証明は完了した、安らかに眠れ。

フジキヒデキ

序章


 ホームレスという生き方は、なくならない。

 いいわるいではない、ただ、そう思う。


 どれほど人々が豊かになり、最高の福祉国家を目指そうと、一部の人間はその愚かさのため、貧しさのため、不幸のため、あるいは自由のために、屋根のある場所から逃げ出し、自らこの姿を選ぶ。

 ──俺のように。



 相川あいかわ晶人あきとは、薄汚れたパーカーとジャージの上下、すりへったスニーカー、使い古しのべたつくマスクを顎まで下げ、口を開く。


「ヤマさん、お疲れ。これ近鉄のぶん。もってってくれとさ」


 手にしていた紙袋から、十冊程度の雑誌の束を取り出して、目のまえの初老の男──ヤマさんに手渡した。


「おう、アキか。わるいな」


 広げたビニールシートのうえ、きれいに「商品」を並べるヤマさん。

 ごましおの不精髭と黒のパッチ、小柄な体躯に、斜にかぶったベースボールキャップがトレードマークだ。


 通学路が集まる大通りから、一歩はいった裏通り。主要道の雑踏と騒音を避ける意味でも、歩行者が集まる穴場の交差点にいる。

 学生の街でもある京都で、少なくない貧乏学生に、発売されたばかりの古雑誌はけっこう売れる。


 アキは静かに、現在の自分の「職場」を眺めた。

 駅などで調達してきた雑誌を、格安で売る「古雑誌売り」は、もともとは大阪から全国に広まったらしい。紙としてリサイクルにまわすより、雑誌として売ったほうが儲かることに気づいたホームレスがはじめた。

