こちらから婚約解消するわ!
神村結美
短編
昼食の時間ーー
食堂には学園に通う生徒たちが集っていた。
その一角には、ピンクブロンドの目立つ髪色をした小柄で可愛らしい令嬢と、それを取り囲む様に見目麗しい高位貴族の令息達が歓談しながら、昼食をとっていた。
そこに、1人の令嬢が近づく。彼女は背中を向けている男性の近くまで行くと声を掛けた。
「アーノルド殿下。お話し中にお邪魔して申し訳ございませんが、少しお時間をいただけますかしら?」
アーノルド殿下と呼ばれた男性は、振り返るや否や、不機嫌を隠さずに声を荒げた。
「なんだ! またリリーに酷い事を言うつもりかっ!」
声をかけた令嬢は、声を荒げられても一切動揺せずに、普通に返答した。
「いいえ、ご挨拶にまいりましたの」
「挨拶だと?」
アーノルド殿下は眉間にシワを寄せながら、訝しげにその令嬢を見遣った。
「えぇ」
微笑みながら、相槌を打った。そして、その令嬢は透き通るような声で、食堂にいる生徒達に聞こえるように、ハッキリと主張した。
「昨日を以て、私、ビアンカ・ペイリーと、アーノルド・パートランド殿下の婚約は解消されました! 今までありがとうございました。以後は、同じ学園の生徒の1人として、よろしくお願い申し上げますわ。それでは、失礼致します」
周りの生徒達は動きを止め、全員が固唾を呑んで、2人のやりとりを見守っていた。
「は?! なんだと、ちょっと待て!」
いきなりの宣言に混乱しつつも、アーノルド殿下は、ビアンカを止めようとするが、ビアンカは気にせず食堂を後にしようとする。
「おい、ビアンカ! 待て。婚約解消とはどういう事だ?」
呼び止められたビアンカは、足を止めて振り返る。
「アーノルド殿下。恐れ入りますが、私はもう殿下の婚約者ではございませんので、呼び捨ては止めていただけますか? 婚約解消については、陛下にご確認くださいませ。それでは、今度こそ失礼致しますわ」
サッとカーテシーをすると、ビアンカは足早にその場を立ち去り、アーノルド殿下は呆然とビアンカの後ろ姿を見ていた。
成り行きを見守るため、静寂を保っていたその場は、目の前の出来事に一気に騒然となった。もちろん、その日の放課後には、学園中にニュースが広まった。
最近何かと話題となっていた第一王子と公爵令嬢の婚約が解消されたことは、学園のみならず、社交界でも話題となった。
時は遡り、そもそもの事の起こりは、今年が始まった時からだった。貴族の令嬢令息が通う学園に男爵令嬢が転入してきた。彼女の名前は、リリー・オッグ。庶子で、父親である男爵に引き取られたため、学園に通うこととなった。
リリーは貴族令嬢とは違う素直さと純粋さを持っていた。右も左もわからず困っている彼女を助けたり、貴族令嬢達から虐められるのを助けたりしてる内に、高位貴族の令息達はどんどん彼女の虜になっていった。
高位貴族の令息達にはそれぞれ婚約者がいる。婚約者のいる男性に近寄らないように忠告する令嬢達も多かったが、礼儀作法を知らない彼女には伝わらなかった。それどころか、その様なマナーを教えていることに対しても、彼女の周りにいる令息達は、やっかみや虐めだと捉えるようになった。
もちろんビアンカもリリー・オッグに貴族として常識を教えるため、何度か丁寧に説明した。
リリーだけではなく、アーノルド殿下も諫めたが、何故かビアンカが、皆から好かれるリリーに嫉妬して酷いことを言っていると思い込んでいた。ビアンカとアーノルド殿下は婚約者でありながら、2人の仲は少しずつ険悪となっていった。
そして、ビアンカは決断した。
ビアンカは実は前世の記憶を持っていて、この世界が前世でプレイした乙女ゲームそっくりの世界であることを認識していた。ゲームでは、公爵令嬢ビアンカ・ペイリーは悪役令嬢として、ヒロインであるリリー・オッグと攻略対象キャラであるアーノルド・パートランド第一王子の仲を邪魔するのだ。ここはゲームの世界ではなく、現実だ。もちろん、ヒロインを虐めるつもりもないが、ゲームの様な展開になる可能性もあったため、様子を見ていた。
