7.ドジでよかった!





……長谷川は、いつもずっと俺のそばにいる。


1日も自分の家へ帰ることなく、毎日毎日、ひたすら俺と一緒にいる。俺が何か困ったことがあったら、さっと手を伸ばして助けてくれる。


凄い根気だなと思うと同時に、少しそれが怖くもあった。


長谷川は俺が事故に遭って以来、一度も笑っていない。前のあいつと本当に同一人物かと疑う程に。


いつも思い詰めたように眉をひそめて、口はきゅっと閉じられていた。


確かに彼女の気持ちを考えたら、笑いにくい状況なのはよく分かる。俺の家だったら親もいるし、余計に難しいだろう。


でも、こんなにも追い詰められている彼女を見るのは、俺も苦しかった。以前の長谷川とのギャップが大きいせいで、長谷川の悲しみがそれほど大きいんだと理解させられる。


なんとも皮肉なもんだな。前までは俺を笑いながらからかってくるから、「このやろー!」って怒ってたのに、今は逆に……笑って欲しいと思うなんて。


(長谷川は、いつかまた笑ってくれるだろうか……)


日を重ねるにつれて、俺はその想いが次第に胸の中で膨らみ始めていた。









……それは、とある日の夜のことだった。


学校から帰宅したら、晩ご飯を食べて、寝る前のもろもろを済ませたら、俺たちは自分の部屋に行き、寝間着に着替えて就寝する。これがいつものサイクルだった。


その日も同じように日課をこなし、長谷川とともに俺の部屋へとやって来た。


「じゃあ、電気消しますね」


「おお、ありがとな。お休み長谷川」


「お休みなさい、先輩」


そうして、長谷川に電気を消してもらって、一緒のベッドで眠りにつく。


寝る時はいつも俺が壁側を向いて寝ていて、長谷川はその俺に背中合わせにして眠っていた。


片腕で過ごす毎日は、自分が考えている以上に疲労が溜まる。特に左腕にかかる負荷は、両腕だった時よりも段違いに多い。利き手じゃないから筋肉量も少ないため、1日の終わりには腕が悲鳴をあげている。


だから普段の俺だったら、ベッドに入るとすぐに眠れていた。ぐったりと疲れた身体を癒そうと、すぐに眠りの体勢に入るのだ。布団を被った瞬間に朝になっていた時もあったくらいだ。


「………………」


だが今日に限っては、なぜかなかなか上手く寝付けなかった。目が次第に暗闇に慣れてきて、目の前にある白い壁もだんだんとクリアーに見えてきた。


(嫌だな……早く寝たいのに)


