幻想薬草店にようこそ〜ポンコツ魔女と黒猫弟子のお仕事スローライフ〜

はりか

星の滴

第1話 ノラは少し早起き

 その街のはずれの高台には、小さな店があった。

 店は煉瓦造りで、蔦が絡み放題。雑草はぼうぼうと生えて入り口もあまりよくわからない。

 裏庭には畑があり、そこには珍しい薬草が山ほど生えていた。

 看板はかけられていないが、この店のことは街に住む誰もが知っていた。

 ――ああ、薬草店だよね。でもただの薬草店じゃない。幻想薬草店だ。



 ***

 

 ノラは少し早起きだ。一番にキッチン兼食堂に赴く。


 あくびをしながら、蒸したティーポットに茶葉を二杯入れた。あつあつのお湯を注ぎ、ポットの蓋をして三分ほど待つ。お気に入りの小花柄のティーコジーをかぶせることを忘れない。紅茶は一定の温度を保つことで、おいしくなるのだ。


 これが彼女にとって、魔法を使わずにできる唯一の家事である。


「さむ……」


 ラピスラズリのような瞳を一瞬伏せ、とび色の細かくふさふさとした巻き髪を掻き分け、ショールを肩にしっかりとかけて、彼女は歩いて三歩のテーブルの上にティーカップを三つ並べる。


 一つは砂糖一杯、ミルクたっぷり。もう一つは、紅茶は注がず湧き水を注ぐ。最後の一つは砂糖二十杯にブランデーたっぷり。


 ポットからティーコジーを取り、紅茶をカップに注いだ。薔薇にも似た香りが広がる。


「うん、よくできた」


 砂糖一杯、ミルクたっぷりのカップを取りながら、水の入ったティーカップと、砂糖なのか紅茶なのか酒なのかわからないティーカップを交互に見つめて、ノラは頷いた。


 にゃあ、という声が天井から聞こえた。


 はりに黒猫がいて、下を向いていた。


「おはようございます、師匠」


 猫はしゃべりながらテーブルに降り、ティーカップの水を一口飲んだ。


「おはよう、リア」


 ノラは微笑んだ。この黒猫のリアは魔女であるノラの唯一の弟子なのである。

 師匠よりもしっかりしているが。


「では師匠、新聞とってきますね」


 一階の玄関まで行き、新聞を取ってくると、また水を飲みながら、読み始めた。


「わあ、宰相、おならの無臭化対策に予算を割く模様ですって。莫迦ばかなのかな」


 政治に全くと言っていいほど興味のないノラは、「ふーん」と生返事をした。


「朝ご飯作るね。何がいい?」


 リアは「いつも通り私が作りますよ?」と顔を真っ青にしながら言った。


「何なんですか師匠……どういった風の吹き回しで?」


 ノラは自分の胸に手を当てた。


「紅茶を入れる以外にも家事を習得しようと思って」

「えっ」


 リアは震えながら拒絶するが、師匠が決意したことには逆らえない。ご飯の作り方を教えることにした。


「えっと、じゃあ、スクランブルエッグを作りましょう。卵三つ用意してください。それをボウルに割って……」


 ノラは素直にボウルを探し、卵を割ろうとした。だが、卵を見て、ふと震え出した。


「これって割れるの?」

「わ、割れます」

「どうやって?」

「あの、どこかの角に、その卵の殻をぽんぽんと押し付ければ割れ……」

「わかっ……いったあああああああああああああああ」

「ししょおおおおおおお」


 何がどうなったのかわからないが、キッチンの流しの角に卵をポンポンと押し付けたら、突き指した。


「い、いた、むり、いたいいいい」


 それで卵の殻を握りつぶしてしまい、黄身が床に落ち、ノラは華麗に滑った。そのまま床に倒れ、額をぶつけてみれば、大量に出血する。


「し、ししょおおお!!!!」


 リアが戸惑いながら、魔法であちこちを掃除するあいだ、ノラは自分の傷を何とかしようと救急箱を探し出す。が、救急箱のある棚には大量に書類が積まれていて、箱を引っ張り出したとたん、雪崩なだれが起きた。


「ししょおおお!!!」


 ノラは大量の書類に埋もれながら、魂を飛ばした。


 すると、やけに明るい「おはよーーーっ!!!」という声を出しながら、キッチン兼食堂であるこの部屋に入り込んできた、薄金の髪にラピスラズリのような瞳をした男がいた。服は極彩色、そこかしこに金の飾りをつけている。


「なんだかとってもにぎやかだけど、何の祭りだい!?」

「ベネさん」


 リアは顔を上げ、男に救いを求めた。


「師匠が、いつものごとく……」

「怪我しちゃったのか……まあそんな日もあるさ、ねっ」


 そういいながら、金髪の男、ベネはノラを書類の海から引き揚げた。額から血を流し、泡を吹いている彼女を椅子へと座らせる。


「わー、ひどいね」


 見ればキッチン兼食堂は書類と卵と食器の破片の山だった。


「直すか」


 ベネは空中で何かをつかむように手を動かし、それを引っ張る。すると、ボン、という音とともに元通りのキッチン兼食堂に戻った。

 リアはそれを見ると、肉球をノラのほうへ向け、呪文を唱えた。救急箱から薬と包帯がひとりでに出て、怪我を治療しだす。


 うっすらと瞳を開いたノラは、「はっ」と悲鳴を上げた。


「ご、ごめんなさい! わたしったら何ってことを!」


 リアがいう。


「いつものことですから」


 ベネが言う。


「いや、ノラのポンコツっぷりはいつものことだから。さて、僕は忙しくてね。朝飯は作るから、ノラは店番を頼むよ」

「はい、兄様」


 ノラは泣きながらうなずいた。

 ちなみにベネが作った食事はすべて虹色であったため、リアは気絶し、ノラは悶絶した。

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