ゲームでも攻略対象キャラとして登場していた辺境伯子息、騎士団長子息、公爵子息、伯爵子息であり大手商会の嫡男が、主人公であるリリー・オッグに好意を持ち始め、現実でもそれぞれの婚約者を蔑ろにし始めた。
ビアンカは第一王子ルート又は逆ハーレムルートでは、過度の虐めをしたことで断罪され、国外追放となる。もちろん、ゲームの結末のような展開は望んでいないし、するつもりもない。そもそも婚約者がいるのに、その婚約者を蔑ろにして、他の令嬢にうつつを抜かすなんて、どう見ても男が悪い。
だから、ビアンカは、リリーが転入してきてから、前世の記憶や知識も駆使しつつ、あらゆる情報やいじめの証拠、攻略対象となる令息達とリリーの関係を調べに調べて、情報を集めまくった。
そして、国王陛下に謁見を申し込んで直談判した。
まず、リリーに夢中になってから、アーノルド殿下が疎かにするようになったことのリスト一覧、そして以前と比較し悪化した物事の結果、さらにその令嬢を基準とし、ろくに調査も行わず、他人の話を聞かずに物事を判断するようになったこと。そこから、王太子として相応しくないとの証拠や人々からの証言をまとめた物も提示した。
例え、アーノルド殿下がリリーを愛妾として望んだとしても、リリーはアーノルド殿下の側近達とも関係を持っており、アーノルド殿下の子ではない子が王族となってしまう可能性や、何度諌めても聞く耳を持たず、このまま婚約を継続して、将来的に国王と王妃になったとしても、2人の関係は悪く、国を良くするどころか余計な諍いが発生してしまう可能性を切々と語り、アーノルド殿下の不貞の証拠と共に、婚約を継続した場合のデメリット、要するにペイリー家や他の有力貴族から王家に対しての不信が生まれる懸念等を伝えて、婚約解消を勝ち取った。
ビアンカは前世の記憶もあったことから、アーノルド殿下に対して恋愛感情など持つこともなく、ビジネスパートナーとして考えていた。人の話を聞かないなんて、パートナーとして失格だ。そんな人に付き合ってもストレスが溜まる一方な上、ゲームのような展開にでもなれば、婚約破棄され罪を背負わされる。そんなのあり得ない。だから、婚約破棄を言い渡される前に、こちらから婚約を解消してやる! と意気込んでいたため、国王陛下は少し圧倒されていたようだ。
ビアンカとしては、アーノルド殿下との婚約解消を勝ち取ったことにより、ストレスからは解放され、残りの学園生活は彼らに関わらず楽しめる事となった。
心残りというか、気になっていたことがあったので、アーノルド殿下に婚約解消のお知らせと決別の挨拶をした日の午後、4人の令嬢を誘って、お茶会を催した。その令嬢達は、辺境伯子息、騎士団長子息、公爵子息、大手商会の嫡男のそれぞれの婚約者である。
学園にはティーハウスと呼ばれるお茶会用の建物がいくつか造られていた。絵画が飾られた部屋もあれば、外にビニールハウスの様なガラス張りの建物があり、そこでお茶を飲みながら、庭園を眺めることが出来る。ガゼボもあるが、ティーハウスは建物内で、会話を周囲に聞かれる心配はない。学園の生徒であれば、事前に申請して承認を得られれば使用可能な場所だ。
ビアンカと4人の令嬢はそれぞれテーブルに着き、紅茶やお菓子に手をつけた。一息ついたところで、主催者のビアンカがお茶会の目的を述べた。
「突然お誘いして、ごめんなさいね。ご存知かと思うけれど、私とアーノルド殿下の婚約は解消されたわ。そこで、皆さんにもお話があって、今日お誘いしたの。皆さんの婚約者もアーノルド殿下と同じく、リリー・オッグ男爵令嬢と仲が良く、いつも一緒にいらっしゃいますわよね?」
ビアンカの問いかけに、4人の令嬢の表情は皆暗くなった。
「皆さんはそのことに対してどうお考えかしら? 教えていただける?」
少しの間、沈黙が続いたが、公爵子息の婚約者であるチェルシー・パークス侯爵令嬢が口を開いた。
「私とバーナード様は幼馴染ですの。小さい頃からずっと仲良くやってきましたわ。バーナード様は次男で、パークス家に婿入り予定ですから、私の家族ともすごく仲が良かったのですけれど……あの男爵令嬢が転入してきてから、私に会いに来てくれることもなくなりましたわ……。想い合っていたと思っていたのは私だけだったようですわ……」