目を閉じて、なんとか自分を寝かしつけようと試みるが、それも上手くいかない。羊を100匹数えたところで、俺は小さくため息をついた。


ガサ、ガサ


ふと、隣から物音がした。


おそるおそる顔をそちらへ向けてみると、長谷川が身体を起こして、膝を抱えていた。


そして、彼女も俺と同じく、「はあ……」と小さなため息をついていた。


「長谷川……?どうした?眠れないのか?」


俺がそう声をかけると、彼女はこっちの方へ顔を向けて、「ごめんなさい」と答えた。


「先輩のこと、起こしちゃいましたね」


「いや、実はなんか、寝付けなくてさ。もともと起きてたんだ」


「そうなんですね。ゆずもちょっと、上手く寝れなくて」


俺は上半身を起こして、片膝を立てた。


「ふう……。なんだろうな?二人して」


「ですね」


「………………」


「………………」


奇妙な状況だった。暗闇の中に俺たち二人が、ベッドに座ってぼーっとしている。


シャッ


俺はカーテンを開けて、窓の外を見た。真っ暗な空に、白い満月がぽつんと浮いている。


まるで空に貼り付けられた黒い紙の真ん中を、カッターで丸く切り取った跡のようだった。


「先輩」


声をかけられた俺は、長谷川の方へと顔を向けた。彼女の顔は月明かりに照らされて、どことなく儚い雰囲気を醸し出していた。


「ゆず、今から台所に行って水を飲もうと思ってるんですけど、先輩はいりますか?」


「お?水ね。うん、貰えると嬉しいかな」


「わかりました、すぐに持ってきます」


そうして長谷川は、一旦部屋を出て、台所へと走っていった。


そしてしばらくしてから、彼女は水の入ったコップを二つ手に持って、部屋に帰ってきた。


「はい、どうぞ先輩」


「おお」


長谷川からひとつコップを受け取り、一気に全部飲み干した。


「……はあっ」


冷たい水が、喉奥を通りすぎていく感覚がする。身体が潤された感じがして、気持ちがいい。


「………………」


長谷川の方は、一定の間隔を開けて、ちびちびと水を口に含んでいた。


「……いつもありがとな、長谷川」


俺は、不意にそんな言葉が口をついた。長谷川はこちらの方を向いて、「どうしたんですか?」と尋ねてきた。


「なんで、ゆずにお礼なんか……」


「いや、いつもこうやってさ、いろいろ世話してもらってるから。めっちゃ助かってるよ」


「そんな、どうしたんですか?改まって」


「いやあ、ちゃんとお礼言っておかないといけないって思ってさ」


「………………」


「……でも、何て言うかな、もう少し……リラックスしてもいいんだぞ?そんなに俺のことばっかり気にかけずに、自分のことも少しは大事にしておくれよ」


「……そんなことできません。だってゆずは、自分の身を削るために……ここにいるんですから」


「………………」


「先輩から命を助けられて、腕を……犠牲にしてしまって。それに見合うお世話をし続けなきゃ、ゆずは気が済みません」


そう言って、長谷川はようやく水を全部飲み切った。


「コップ、返してきます」


彼女は自分のコップと俺のコップを持って、また部屋の外に出て、台所へと向かって行った。


「………………」


正直言って、彼女の気持ちも分かる。自分が罪悪感にかられている時は、なかなかリラックスするなんてできない。ましてや楽しいとか嬉しいとか、そういう気持ちになること自体に、申し訳なさを感じてしまう。それはとても理解できる。


