第15話



 「いいか、変に気構えなくていい。力を抜け。力んでも、切れ味が増すわけではない」



 ヒロを鞘に納め、鳥居を潜った。


 常世は、時間の流れていない場所だ。


 “全ての時間が集う場所”。


 そう言ったほうがいいかもしれない。


 私が管轄している地域は、かつて徳島県の吉野川沿いにあった町、鴨島町だ。


 “かつて”という言い方をするのは、現代の時代に焦点を当てた場合の話で、元々は、違う名前の村だったりする。


 常世では、基本的に現世にある町並みは反映されない。


 そこにあるのは茫漠とした自然の野で、ありのまま、生まれたままの日本列島の姿が、手付かずの状態で広がっている。



 原生林の広がる山。


 底が見えるほどに透き通った海。


 全ての時間を溶かしたかのような、青く染み渡った空。



 初めてその景色を見た人間は、皆口を揃えて言うのだ。


 「綺麗だ」と。


 しかし、私はそうは思わない。


 どれだけ澄み切った色や光がそこに広がっていたとしても、そこには永遠に変わることのない「時間」だけが横たわっている。


 現世と違い、雨が降ることもなければ、夜が訪れることもない。


 彷徨う魂たちの流れ着く場所として川が流れ、微かな風だけが吐息を吐くように靡いている。


 そこに「変化」はないのだ。


 月が昇る日も。


 季節の変わり目も。


 生と死の循環は絶たれ、果てしない静寂だけがそこにある。


 “白夜”と、私たちは呼んでいた。


 夜にならない場所。


 また、朝にもならない場所。


 完全な静寂だけがそこにはあり、虫の鳴く音さえ聞こえない。


 かつての昨日も、いつかの明日も、影を作ることさえなく、ひとつの場所に止(とど)まっている。


 だから、私はそこにあるものを美しいとは思わない。


 開け放した空が、そこに広がっていたとしても。



 神々は、常世に街を作った。


 現世とは違う街だ。


 人が住む場所には悪霊が生まれ、また、「影」ができる。


 放っておけば、たちまちのうちに世界は闇に包まれるだろう。


 だからこそ、天蓋の下に街を作った。


 現世へと流れる悪しきものを駆逐するため、影を祓うことができる光を地に放ったのだ。


 それが、神号と呼ばれる「神」の称号を与えられた者たちだった。



 私は元々人間だった。


 もっとも、人間だった頃の記憶はとうの昔に無い。


 自分がなぜ選ばれたのか。


 なぜ、戦うのか。


 そのことの意味を、今まで考えたことはなかった。


 神の名を与えられた者は皆そうだ。


 自らの存在意義などというものは、人間だった頃の記憶と共に捨て去った。


 「神」とはいわば“理”であり、世界を匡すための道具である。


 自らを貶しているわけではない。


 神とは柱になるべき存在で、生と死の垣根を越えた存在であり、自己を肯定する時間も、介在させる場所も無い存在なのだ。


 はっきりしているのは、世界には「秩序」と、それを糺すべき「法」が必要ということである。


 真の平和を手にするためには、確固たる犠牲を払わなければならない。


 元々、人間とはそういう運命の下に生まれてきた。


 存在そのものが穢れていて、世界が持つ自然そのものを脅かす存在だった。


 神の起源は遥か昔に遡るとされるが、人間が生まれたのもまた、神が生まれた頃に遡ると言われている。


 一説によれば、人間は神の「子」であるとか。


 天と地ができた世界の始まり。


 つまり世界の始まりの前には、天地は初め混沌 とした一つのものであった。


 現世と常世が二つに分かれたのも、この頃であったとされる。


 遥か昔のことであるため諸説あるが、神の歴史を紐解く先に、人間という存在がある。


 陰と陽。


 陽神(男神)と陰神(女神)。


 光と闇が生まれた、——その先に。

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