チェルシーは悔しそうな、残念そうな表情を見せた後、俯いた。そして、騎士団長子息の婚約者であるリンジー・ガネル伯爵令嬢が話し出した。
「私とブレットは、どちらかというと騎士仲間という感覚が近いわね。元々お互いに恋愛感情はないわ。でも、彼がリリーの傍にいるようになって、私が捨てられたとか、令嬢らしくないからリリーに靡くのは仕方がないとか、私の陰口を叩かれるようになったのよ! それは許せないわ」
リンジーは怒りが収まらないらしく、ぶつぶつと言っている。それを横目に、大手商会を経営してるヘインズ伯爵家の嫡男の婚約者であるマリアン・ケード子爵令嬢は、おずおずと話し始めた。
「領地の特産品を望んだヘインズ伯爵家から子息のダニエル様との婚約を持ちかけられたのが始まりです。大手商会であるヘインズ商会で取り扱ってもらえるとのことで、婚約を受け入れたんです。でも、流石に不貞はちょっと……。今そんなに彼女に夢中なら、もう婚約は解消して欲しいです」
マリアンは大きなため息をついた。他の令嬢達が話したから、次は自分の番だと認識した辺境伯子息の婚約者であるミシェル・ファレル伯爵令嬢は言いにくそうに言葉にした。
「私とエルマー・ハント様は、政略結婚です……。私は彼が好きでしたが、彼は私に興味を持つことは、ありませんでした。恋愛にトラウマがあるから、恋愛感情を持つことは難しいけど、大切にすると、おっしゃってくれて……とても嬉しかったのに……彼女に恋したようですわ」
ミシェルは改めて自分が口にした言葉でショックを受けながら、自嘲の笑みを浮かべた。
「政略の方もそうじゃない方もいらっしゃるのね。婚約者に蔑ろにされて辛い気持ちは、もちろんわかるわ。でも、貴女達は、これからどうしたいと考えているのかしら? リリー・オッグ男爵令嬢に恋している状態で自分と結婚しても良いと思ってらっしゃるのかしら? それとも、婚約者と婚約を解消したい?」
「バーナード様が彼女を好きな状態で私と婚姻を結ばれても、私は惨めですわね。でも、婚約を解消するとなると、負けた気がするわ!」
「私は解消したいわ! だって、何もしてないのに、こちらだけ悪く言われるなんて、納得できないもの」
「解消できるなら、解消したいですが、こちらからは申し出ることが出来ないので……」
「元々、エルマー様が私に恋愛感情を持てないのを知った上で、彼と結婚する予定でしたから……」
「そう。リンジー様とマリアン様は解消したいのね。わかりましたわ。チェルシー様は負ける気がするというのが判断に迷う理由ね。ミシェル様は恋愛感情がないから受け入れられるのですね。では、チェルシー様、ミシェル様。婚約を続けられるのでしたら、これから更に辛い事が続くかもしれないわ。後々知るより、今、全て知った上で覚悟を決める方が良いと思うの……」
「覚悟、ですの?」
「えぇ。私、アーノルド殿下との婚約を解消するために、アーノルド殿下の不貞の証拠を押さえて、国王陛下にお話ししたのです。もちろんオッグ男爵令嬢のことも調べて報告したわ。皆さんは婚約者の方が、彼女に恋心を抱いているのはご存知かと思いますが、実は、貴方たちの婚約者の中には、彼女に高額な贈り物を沢山してる方もいますし、全員彼女とキスはしているわ。中にはすでに体の関係も持ってる方も。ご存知だったかしら?」
「まぁ!」
「は?」
「え……」
「嘘…ですよね?」
全員が驚愕と困惑の表情を浮かべていた。確かに信じたくない話ではあると思う。
「全て本当のことよ。オッグ男爵令嬢が、いつどこで誰とどの様に過ごしたのか、全て調べましたの。ちなみに、彼女から誘惑した訳ではなくってよ? 彼女の周りに自分以外の他の男性が居るから、焦って手を出している感じね。全て男性側からの行動よ」
ビアンカの告げた真実は令嬢達にはとても受け入れ難いものだった。だから、それぞれ口を噤んだが、ビアンカはなおも続けた。
