詰まった。正直に答えることは告白とほとんど同義だったが、今がその適切なタイミングとは思えなかった。

「……あなたの仕事を楽にしたかったの」

「楽に、とは?」

「あなたの仕事が減ったら、私と遊んでくれる時間が増えると思って……だから……」

 彼女がもそもそと答えると、メイドはその言葉の真偽を判断しようとするかのようにじっと見つめた。

「……あなたともっと一緒にいたかったの。だから、私には、あなたの事が必要なのは今もこれからも、ずっと変わらないわ」

 彼女のその言葉を聞いて、メイドはやっと表情を和らげた。

「一緒に遊びたかった、なんて……子供みたいなことを言いますね」

 メイドは目じりを赤くしたままで、優しく微笑む。彼女はその表情に見とれて、しばらく思考も停止してしまった。ただメイドの美しさに見とれて――自分の恋心を、さらに自覚したのだった。


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