だがやっぱり、長谷川にはもう少し……気を休めて欲しい。でないとあまりにも見てられない。


日を重ねるごとに、彼女の感情の起伏が減っていってるように思う。きっとそれだけ、心をすり減らしているのだろう。


本音を言うと、もう俺は十分彼女からの誠意は感じている。だから四六時中、俺の世話をしなくていい、もう解放されて欲しいと思ってる。


だが今の彼女にそんな提案をしても、首を横に振るだけだろう。長谷川が自分で納得しない限り、これは終わらない。


だからせめて、俺の世話をしている時でも、心が休まる時間があって欲しい。そしてできることなら、笑える瞬間があって欲しい。


「……よし」


俺は心の中で、とある計画を立てていた。長谷川が帰ってきたら、誘ってみよう。







……ゆずは、台所でコップをふたつ洗っていた。


シャーーー


蛇口から出る水道水がコップに当たり、その跳ねた水滴が腕の皮膚についていく。



『いつもありがとな、長谷川』



「………………」



『いつもいろいろ世話してもらってるから。めっちゃ助かってるよ』


『……でも、何て言うかな、もう少し……リラックスしてもいいんだぞ?そんなに俺のことばっかり気にかけずに、自分のことも少しは大事にしておくれよ』



……先輩は、やっぱり優しい。


ゆずのことを、あんな風に気にかけてくれる。本来、気にかける必要なんてないはずなのに。


正直言って、確かにすごく疲れている。なかなか落ち着ける時間がないし、自分の好きなことをする暇もない。


でも、そんなものは無くて当然。むしろそれを削ってこそ、先輩に尽くす意味がある。


先輩の優しさに甘えすぎたせいで、今回こんな事故が起きたんだ。もう同じ過ちを繰り返さないためにも、先輩に甘えすぎないようにしないと……。


「……よし」


コップを洗い終えたゆずは、ふきんで水滴を綺麗に拭って、また食器棚へ戻した。


そして、先輩の部屋へと帰っていく。


「すみません、遅くなりました」


そう言ってゆずが部屋の扉を開けると、先輩は「おお、ありがとな」と言ってくれた。


「なあ、長谷川」


先輩は暗がりの中でゆずのことを見つめながら、こんな提案をした。


「唐突で悪いけど、今度の休みの日さ、ショッピングモールに行かないか?」


「え?ショッピングモール?」


「俺、ちょっと買いたいものがあったのを思い出してな。遠出になっちゃうけど、いいかな?」


「……はい。先輩が行くなら、もちろんゆずも一緒に行きます」


「よし、じゃあそうしようか」


「………………」


その時の先輩は、なんだか妙に嬉しそうに、頬を緩ませていた。








……3月15日の土曜日。バスに揺られて30分ほどで、ゆずたちはショッピングモールについていた。


休みの日なだけあって、中は大勢の人たちで賑わっていた。


小さな子どもを連れて歩く家族連れ、穏やかそうな老夫婦、自分たちよりも年下世代の男女グループ、そして手を繋いで楽しそうにしているカップル……。


「よーし、ひとまず着いたな」


「先輩、買いたいものってなんなんですか?」


「ああ、ちょっと筆記具をね。とりあえず100円ショップでも行くか」


「はい」


そうしてゆずたちは、モール内にある100円ショップへ向かった。そこで先輩は、消しゴムとシャーペンの芯を買っていた。


「よーし、これで買いたいものは買えたっと。さて、長谷川。せっかくモールに来たんだし、ちょっとその辺をふらふらしてみないか?」


「え?他には買いたいもの、ないんですか?」


「おう、もう俺の買い物は終わりだ。後は自由に見て回らないか?」


「……ゆずは、全然いいですけど」


「よし!」


先輩は目を細めて、周りをキョロキョロと見渡していた。


「おっ?なあなあ、長谷川。あの店とかどうだ?」


先輩が指さす方向にあったのは、女の子向けの服屋だった。


「先輩、あれは女の子向けのお店ですよ。もし先輩が服を欲しいんなら、違う店がいいと思います」


「ははは、そりゃさすがに俺も分かってるよ。俺じゃなくて、長谷川は欲しくないか?ってこと」


「え?ゆ、ゆずが?」


「そうそう、せっかく来たんだしさ。どうだ?見ていかないか?」


「………………」


ここでゆずは、もう先輩の思惑に気がついてしまった。というか、先輩はあまりにも分かりやす過ぎる。


これは、ゆずのためのお出かけなんだ。


ショッピングモールに行きたいっていうところまでは、まだゆずも気が付かなかった。でもいざここに到着して、先輩が買ったのがただの筆記具というところから、「ん?」と疑問に感じ始めた。


だって、そんなのわざわざショッピングモールの100均で買う必要ない。確かに家の近所に100均はないけど、わざわざここまで来て買う意味はない。絶対ここより近いところあるはずだもん。