「彼らは彼女に夢中だわ。だから、彼女と一緒になりたいがために、婚約者の貴女達を邪魔だと思うこともあるかもしれないの。その場合、誠実に対応してくれれば良いけれど、今の彼らの貴女達への扱いも見る限り、貴女達に何らかの罪を被せて、自分側には非がないようにして、婚約破棄を狙ってくる者もいるかもしれないわ。どれも可能性に過ぎないけれど、起こり得ることだと心に留めて置いてくださいませ」
彼女達は全員ビアンカに反論はしなかった。
「今なら、こちらから相手の不貞を理由に相手側に問題があるとして婚約を解消することは可能だわ。婚約破棄をされてしまえば、完全に傷物扱いになるけれど、こちらからの婚約解消であれば、多少の醜聞は避けられるわ。不貞されるくらい私達に魅力がないと考える者もいるかもしれないけれど、今回はどう見ても彼らが悪いのだから。傍から見たら、彼女は見目麗しい高位貴族の令息達を侍らせてるのよ。彼女がはしたない行動をしていることは、学園生は皆知っているから、こちらの被害も最小限になると思うわ」
「えぇ、そうですわね、ビアンカ様の言う通りですわ。婚約解消は、バーナード様に負けた気になると思っていましたけれど、不貞する男との勝ち負けよりも、私の未来の方が大事ですものね! 私も婚約解消する事に決めましたわ」
「でも、どうやって解消したら良いのかしら?」
「私も解消できる方法があるなら、知りたいです!」
「皆さんが婚約解消を望むのなら、私は協力するわ」
ビアンカは4つの封筒をテーブルの上に置いた。封筒には、それぞれの令嬢の名前が書いてある。
「まずは、こちらの封筒に、それぞれの婚約者様の不貞の証拠や解消の手助けとなる書類をまとめているわ。どうぞ、お持ちになって」
「まぁ、私達のために、これを用意してくださったの? ビアンカ様、ありがとうございます」
全員がお礼を述べて、自分の名前が書かれている封筒を手に取った。
「それが役に立つなら嬉しいわ。まず、チェルシー様。バーナード様は婿入り予定ですわね? バーナード様は残念なことに、完全に周りが見えなくなっているようよ。かなりの大金を彼女の貢物に費やしているわ。彼が婿入りしたら、資産を食い潰されてしまう可能性があるわよ? それと……バーナード様はオッグ男爵令嬢と体の関係をすでにお持ちよ。もし、彼女に子供が出来ていたら、バーナード様が費用を負担することになるわ。でも、彼は貴女の家に婿入りするのだから、パークス家のお金から養育費等を出すことになってしまうわ。その事実を伝え、彼が購入した高額商品の一覧と金額の資料をご両親にお見せすれば理解してもらえると思うわ」
「ま、まさか、バーナード様は、あの男爵令嬢とそ、そこまでの関係でしたの!? なんてこと……。で、でも、そうね、そのお話を今聞けて良かったですわ! 婚約者が居るのに他の令嬢に手を出すなんて! そんな男との結婚なんてごめんだわ! 絶対両親を説得してみせますわ、ビアンカ様!」
「えぇ、頑張ってくださいね」
意気込んだチェルシーは封筒の中身に目を通し始めた。
「リンジー様、先ほどの陰口のお話ですが、ブレット様が原因ですわよ? リリー様と比較して、リンジー様が令嬢らしくないと、貴女の事を貶める様な発言を騎士を目指す仲間達に言ってるようよ。それと、彼は貴女との結婚でガネル将軍の義理の息子になるから、その立場を自慢しながら利用して、自分が偉い様に周りに威張り散らしてるの。ブレット様の言動は詳細に書き留めているから、資料を読んで頂戴。評判が悪い彼と結婚したら、ガネル家の名誉にも傷がつくわ。いかに騎士らしくないかをガネル将軍にお話しすれば、解消に同意されるかと思うわ」
「ブレットがそんな人間だったなんて、気付かなかったわ……ビアンカ様、教えてくれてありがとうございます」
リンジーも封筒の中の書類に目を通し始める。ビアンカは、マリアンに視線を合わせる。
