呼び名はあの頃のまま

 翌日の朝、ユリアは登校してきてすぐに俺の方に近寄ってきた。


「やっぱりおかしいですよ。もっと久しぶりに接近するイベントだったはずなのに。抱っこイベントは回収できてるはずなのになんでミサキさん側があんなに気にしてないんですかね? おかしいです!」


 俺には何も聞こえていない。

 口が動いているのはわかるし実際には声はしているはずなのだが、なぜか周囲の雑音だけが俺の耳に届いて来て何を言っているのか理解ができない。これが口で伝えた場合の未来のネタバレ対策なのか。


「すまん。何を言っているのかこっちには聞き取れないんだ」


「えっそんなぁ~。私困ってるんです! 聞いてもらえるのユウマさんくらいしかいないんですよぉ」


「でもそれはネタバレってことだろ? しかも多分俺と美咲のことについての。じゃあ俺には絶対聞こえないって」


「未来のこと知ってるのユウマさんだけなんで聞いてほしいんですよ~! お二人の未来に関わることなんですし!」


 まあなんとなく言いたいことはわかるような気がする。イベントがあると言っていたが、あのあとあったのはあの歯切れの悪い終わり方をした会話だけ。あれはラブコメのイベントとしてはあんまりな終わり方だった。多分それのことを言っているのだろう。


「予想だが、昨日の会話のことだろ? お前が知っているのと違ったのか?」


 うんうん、といった具合に頷くユリア。この方法なら意思疎通できるらしい。ザルすぎないかこれ。


「じゃああの ファミレスのイベントはそのままだったのか?」


 う~ん、とでも言うような顔で頭をかしげる。否定じゃないってことはシチュエーションかなにかは違うが大筋おんなじ、といったところだろうか。


「だとしたらそのなにか違うところが重要じゃないのか? そこは詳しく覚えてないのか?」


「えっと。こっち来るときに細かなネタバレを防ぐため記憶に一時的な処置を施すんですよ。だからあの抱っこのイベントあったなぁくらいは見えるんですけどどこでとか何月何日とかはわからないんです」


 ユリアはしゅん、としてしまった。


「じゃあ未来が変わっているってことなのかもわからないのか。パラドクスとかホント大丈夫なのか?」


 大きなパラドクスが起きたらどうなるのか、まさかタイムパトロールとかいうのが強制的になにか介入してくるんじゃないだろうな。


「ともかくそれじゃあ俺にもどうしようもないよ。本当に俺と美咲の間に恋が発生するのか俺だって知りたいくらいだよ本当なのかをさ。あの美咲だぜ? 成績優秀で人当たりも良くてもう何もかも昔のままじゃないんだしさ」


「そんなことないです! 美咲さんは……」


 それ以降はまた雑音に流される。おそらくこれもネタバレだ。文脈から考えれば恋する関係になるのは事実のようだ。

 ともかくはこの調子じゃなにもわからないし進めようもない。なにより美咲の気持ちがどこにあるのか、今の俺達の関係じゃわかるはずもない。


「まあ、この件は俺の方でもちょっと考えとくよ」


「うえ~ん! お願いしますぅぅぅ!」


 と抱きつくような仕草を取ってきた。目立つからやめてほしい。


「まあ私も色々動きますから!」


 とユリアは言うが本当に大丈夫だろうか。




 その日の放課後、家に帰ろうとするとユリアに呼び止められた。


「ユウマさん、ちょっとこっち来てもらってもいいですか?」


「どうしたんだ急に呼んで。朝言ってたことでなにかわかったのか?」


「いえ。そちらはわかっていませんが、今わかることはあります。それはユウマさんとミサキさんが仲良くなれば結果的にオッケーということです!」


「俺と美咲をくっつけるってことか? でもそれって未来人としてやって良いことなのか?」


「そんな一足飛びに進めるつもりはありませんよ。それにさっきのみたいにダメなネタバレだったら規制がかかるはずです! 


 それはまあそうかも知れないが。しかし本当に大丈夫か? 