「……先輩、もしかして初めから、ゆずのためにここへ来たんですか?」


99%確信しているけど、ちょっと先輩の反応を見たいなと思って、そんな風に問いかけてみた。


先輩は物凄く慌てた様子で「ま、まさかまさか!違うって!」と否定していた。


「前にも言ったろう!?お、俺がたまたま買いたいものがあっただけで!そのついでに、まあ……ちょこちょこっと見て回るかってだけだから!ほんとだぜ!?」


そう言って、先輩は左耳の裏を掻いていた。


「………………」


「さ、ほら、あの服屋に行ってみよう!」


「……はい」


そうして、ゆずは先輩とともに、そのお店へと向かって行った。








……その日は、一日中ショッピングモールの中を回った。


服屋に本屋、雑貨屋、映画にレストランと、余すことなく満喫した。


先輩はずっとニコニコ笑ってくれていて、「あそこに行ってみよう!」とか「この映画面白そうじゃない!?」とか、そう言ってゆずを引っ張ってくれた。


可愛いなと思ったのは、レストランでの時。先輩がコーンスープを飲もうとしたら、あまりにも熱すぎて「あちちっ!」と叫んでいたこと。


「ちくしょ~!世間は猫舌に厳しいよなあ~!」


先輩は少し涙目になりながら、ふーふーと息を吹いてスープを冷まそうとしていた。


その様子があまりにも可愛くて、ゆずはつい、頬が綻びそうになった。


そうして粗方巡り切ったところで、先輩は最後に「ゲーセンに寄ろう!」と言った。


「ここのUFOキャッチャーで景品をゲットして、フィニッシュ!どうだい?ラストを飾るにはふさわしいだろう?」


先輩はわざとキザな言い方をして、ニヤリと口角を上げていた。


「そうですね、もう夕方の5時ですし、ゲーセン行ったら帰りましょうか」


「よし!じゃあ行くか!」


先輩はやけに上機嫌に、ゲーセンの中へと入っていく。そして数あるUFOキャッチャーの中で、可愛らしい猫のぬいぐるみが取れる台の前に立った。


「このにゃんこ、可愛いな!どうだ?長谷川。これ欲しくないか?」


「そうですね、可愛いと思います」


「おっけ!なら見てろ、伝説のUFOキャッチャー師、中村 礼仁郎の手さばきを!」


そう意気揚々と語ってから、先輩は100玉を機械に入れた。


『ゲーム、スタート!』


可愛らしい女の子キャラの声とともに、コインの投入口の横にあるパネルが20秒と表示した。どうやらここは、時間制限があるタイプのゲーム機のようだった。


「先輩って、UFOキャッチャー得意なんですか?」


「……くくくく」


先輩はゆずの方に顔を向けて、得意気に笑って言った。


「やったこともないさ!一回もね!」


ゆずはずっこけた。


「な、なんですかそれ!?じゃ、じゃあ、なんであんなに自信満々だったんですか?伝説のなんとかって言ってたのに」


「ちっちっち、分かってないなあ。自分からハードルを上げるからこそ、やりがいがあるってもんさ」


「もう、先輩ってば時々、意味分かんないノリするんですから」


「よいか、長谷川殿よ。UFOキャッチャーというのは、心の目で取るのじゃよ」


「いきなりなんですか、そのキャラ」


「いやほら、伝説の人っぽくない?」


「もう!だからついていけないんですって!」


「はははは!」


と、そうして先輩が畳みかけるようにボケていた時だった。


『ゲーム終了~!』


ゲーム機からその音声が流れて、ゲームが終わってしまった。そうか、もう20秒経ったんだ。


「ええ!?ちょ、ちょっと待って!?俺まだ、なんにもしてないのに!?」


「あー、時間制限が来ちゃったみたいですね」


「うわー!最悪だー!もう俺ほんとドジすぎる!100円完全に無駄にした~!」


先輩は頭を抱えながら、情けない叫びを上げていた。


……正直、ゆずはもう我慢しきれなかった。あまりにも悲痛な叫びをする先輩を見て、思わず「ふ、ふふっ」と、肩を震わせて笑ってしまった。


「あっ!?は、長谷川!今お前……!」


それを見た先輩は、心底驚いた顔をしていた。


(あ、や、やっちゃった……!ゆず、ずっと笑わないようにしてたのに……!)


腕を失った先輩の前では、もう二度と笑わない。ゆずが笑ってたら絶対に先輩は嫌な気持ちになる。あの事故の前の自分に戻ってしまう。だからずっと、ずっと堪えてたのに……。


「ご、ごめんなさい、ゆず、その、悪気はなくて……」


と、そう縮こまって話していた時。


先輩は左手で、ゆずの肩をがしっと掴んだ。そして、目を輝かせながら大声で言った。


「長谷川!い、今の面白かった!?」


「え?」


「今の笑えた!?くすっときた!?」


「は、はい……。ごめんなさい、もうゆず、笑わないように……」


「うわー!よかった!よかった!久しぶりに笑ってくれたね!」


「え……?」


「やっべー!めっちゃ嬉しい!そっかそっか!今のおかしかったんだ!」


「………………」


「俺、産まれて初めて、自分がドジでよかったって思ったよ!よかった!本当によかった!」


「……先輩」


先輩はにこにこしながら、ポケットから財布を出して、また100円をゲーム機に入れた。


「よーし!この調子でにゃんこもゲットして、最高の気分で帰ろう!」


「………………」


「今日は何日だったっけ?15日か!じゃあ3月15日は、『長谷川が笑った記念日』ってことで、国の祝日にしようぜ!」


「……ふふ、もう、何言ってるんですか」


ゆずはまた、先輩の言葉に笑ってしまった。


先輩はUFOキャッチャーを全力でやっていて、「さあ来い!来い!来い!」と叫ぶほどに熱狂していた。


「………………」


胸の奥が、熱くて仕方なかった。


一瞬でも気を抜くと、涙が溢れてしまう気がした。




先輩、好きです。


本当に好きです。


大好きです。


大好きです。




でも、この気持ちは、絶対に言えない。先輩を困らせるだけだから。


ゆずは、先輩を傷つけた。一生治らない傷を負わせてしまった。だからゆずも、一生治らない傷を背負わなきゃいけない。


それに、先輩はもう、恋愛はしないって決めてしまった。そんな時にゆずから告白されても、先輩が苦しむだけだもの。


「………………」


でも、でも、言いたい。


この気持ち、伝えたい。


ドジな先輩が大好きです。


飾らない先輩が大好きです。


愛嬌があって、本当に優しい先輩が……泣きたくなるくらい大好きです。


直接的な表現じゃなくてもいい。この溢れ出る気持ちを、ちょっと、ちょっとでも、言葉にできたら……。


「よっしゃー!ついにゲットー!」


先輩は11回目のトライで、やっとねこのぬいぐるみを手に入れた。


「ほら!なあ!?言っただろ?俺は伝説のUFOキャッチャー師だって!」


先輩は満面の笑みで、ゆずにそう告げた。


「………ふ、ふふ、そうですね」


ゆずは泣きそうになるのを必死に堪えながら、たった一言だけ、先輩に告げた。


それは、ゆずが今口にできる、最大限の告白だった。




「先輩は、やっぱり先輩ですね」







─────────────────

後書き


キャラクターイメージイラスト

https://kakuyomu.jp/users/gentlemenofgakenoue/news/16818093089663162874

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