「続いてマリアン様ね。貴女のは簡単よ。この手紙をお父様にお渡しして。それと、封筒の中にヘインズ伯爵に渡してもらう手紙も入っているわ。貴女の領地の特産品、私も目をつけていたの。私が懇意にしてる商会で今後取り扱ってもらえるから、万が一ヘインズ商会と取り引きが無くなっても問題ないわ。ヘインズ伯爵に渡していただく手紙には、ダニエル様の素行や不貞についての報告とペイリー公爵家がケード子爵家の後ろ盾となること、そして、マリアン様との婚約解消を望むことが書いてあるわ」
「そんな、ビアンカ様にそこまでしていただくなんて……」
「マリアン様、お気になさらないでね。先ほども言ったように、私は貴女の領地の特産品に目をつけていたの。それを加工させてもらって、やりたいことがあるのよ。だから、ヘインズ商会とケード子爵家の婚約が解消されれば、特産品をこちらで扱うことができるわ! もちろんヘインズ商会で扱って欲しいと考えてる商品もあるから、それと引き換えに婚約解消をお願いするの。誰も損をしない利害の一致よ。ビジネスの話については婚約解消が出来て落ち着いてから、追々させていただくわ」
「は、はい! ありがとうございます、ビアンカ様」
ミシェルはずっと浮かない顔をしながら、今までの話を聞いていた。ミシェルだけは、婚約解消を望んでいなかったから、封筒を手にしているものの、開封はしていない。しかし、何らかの決意をした様で、瞳に強い意志が窺えた。
「ビアンカ様……皆さんのお話を聞きながら、私、ずっと考えていましたの。私達の婚約はそもそも政略ですが、婚約でなくても取り引きは出来るのですね。私との婚約が解消されれば、彼は望む方と結ばれる可能性が出来るということですよね? それなら、私もエルマー様との婚約解消を望みますわ」
「ミシェル様はあくまでもエルマー様のことを考えて決断されるのね」
「そう、ですね……好きになってしまったから……。エルマー様には幸せになって欲しいのです」
「ミシェル様はご自分の意思ではなく、愛する方を優先される優しくて素敵な方だわ。……でも、ミシェル様にもご自分の幸せにも目を向けて欲しいの。ミシェル様の婚約解消方法だけれど、2つあるから、どちらか好きな方を選択して欲しいの」
「選択、ですか?」
「えぇ。貴女とエルマー・ハント様との婚約が解消となると、ハント家との交流がなくなってしまう可能性もゼロではないわ。そうなった場合、身動きが取れなくなってしまうから、先にこちらの方法を紹介するわね」
合図をすると、ティーハウスのドアが開いた。封筒の中身に目を通していたチェルシー、リンジー、マリアンもそちらに視線を向けると、1人の男性がティーハウスに入ってきた。
男性に見覚えがあるのは、ミシェルだけだった。
「シリル様?」
男性はその問いかけに微笑みを返すと、同じテーブルの令嬢達を見回して、挨拶をした。
「皆さん、お邪魔してすみません。シリル・ハントと申します。以後お見知りおきを」
ビアンカがシリルに、ミシェルの隣の席に座るように促した。突然シリルが現れた事にミシェルが困惑していたため、説明した。
「もし、ミシェル様がエルマー様との婚約解消を望む場合に、シリル様をこちらにお呼びさせて頂くことになっていたの」
「どうして?」
ビアンカが口を開く前に、シリルが話し始めた。
「ミシェル嬢。私は、貴女が昔から兄に好意を抱いていることは知っています。しかし、兄との婚約を解消するなら、私との婚約を考えていただけませんか? 私はミシェル嬢に最初に会った時から貴女が好きです! 兄の婚約者となったから、この気持ちは決して口にする事ができないと思っていました。兄が貴女を幸せにしてくれるならと、気持ちに蓋をしました。それなのに、男爵令嬢に惹かれて、婚約者の貴女を蔑ろにしているなんて! そんなの許せるわけがない! なぜ最初から私を婚約者にしてくれなかったのかと、両親を恨んだこともあります。でも、兄との婚約は解消するのですよね? それなら、私も自分の気持ちを抑える必要はないと判断しました。ビアンカ嬢は、私の気持ちに気づいていたらしく、話を持ちかけられたのです」
突然のシリルの告白に、ミシェルは驚きすぎて、何を言えば良いかわからなかった。婚約者の弟として見ていた相手が自分を好いていた? 婚約したいとまで考えていたなんて……。
