第4話
爺ちゃんの口癖だった。
「見ている人は見ているから」と。
人があって神があり、神があって人がある。
その“本質”には、形では決して捉えることができない「線」がある。
それは「鏡」のようなものであるとも教えられた。
鏡で「自分」を見ることはできるが、決して触れることはできない。
自分に“触れられる”瞬間は、直線的な時間の中にしかない。
——つまり、どんな選択や行動を取るとしても、一度しかチャンスはない、と。
子供の頃、それがどういう意味なのかはわからなかった。
まあ今もなんだけど、昔に比べたら、少しくらいはわかってきた…かな?
爺ちゃんの「絵」は、“白”を重きに置いていた。
その絵のほとんどは白黒だった。
墨を面的に使用し、ぼかしで濃淡・明暗を表す絵画を得意としていた。
現代を代表する『水墨画家』の1人だった。
構図は複雑かつシンプルで、「水」を題材とする作品が多かった。
「時間」を表現するのが難しい“絵”の中で、いかに“一瞬”を切り取れるかを研究していた。
爺ちゃん曰く、“連続的な時間の中にこそ「線」が存在し、時間と空間の繋ぎ目の中にこそ、「動き」が存在できる“としていた。
最初聞いた時はなんのこっちゃって感じだった。
ただ絵を見て「すげー」って思うだけで、爺ちゃんが目指してるもんなんてわからなかった。
「神」なんてものはいない。
そう思う反面、何となく思ってたんだ。
爺ちゃんの指先から描かれていく線や色の向こうに、科学なんかじゃ説明できないものがあるって。
それが「何なのか」は、具体的にはわからなかった。
だから、せめて爺ちゃんみたいな“かっこいいものが描けたらな”って思ってた。
書道を齧ってたのも、その影響だ。
「書」で重要なのは、「失敗したら書き直せる」って思わないことだ。
チャンスは一度しかない。
それは現実の出来事にも通じることであって、基本的にやり直せるって思わない方がいい。
練習の時から、その意識でやり続けることで、どこから筆を入れればいいのか、どこで傾ければいいのかの境界線が見えてくる。
ここぞっていう集中力を高めるための方法は、継続的な時間の積み重ねの中にしか無い。
そう言われ続けてきた。
座り方、姿勢、筆の立て方、その他諸々。
もしかしたら、「神様」っていうのは、人間の生き方そのものなのかもしれない。
うまくは言えないけど、「信仰の対象」とか「宗教的な存在」とかそういう具象的なものじゃなくて、もっと、内側にあるもの。
自分たちの心の中にあるもの。
そういう身近で目には見えないものが、いつからか「不思議な力」として崇められるようになった。
だから爺ちゃんは、神仏に頼るようなことはしなかった。
神様を崇めることはあっても、助けを乞うようなことはしなかった。
自分のことは自分でする。
そういうスタンスで生きて、常に正直に、自分の作品と向き合っていた。
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