「まずは、今のミサキさんを知ってもらうことから始めていきましょう!」


「まぁ最近の美咲が何やっているのかよく知らないけどさぁ」


「というわけでまずは、ミサキさんの部活でも見に行きましょう!」


 強引なユリアに引っ張られる形で裏庭のテニスコートが見える場所に案内される。

 テニスの強いうちの学校では、グラウンドとは別にテニスコートが設置されている。

 美咲は中学の頃からこの学校に来たがっていた。2年の頃学校見学でこの立派なコートを見て、興味を持っていた記憶がある。


「そう言えば昔からテニス上手かったんだよな美咲は。でもしばらく見ないうちにあんなに上手くなっていってるとは……」


「知ってますそれ。えっと確か小学生の頃……」


「ああ。昔は同じテニススクール通ってたんだよ。今は俺はもうやめちゃったけどな」


「中学の時、元テニス部だったってのは知ってますよ私。それで練習中の怪我で……」


「それはもう昔のことだからさ」


 あまり話したくないことなので食い気味に切り上げた。

 そうこう話しているとラリーを終わらせた美咲がこっちに向かってきた。なんだろうか。


「佐藤くんにユリアさん。どうしたのこんなところで」


「あ~いやユリアさんが色々部活みたいって言ってたからちょっと案内をね?」


「そうだったんだ~。ユリアさんもテニスやるの?」


「いえいえいえ! 私はあんまりスポーツやらないタイプのインドア派なので……」


「じゃあここに来たのはもしかして……私になにか用だった?」


「ええ! いや私じゃなくてユウマさんが……私はちょっと先ににあっちの部活見ていますね!」


 と去って行ってしまった。こんな無理やりなアシストがあるか。

 美咲と俺はその場に取り残される。ちょっと気まずい……。


「あ~えっと、何か用があるの?」


「いや、大した用があるわけじゃないけど……久しぶりに見たらすごい上達しててびっくりしたよ」


「あはは。一緒にテニスしてたのって中学の頃までだったもんね」


「もう最近は出不精って感じになっちゃったからなぁ」


「しかたないよ。あんな怪我しちゃってさ。もう痛んだりしない?」


「平気平気。でももうブランク長すぎるしやる気になれないなぁ」


「そうだよね。ごめんね? 変なこと思い出させちゃったかな?」


「もう割り切ってるから平気だよ。それより美咲すごい上達しててびっくりしたよ。全国決定って聞いてはいたけどこれはけっこういいところいけるんじゃないか?」


「行けたら良いなって思ってるよ。そういえば呼び止めちゃってごめんね。ユリアさんとのデートの途中で」


 そう見えたのか。なぜだか俺はそう見られてのが恥ずかしいというよりなんか嫌で。


「デートって……そんな関係じゃないよ。ただ案内してるだけ」


 そう強めに否定してしまった。


「でも最近良く話してるじゃないユリアさんと。てっきりユリアさんが君に興味持ってると思ってるんだけど……」


 ユリアが俺に興味を持っているのは事実だ。未来での推しなのだから。結構鋭いことを言われてしまった。


「ユリアが俺に? 俺がユリアのことをって方があり得るんじゃないか?」


「ほら! ユリアさんのことユリアって呼び捨てにしてる。佐藤くんは仲のいい人しか呼び捨てにしないでしょ?」


「たしかにユリアのことは呼び捨てにしちゃってるな。しかしよく見ているな」


「ク、クラスメイトだし? それなりには見ているつもりだよ?」


 ちょっと言い淀んだのが気になると思っていると、


「お~い、休憩終わりだぞ美咲~」


 と遠くから練習相手の声が聞こえてきた。


「ほら、俺もユリアの方見に行かないといけないから美咲も行けよ」


「うん。ちゃんとエスコートするんだよ?」


「だからデートじゃないって」


 そう言ってその場を離れる。

 なぜだろう。誤解されたままなのが引っかかってしまっていた。





「『美咲』か。まだ私のことそう呼んでくれてるんだね」


 遠くで呟いた美咲の声は俺に届かなかった。

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