「ミシェル様。貴女が不貞を犯したエルマー様との婚約を解消する代わりに、貴女を幸せにしたいと考えているシリル様と新たな婚約を結ぶというのが一つ目の方法よ。シリル様との婚約なら、政略の条件そのままで相手が変わるだけ。貴女がエルマー様との婚約を解消し、ハント家とファレル家の仲が悪くなった場合、シリル様は貴女に気持ちを伝えるこたは二度と出来なくなってしまうから、今日、この場に呼んだのよ。もし、貴女が断るとしても気持ちを伝えたいと強く希望されたわ」
「シリル様は、私を想ってくれていたのですか? ……全然気づきませんでしたわ。それに、シリル様と婚約だなんて……」
「すぐに決断する必要はないと思うわ。でも、もし、シリル様を新たな婚約者として迎えられないというのなら、貴女はその封筒に入っている不貞の証拠品をハント家に突きつけて、婚約解消を言い渡せば問題ないわ。ハント家はファレル家と同等の条件を結べる家が他にいくつかあるの。婚約解消の原因はハント家だから、心配しなくても大丈夫よ。ファレル家は、婚約当初は辺境伯のハント家の戦力を求めていたらしいけれど、情勢も変わった今、ハント家との婚約を解消しても、ファレル家が損をする事はないと思うわ」
「そう、なのですね……。解消しても問題はないのですね」
「えぇ、そうよ。だから、貴女はシリル様ともちゃんとお話をしてから、どちらかを選択すると良いわ」
「わかりましたわ。考えてみます。ビアンカ様、色々とありがとうございます」
「この部屋は今日1日押さえているから、この後2人で話すと良いわ」
「ビアンカ様。この様な機会をいただき、本当にありがとうございます! もし、彼女が断るとしても、気持ちを伝えられたので、前に進むことができます」
シリルは座ったまま、ビアンカに向けて頭を深く下げ、お礼を述べた。
「どういたしまして。では、チェルシー様、リンジー様、マリオン様もそれぞれ頑張ってくださいませね! 何かあれば、いつでも相談に乗るわ」
「ええ、早速帰って、お父様を説得するわ」
「ありがとう、この証拠があれば余裕ね」
「頑張ってみます」
「今後について決めたら、ビアンカ様にもご報告させていただきますわ」
「それでは、皆様、ご機嫌よう」
カーテシーをして、ティーハウスから出た。
ビアンカは心残りがスッキリしたので、自然と笑顔になった。
リリーが現れてから、彼女達は私と同様に婚約者の言動に悩まされてきた。本来なら被害者であるはずなのに、加害者のような扱いをされたり、ましてや婚約破棄となったら、彼女達がさらに被害を受けてしまう。そんなの納得いかない。だから、今日のお茶会で、最終的に4人とも婚約解消を選択してくれて良かった。
婚約解消した方が良いわ! とビアンカがアドバイスしたところで、この世界の常識や考え方だけでは、きっと実行するまで辿り着けないだろう。
だから、王妃教育と前世の知識ががっつりと役に立って、それぞれの方が婚約解消となっても問題ない道を提案できて良かった。後は、彼女達の熱意次第だ。
ビアンカは何か問題が起きたら、サポートすることを決めつつ、一通りやるべきことは終わり、自由となった今、何をしようかと考え始めた。
後日、ビアンカはそれぞれから報告を受けた。
あの日、4人とも両親を説得できたようで、翌日から婚約解消に向けて動き、1週間もしない内に全員が婚約解消出来たとのこと。
そして、もちろん、そのニュースは瞬く間に広がった。ビアンカを含めた5人の令嬢には、新たな婚約の申し込みが殺到した。
ビアンカは隣国の王子からの婚約申し込みがあり、それを受け入れることにした。アーノルド殿下に臣下としての忠義を尽くしたくないとの思いと、実は隣国の王子は前世での推しキャラだったことと、留学して学園に来た彼と話していく内に、どんどん仲良くなり、気も合うとわかったから、などの様々な理由はある。学園卒業後に、そのまま隣国に嫁ぎ、王子妃、そして後の王妃として国民からも人気があった。