 これが当たった。


 とくに週刊少年ジャンプの発売日である月曜日には、飛ぶように売れたという。ひと昔まえの話だ。

 いまはもう、そんなことはない。それでも、まあまあ需要はある。

 売れ筋に便乗するように、あやしげな商品も並んでいた。


「また押しつけられたのか、エロソフト」


「ああ、まあ、しょうがねえさ」


 ヤマさんは、売り場の片隅に置かれたエロ系の小山にかぶせるように、新たな商品を積み上げた。

 妙な連中に絡まれることで、利益は殺がれる。言い換えれば、ホームレスの仕事は

 儲かるとなると、暴力団が目をつける。シノギとして認められ、がはいるようになって、殺人事件まで起こった。


 もちろん警察や関連の企業など、いろいろな横槍もある。ホームレスの仕事が楽になることはない。

 定番の空き缶拾いから、中古家電や廃棄食品、外国タバコや銀杏売りなど、他の仕事となんとか共存をはかっているのが現状だ。


 で構成される、この「古雑誌売り」に、アキがという役割で参入したのは、半年ほどまえのことだ。

 ……と、回想に浸る暇もなく、人だかりに気づいた彼は、やおら視線を返した。


 ヤマさんは、客なのかそうでないのか判断しづらい状況に、やや困惑しているらしい。

 きっかけは、無造作に寄ってきた外人。

 三人連れで、男ふたりに女ひとり。どうやら横の男女がカップルの観光客で、連れである手前の男は通訳兼カメラマン。


 通訳といっても、日本語はほとんどできないようだ。

 使い勝手のよくない翻訳端末と、中途半端な英語でエクスキューズミー、プリーズ、サンキューをくりかえしながら、カメラを構えて露店から売り込まで勝手に撮影している。


 ラテン系らしいノリで、たまたま通りかかったお調子者らしい日本人学生と、たどたどしい英語でやりとりしている。

 どうやらネイティブがスペイン語と日本語による、中途半端に英語ができる者どうしの、聞いちゃいられない会話だ。


 ──彼らは、どんな商売なのですか? 雑誌のリサイクル販売をしています。

 ──日本には彼らのような人々が多いのですか? いいえ、彼らは特別なケースです。

 ──日本のスラムについて教えてください。すみません、くわしくないです……。


 趣味のわるい外人だな、と思った。

 近所には、いわゆる「京都0番地」もある。東九条は一九二〇年以降、朝鮮韓国籍の人間が多く移り住み、戦後もなかば不法占拠の状態でバラックを形成していた。

 南のほうにはウトロと呼ばれる係争の地などもあり、都市のアンダーグラウンドに興味をもつ人々にとっても、京都は訪れる価値のある街だ。


 アキはヤマさんの斜め後方で、すこし顔を伏せて状況を見定めることにした。

 あまり目立ちたくはないが、露店にとっては客寄せのセオリーでもある。ホームレスと外人と学生、という妙な取り合わせも人々の足を止めるのに奏功している。

 この機に乗じて、ヤマさんとしては雑誌を売りたいところだろうが、どうもそういう状況には流れない。

 大道芸人ではないのだから、見てもらったからといって金をとるわけにもいかない。


 そうして時間というものは、だいたいホームレスにとって厳しい方向に作用する。

 取り巻く一般人の気持ちは、訪れてくれた外国人に対して、日本の美しいところを見て楽しんで帰ってもらいたい、という傾向にかたむく。

 彼らの「おもてなし」精神にとっての不快な汚点、それがホームレスだ。


 困ったような表情で、アキをうかがうヤマさん。

 ふと、外人のカメラが露骨にヤマさんを撮りだした。いままでも流れで何枚か撮られていることには気づいていたが、いよいよ気分がわるくなる距離とアングルだ。

 ──やっかいなことになりつつある。


「ちょっと、勝手に撮らないでよ」


 ヤマさんが手を上げて制止する。

 外人は肩をすくめ、コトバワカリマセン、とばかりおかまいなし。

 日本人たちの空気も、決定的に変わりはじめている。


 京都は学生の街であると同時に、観光地でもある。

 美しい風景を撮影してもらうぶんにはかまわないが、汚点を撮影されるのは忸怩たるものがある。

 日本の恥部を撮影する外国人。

 いまいましそうに陰口をたたく日本人。


 ──だからあんなやつらは追い出すべきなんだ、役場はなにやってる、日本の恥だ、外国にさらされる、日本人全体がバカにされるじゃないか、最悪だ。


 空気を察し、舌打ちしつつ店じまいをはじめるヤマさん。三十六計というわけだが、売れ残りを運ぶにも、まだ量がありすぎる。

 アキは、ヤマさんの動きを制して、カメラマンの背後にいるスペイン人カップルに注目した。

 ちょっとした騒ぎを眺めて、楽しそうに母国語で会話するふたり。

 しばらく聞いてから、やおら、鋭い口調で言った。


「Oye, te entiendo bien.(おい、わかってるぞ)」


 びくりと飛び上がるスペイン人カップル。突然の注目を浴びて、とまどっている。

 背後で友人たちの交わす会話については理解していたのだろう、あわてて英語で言い訳を並べ立てる手前のカメラマン。

 アキは日本語に切り替え、大声で言を継ぐ。


「最初からバカにされてんだよ、日本人全体な。薄汚い恰好をしてるやつらと、あんたらも大差ないってよ。ごりっぱな体格の外人さんコンキスタドールと比べて、日本人てやつはみんなガキみてえに貧相だな、ハ・ハ・ハ! って笑われてんだ」


 一瞬だけ静まり返り、それから急速に場の空気が変わった。

 アキは英語に切り替え、その程度の英語しか話せないなら高い翻訳機を持ち歩け、とカメラマンおよび学生を罵ってから、世界中の人間にわかりやすく中指を立ててゴーホームを伝える。


 神の加護を受けた白き者の目に、異教徒かつ異人種ともなればゴミクズにも等しい。

 そんな、イベリア半島を出て世界史を血の色に染めた、虐殺と征服と差別の言語にかけられた呪いは、現在進行形estarのようだ。


 もちろん彼らは言うだろう。ちょっとした冗談だった、と。

 しかし事ここに及んで、言い訳が無駄である、と判断すれば──そう、ケツまくるしかない。

 日本のホームレスは新聞を読んでるって聞いたことはあるが、最近のは三か国語もできんのか、みたいなことを口走りながら姿を消す外人たち。


 いまだ多くの国では、字も読めないからホームレスになる、というパターンが多い。

 しかし日本は圧倒的な識字率の高さで、急速な発展を遂げた。

 外国語を苦手としていたので最近は凋落傾向だったが、ついに乗り越えたのか。


 そんなフェイクニュースをでっちあげられて、海外のマイナーなサイトにでも載せられるだろうか。

 肩をすくめつつ、視線を転じるアキ。

 残された人々は一瞬、拍手でもしそうな雰囲気になったが、アキたちがホームレスであると思い出すや否や、その事実に極度の違和感をおぼえたようだった。


 ほとんどの連中が、居心地わるそうに視線を泳がせながら、そそくさと去って行った。

 ──なんなんだ、あのホームレス。てきとーなこと言ってんだろ、どうせ。だってホームレスだぜ。きたない、気持ちわるい。


 ほどなく閑散となる学生通り。

 感心したようなヤマさんだけが残ったので、軽く肩をたたいてその場をあとにした。

 ま、世の中そんなもんだ……。

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