チェルシーはパークス侯爵家に婿入りしたい公爵から伯爵までの次男や三男達から続々と婚約の申し込みが来た。バーナードの失敗を反面教師とし、誠実でお互い愛し合えるような相手を求めて何人かの令息達と何度か会って会話をしていく内に、条件に当てはまる相手を見つけたとのこと。公爵家の三男で、真面目で硬派だが、チェルシーを大切にしてくれる心の広い令息らしい。
リンジーは、既に騎士団に所属している努力家な少し年上の男性と婚姻を結んだ。ガネル将軍に憧れて剣を始めた人で、女性が剣を持つことに対しても蔑みは一切なく、リンジーに対しては、剣を持っている時は騎士として尊重し、それ以外では令嬢、むしろお姫様の様に扱ってくれる相手らしい。
マリアンは、特産品をビアンカに提供することで、ケード家の資産が増えたが、そういうお金目当てや取引を持ちかけようとした婚約は尽く断った。さらに、政略結婚での失敗を活かして、学園にいる間に仲良くなった子爵家の令息と恋愛結婚をした。
ミシェルは、シリルと話し合った後、色々と考えて、シリルと婚約を結ぶことにしたらしい。シリルと婚約することを選んだからにはと、シリルを好きになりたいと、一緒に過ごす時間を増やしたりしている内に、気持ちは自然とシリルに傾いたとのこと。
対して婚約を解消された令息達はーー
アーノルド殿下は学園での話が広まっていたため、次の婚約者になりたいという者は現れず、男爵令嬢を王子妃にする事も出来ずに、学園の卒業を迎えた。卒業式の後、国王陛下から呼ばれた際に、王太子には、婚約者と仲睦まじく、後ろ盾も十分、本人にも王としての資質がある第二王子を指名したことを聞いた。
アーノルド殿下は臣籍降下することが決まったが、結局リリーと結婚は出来ず、生涯独身で過ごした。
バーナードは、パークス家に婿入り予定だったが、それがなくなったこと、そして、チェルシーが提示した不貞や高額の使い込みの証拠により、廃嫡され、平民となった。公爵子息だったため、平民としては、ろくに働くことも出来ず、生死の狭間で、細々と暮らすしかなかった。
騎士団長の息子であるブレットは、騎士の風上にも置けないと父親から怒りをかい、素行の悪さにより廃嫡された。騎士団に入る事も許されず、騎士団長とガネル将軍から嫌われたブレットと付き合いたい者はおらず、友人も1人残らずいなくなった。下町で傭兵として暮らすこととなる。
ダニエルは、元々次男だったため、ヘインズ商会を継ぐことはなかったが、信頼が重要な商会で、不貞する様な男であると広く知られてしまったダニエルに何かを任せることはできない。仕方なく、商会で雇うことにしたが、完全に裏方の仕事で、人とあまり接しない雑用ばかりやらされることとなった。
エルマーは、政略結婚でやらかしてしまったため、ハント家が婚約を持ちかけても全て断られてしまった。エルマーはミシェルとの婚約が解消となった後、リリーにプロポーズしたが断られた。諦めきれず、何度もリリーの元に足を運んだが、最後には嫌われてしまった。シリルとミシェルの子供をハント家の後継ぎにすると決められたため、結婚はしなくても良くなったが、不貞をしたエルマーに対しては厳しい視線や嫌悪感が向けられ、皆がミシェルを大事にしているため、肩身の狭い思いをしながら暮らしている。時々、幸せそうに笑い合うシリルとミシェルを見ると、すごく惨めな気分になったり、後悔したりする。
リリーは一連の騒動の原因である。今後これ以上問題を起こして、オッグ男爵家一族にも何か罪を問われたら困るとの父親の判断によって、学園の卒業と同時にオッグ家から縁を切られ、まとまったお金を渡された。元々庶民の暮らしに慣れていて、学園の貴族達との関わりも疲れたため、喜んで平民に戻ることにした。そんな中、アーノルド殿下やエルマーからプロポーズされたが、堅苦しい貴族には戻りたくないため、断った。学園での生活や出来事はある意味夢のような非現実的な日常だった。しかし、これからは現実を見ていかなければならないのだ。だから、気合を入れて、新しい生活を始めた。
こちらから婚約解消するわ! 神村結美 @summer
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます