それは雛鳥の如く

小紫-こむらさきー

それは雛鳥の如く 前編

「祝福も呪いも我が身に返る、それは雛鳥がねぐらに帰るように」


 母上がよく歌っていた子守歌の一節をよく思い出す。もう母さんはいないけど。

 原因不明の熱病で母上は僕が九つの頃に亡くなった。そして、去年迎えられた新しい母上は僕を疎んでいる。何故なら前妻の子供で継承権第一位であるということもあるけれど僕が呪われているからだ。


「名前の通りコルウスみたいな黒い髪と黒い目、不吉で気味が悪いわ。この子の母親は魔法使いだったのでしょう? この子が話せないのはきっと呪いのせいよ!」


 と新しい母上は僕を見て表情を歪めながらそう言いのけた。僕が十三歳になったときのことだった。


「言葉を発することも出来ない子供を跡継ぎにするなんて本気かしら?」


 そう新しい母上が怒鳴り散らしたおかげで僕は広間の横にある使用人の控室を改造した檻の中へと追いやられている。

 新しい母上は弟のフレデールを生んでからますます僕への当たりが強くなった。話せもしない子に与える食事など無いだとか話せない子に教育係も使用人も必要ないだとか。でも、不運なことに、弟のフレデールも生まれてしばらくして呪われてしまって、その呪いは僕のせいだということにされている。

 弟は全身にぐにゃぐにゃした縞状の痣に覆われてずっと熱が下がらないらしいけれど、僕は目にしたことがないのでわからない。


「コルウス、フレデールを呪っているのなら、呪いを解け。そうでないとお前の立場を守れんぞ」


 弟が生まれてから半年が経とうとしているけれど、父上が僕にかけてくる言葉は呪いを解けという命令か、出来損ないという罵りの言葉。ただ、見捨てもしていないらしい。みんなが寝静まった後、使用人のギーラが僕に食事を与えることを見て見ぬ振りしてくれていた。


「ああ、可哀想なぼっちゃん、生まれてすぐ喉に奇妙な茨の痣が出来るなんて」


 この女は魔女の娘、ギーラ……僕が生まれる前からこの屋敷にいる。彼女は老人のような白髪を後ろで一つに括っている、くすんだ鳶色の瞳をした痩せ細った女だった。占いや魔道具の鑑定をするために父上が屋敷に置いている、この屋敷では僕の次に哀れな人。

 僕がぼうっとしていると、檻の外に近付いて来たギーラは小さな白パンを半分に割って片方を自分の懐へ忍ばせながらもう片方をこちら側へそっと置きながら話す。


「茨の痣は魔女の呪い。呪われた子が長子だなんて知られたくないと旦那様にこんな広間の横の隙間へと追いやられるなんて」


 広間に挿し込む月明かりに照らされて、ギーラのパサパサとした銀色の髪が妖しく輝く。


「ぼっちゃん、わたしは優しいですからね、呪いが移るかもしれないのにこうして柔らかいパンをあなたに持ってきてあげるんですよ」


「―――」


 ありがとう。そういっているつもりだけれど、僕の喉は声を吸い込んでしまっているからか僕の声は誰にも届かない。


「旦那様はぼっちゃんよりも、死にかけの弟君を助けるために血の色をした血盟霊石ヴァンパイアルビーを血眼になって探しているようです」


 彼女が言うのは、弟であるフレデールの呪いを解くために必要な魔石のことだ。血盟霊石ヴァンパイアルビー……吸血鬼の血を固めて作ったその宝石がフレデールの呪いを解くために必要だと彼女は言った。

 卑しい魔女だと父上に呼ばれているけれど、その血筋は確かなものらしくて占いで僕が呪われることを怖れて父上に進言をして罰せられたり、新しい母上になる人を予言したり、フレデールに不幸が近付いていることを言い当てたりしたから、父上は今ではすっかり彼女のことを信頼しているみたいだった。

 父上が僕を完全に見捨てないのは、ギーラの進言を無視したせいで僕が呪われたことを気にしているからかもしれないなんて、少しだけ思うけれど本当のことはなにもわからない。


「旦那様が闇オークションへ足を伸ばし始めて数ヶ月……貴重な血盟霊石ヴァンパイアルビーなんぞ簡単に手に入るわけはありません」


 でも、夜な夜な僕の所へ尋ねてくるギーラはこうして時々不穏なことを告げる。

 その理由は、まだ幼い僕にはわからない。


「ぼっちゃん、覚えておいて下さいね。このギーラがあなたのお世話を一番熱心にしたと言うことを」


 檻越しに、彼女は細い枯れ枝の様な人差し指を立てて自分の口元へ持っていってニタリと笑みを浮かべてこう言った。確かに、呪いが移るかもしれないと怖れてみんなが僕を避ける中、ギーラだけが僕に食事を持ってきてくれるし、世話をしてくれている。体を拭うための水を用意してくれたり、檻の隅に取り付けてあるトイレの掃除すらしてくれているのだ。恩を感じているのは本当だった。彼女がいなければ僕はきっと死んでいるだろうから。


「弟君が亡くなり、ぼっちゃんが声を取り戻せばきっと旦那様はぼっちゃんを跡取りにしてくれるはずです」


 フレデールに死んで欲しくは無い。でも、こんな境遇からは解放されたい。どうすればいいのかわからないまま、僕はギーラが話すことを黙って聞いていることしか出来ない。


「その時はこのギーラを、あなた様の大切な存在としておそばにおいてくださいな」


 彼女は、僕の元を去るときにいつも熱に浮かされたような表情を浮かべてそういうのだった。

 僕が広間と廊下の間で退屈なだけの日々を過ごしていたけれど、空が真っ暗でゴロゴロと雷鳴が響くような日のことだった。空に白い光が瞬き、轟音と共に父上の大きな声が響いた。


「こんなクズ石が金貨百枚だと? ふざけおって! お前に金貨百枚の価値がわかるか? 金貨百枚あれば妻に贈る宝石が十も二十も買えるんだぞ」


 父上は、使いに出した使用人の一人に猛烈に怒っているみたいだった。


「も、申し訳ありません! ですが旦那様は血盟霊石ヴァンパイアルビーをいくらかかってでも競り落とせと……」


「限度というものがあるだろう! それにこんな偽物を掴まされおって」


「そ、そんな……。本物だという証書もこちらに」


 様子が見えないけれど、どうやら使用人は父上に殴られて尻餅をついたようだった。這いずるような音と共に畳まれた羊皮紙を広げる音が聞こえてくる。


「証書だけ本物で石はどこかですり替えられたのだろう! こんなルビーとも言えない黒い石ころが血盟霊石ヴァンパイアルビーなはずがない。ギーラ、卑しい魔女の娘よ、確かめてみろ」


「……はい」


 ギーラの軽い足音が聞こえて控えていた彼女が父上の横に進み出たのだということがわかる。


「……この石からは魔法の気配は感じられません。残念ながら偽物でしょう」


「ホラ見ろ! この無能め! こんなことならギーラを使いに出した方がマシだったな」


 ギーラの言葉を聞いた父上が当てつけのように強い口調でそう言って立ち上がったのがわかった。使用人はどうしているのだろう。床に這いつくばって項垂れていたりするのだろうか。


「もう用は済んだ。下がりなさい」


 ギーラを下がらせてからすぐに父上の重い足音が近付いてくる。


「クソ……この黒いだけの石ころが金貨百枚分だって? まったく腹立たしい」


 父上は、光も跳ね返さないくらい真っ黒な石を握りしめながら忌々しげにそう言った。


「コルウス、これをお前にやろう出来損ないにはお似合いの石だ」


 話せないだけで、僕の耳はしっかりと父上の言葉全てが聞こえているって言うのに、父上は僕を出来損ないと言って石を放り投げるように寄越した。どうしていいかわからず、足下に転がってきたそれを手に取って握りしめる。


「……―――」


 お礼を言ってみるけれど、やはり僕の声は父上には聞こえていないみたいだった。


「茨の呪いに蝕まれ、口もきけないだなんて。わが息子ながら薄気味悪い。フレデールが病弱で無ければお前なんぞ……」


 動いているけれど声が出ない僕を気味悪がっているのか、父上の顔が顰められる。吐き捨てるように僕への悪態を述べた父上はそのまま長い外套を翻して檻の前から姿を消した。重々しい足音が遠のいていく……きっと新しい母上とフレデールのところへと戻るのだろう。

 ギーラがいつも通り僕の世話をしに来て、いつものようにフレデールへの呪いの言葉と、熱に浮かされたような「おそばにおいてくださいな」という願い事を言って去っていった後……僕は一人、握りしめた石を眺めて考える。自分が出来損ないだとわかっているけれど、久し振りに面と向かってそう言われて涙がにじんでくる。


『いらないのなら僕のことも、この石も捨てれば良いのに』


 頬から涙が流れ落ちてぽたぽたと手の上に落ちるのも気にしないまま、僕はそう口にした。きっとこの声も誰にも届かないのだろうけれど。 


「お前のことも、俺のことも捨てる勇気はないんだろうさ」


 どこからか、低く柔らかい男性の声が聞こえてきて辺りを見回す。でも、どこにも人影は見当たらない。


『……君は? 僕の声が聞こえるの?』


「俺はセプス。お前が持ってる石の中にいる」


『……でもギーラもこの石は偽物だって言ってたよ』


 僕は、握りしめていた手を開いて、光すら呑み込むくらい真っ黒な石を見つめてみる。ツヤツヤとした手触りの加工されていることは確かだけれど、きらきらと光る宝石とはほど遠い見た目をした石。


「本来は鮮血に似た色の血盟霊石ヴァンパイアルビーが、光も跳ね返さないほど黒くなるまで重ねられた封印だ。三流の魔女に、微かに漏れる魔力を感知出来るはずがない」


『そんなこと、あるわけないよ』


 予言も出来て信頼はされているギーラのことを三流っていうだなんて。驚きながら僕は手元にある黒い石に目を落とす。


「本当だって。そうだな……お前泣いてるだろう?」


 見えているのかわからないけれど、僕は首を縦に振る。


「さっき、お前の涙が俺に落ちたからこうして楽しくお喋りできているんだ」


『涙が?』


「魔法使いの才能があるやつには、血や涙なんかに魔力が宿る」


 低い声は優しげに僕に語りかけてくる。こんな風に誰かから話しかけて貰ったのはいつぶりなんだろうって思いながら、僕はその声に昔していたみたいに声に出して答えてみる。


『母上は魔法使いだったけれど、僕は魔法なんて使えないよ』


「魔法を使えないのは習ってないからだ。魔力自体はその体に宿っている。なああと二、三滴でいい。涙をこの石に垂らしてくれよ」


『わ、わかった』


 瞬きを繰り返すと、目に溜まっていた涙が頬を伝って流れ落ちてくる。ぽた、ぽた……と石の上に落ちた涙が一瞬で乾き、石の表面が暗い赤色に変わっていく。わずかに光った石の表面からは僕の手のひらと同じくらいの背丈がありそうな小さな男が現れた。石の上に立っている男性は、腰まで伸びた真っ黒な髪を一つに結んでいる。猫の目のように細い瞳孔をした真紅の虹彩がじっと僕を見てから楽しげに細められた。


「よぉ、小さな魔法使い。改めて自己紹介してやろう。俺は黒の吸血鬼ヴァンパイアセプス」


『吸血鬼ってずいぶんと小さいんだね。それに、君には左目が無いようだし、しかも石に繋がれている』


 セプスと名乗った吸血鬼は美しい顔をしていた。でも、左目に深い紫色をした皮の眼帯を付けていたし、足下からは瞳の色と同じ真紅の光が出ていて真っ黒な石と繋がっている。

 人の噂で聞いたことはあるけれど、本物の吸血鬼を見るのは初めてだった。僕は、少し緊張しながら口を開く。


「長らく封じられていた身だ。涙ぽっちで得られる魔力じゃあ、この姿になるのが限界だ。本体は小さく小さく折りたたまれて石の中にあるから、この姿はお前にしか見えていないぞ」


 喉を鳴らすように「ククク」と笑ったセプスはそういうと自分の足下にある石を指差して忌々しいものをみるようにかぶりを振って見せた。


「お前の血を飲めば完全な姿を取り戻せるが……今はまだ都合が悪い。魔力が大きすぎると、三流魔女に俺のことがバレちまう」


 トントンと爪先で石を叩くようにしてから、小首を傾げたセプスが僕を見上げて笑みを見せる。小さくて鋭い牙を見ると、彼が吸血鬼なんだということを実感させられる気がした。


「なあ小僧、契約をしないか?」


『けいやく? それって魂を奪われるとかそういう?』


「魂を奪ってもいいが……流石にお前は、それを了承してくれるほど愚かには見えないな」


『魂は、嫌だよ。死んだあとに、母上に会えないと困るから』


 魂と聞いてドキリとしたけれど、セプスはクスクスと笑ってから僕を褒めてくれた。出来損ないとしか呼ばれてない僕を「愚かには見えない」と言ってくれて、それが僕を懐柔するための嘘だとしても嬉しくなってしまう。


「そうだな、お前に眠る魔法使いの才能を活かす術を教えてやろう」


『魔法を? そ、それなら契約してもいいよ。でも……僕は何をすればいいの? 契約って片方の願いを叶えるものではないよね?』


「俺の左目を取り戻して欲しい。近いうちにオークションで競りに出されるだろうって噂は石の中で聞いていたんだ」


『いいよ! で、でも僕はしゃべれないからオークションで何かを競り落とすなんて出来るかな? それに、そもそも屋敷から出られもしないし……』


「お前が喋れないのはな、ここに細工をされているからだ」


 力になりたいのは山々だけど、僕には無理なことが多い。そう説明しているとセプスは僕の喉を指差しながらニヤリと笑った。


「幼いお前に誰かが、呪いを掛けたな。魔女か妖精が悪戯目的で使う酷く原始的で稚拙な呪いだが」


 僕の腕を伝って喉元まで歩いてきたセプスは、少し身体を前に倒しながら、じっと痣があるであろう場所を見つめている。石と繋がっている赤い光が糸のように伸びて綺麗だなと思いながら、僕はセプスの話に耳を傾ける。


「呪いの類いは、黒の吸血鬼である俺の領分だ。見るに、これは魔力が通る回路を絡み合わせ、魔力が身体中に行き渡るのを阻害する呪い」


『怖い呪いなの?』


「一人前の魔法使いにとっては一時的な妨害にしかならんが……未熟で何も知らないガキ相手になら、脅威ではある。お前の魔力が高くて致死性のある呪いは掛けられなかったということかもしれないな」


 腕組みをしながら、セプスはそう言って僕の腕を滑り降りてまた手のひらの上に戻ってきた。


『誰がそんなことを?』


「そこまではわからん。まあ、この呪いを相手に返してやればそれもわかるだろうが」


『そんなこと出来るの?』


 僕の言葉を聞いて、彼は綺麗な牙を見せつけでもするようにニッと笑ってみせた。


「呪い返しは、解呪の基本中の基本。こいつを仕掛けた奴は魔法にも魔術にも精通してないやつだろう。俺なら寝ながらでも解ける簡単な呪いだ」


『僕を長い間苦しめてきた呪いが……そんな簡単に? ギーラでも解けなかったのに!』


「ククク……呪いってやつは、本来雛鳥がねぐらに帰るように我が身に返る」


 セプスが空中で指を振るうと僕の喉が温かい何かに包まれたような感覚がした。お湯を含ませた布を当てられているような感覚がしばらくして、それからじわじわと熱が引いていく。


「こいつは雛鳥の躾を怠っているようだからな。せっかくだ、ちょいと細工をしてやろう」


 僕の喉を指していた指を上へ持ち上げるようにして、ぐるぐると回した後、彼はどこかに見えない何かを飛ばすように指を外側へと払った。


「ガキ、声を出してみろ」


 こちらへ目線を戻したセプスがそう言った。おそるおそる口を開いて、声を出す。


「――ぁ」


 耳に聞こえてきたのは、掠れた声だった。でも、僕の声だ。


「声が! 声が出る! すごい!」


「忌々しい茨の模様も消えたが……そうだな、まだお前が声が出ないということは隠しておくか。似たような模様を刻んでおいてやろう」


 セプスの指先が光って、赤い光の筋が僕の方へと向けられた。喉が少しだけくすぐったい感じがする。彼がいうには痣と同じような模様が刻まれているみたいだけれど。


「いいかガキ、俺が良いと言うまで話すなよ。おもしろいものが見たければな」


「わかった。君がいいって言うまでは黙っておくよ」


 話すとちゃんと声が聞こえる。そのことが嬉しいけれど、きっと彼にも考えがあるのだろう。呪いを解いてくれたしきっと僕を悪いようにはしないはず。セプスを信じることにして、僕はいつも通り硬い床の上で寝そべって目を閉じた。


「ほら、がのこのこ来たようだぜ。まだ寝たふりをしていると良い」


 翌朝、耳元で囁くセプスの声で目が覚めた。言われた通り目を閉じたままでいると軽い足音が近付いてくる。聞き慣れた足音は恐らくギーラのものだ。


「――っ! ――!!!」


 薄目を開けてそうっと見て見ると、ギーラは口をパクパク開いて何かを話しているようだけれど声は聞こえない。首元には薔薇の蕾に似た黒い痣があるのを確認してから僕はバレないように目を閉じる。


「くくく……お前の喉元を確認して焦ってやがる」


「……! っ――! ――――」


 楽しそうに笑うセプスに言われてもう一度薄目を開けてみると、僕に向かって必死で何かを言おうとしているギーラの慌てた顔が見えた。


『……まさかギーラが呪いをかけていたなんて』


「お前を呪って出来損ないにしたてあげ、弟を呪い殺すつもりだろう。弟が死んだところでお前の呪いを解き、お前によくしてやっていたということを利用して出世でもしようって魂胆かもな。思い当たる節はないか?」


 再び目をしっかりと閉じてから、心の中で思ったことにセプスは答えてくれた。昨日、僕が話せたのはこうやって伝えたいと思ったことを頭に思い浮かべてたからかな? こうして声に出さなくても会話が出来るのは便利かもしれない。不思議だなって思うけれど、同時にギーラがこんなことをしていたなんて……と悲しい気持ちにもなってくる。


『……彼女は、呪いが解けたら大切な人としてそばにおいてくれって僕に言っていたけれど……』


「あの女にとって、お前は出世のための踏み台でしかないってことだろう」


 フンと鼻を鳴らして、セプスはそう言った。悲しいけれど、そうなのかもしれない。自分で僕を呪ったのなら、呪いが移るかもなんて心配しないで僕の世話を出来たのも当たり前のことだろうし。


「あの女、お前の父親のところへ行くようだぜ? ついていくか? こんな脆い檻、今の俺でも壊してやれるが」


「いや、いいよ。それよりも……君の力が本物だってことはわかったよセプス」


 悲しいけれど、それよりも悔しかった。話せなかったことで、僕がどんなに寂しかったのかきっとギーラはわからない。父上にも冷たくされて、弟を呪ったという汚名まで被せられていいわけも出来なかった日々の惨めさを……彼女はきっとわからないんだろう、そう思った。


「僕と契約をしてくれたら、君の左目を取り戻すために最善を尽すと約束をしよう」


 だから、僕はこの小さな吸血鬼と契約をしようと決めた。契約をして、この家から出て行くための力を、一人で生きていくための力を手に入れたい……そう思った。


「ガキ、俺はお前に何を差し出せば良い?」


「僕を、魔法使いとして一人前にして欲しい」


 セプスは、僕を魔法使いの才能があると言った。だから、きっと魔法を教えて貰えば一人でも、この家から出ても生きていける。そう思った。


「いいだろう。じゃあ、契約を交わそうじゃないか。契約の副作用なんてほぼない。価値観が少しだけに引っ張られることくらいだ。さあガキ、名前を言ってこれで指を傷付けろ」


 セプスの手元が光ると真紅の小さな針のようなものが現れた。それを僕へ手渡すと彼はそう言った。


「……ぼ、僕の名前はコルウス・アディンセル」


 言われた通り、僕は自分の名前を言って親指に針の先端を少しだけめり込ませる。ぷつりと皮を貫く音がして、針を抜くと出てきた血が小さな球を作る。


「黒の吸血鬼セプス・イムプレカーティオーはコルウス・アディンセルを一人前の魔法使いに育てると誓おう。で、コル、お前は俺に何をしてくれるんだっけ?」


「コルウス・アディンセルは、黒の吸血鬼セプス・イムプレカーティオーの左目を取り戻すために最善を尽すと誓う」


 セプスが言った文言を真似して、僕は彼に頼まれたことを口にした。


「傷付けた指を、俺に差し出しな」


 言われた通りに彼に指を差し出すと、彼は自分の右の親指に牙を立てた。小さな小さな球状になった血が出た親指を僕の指に重ね合わせると、青い光の円が幾重にも重なった不思議な模様が浮かび上がって僕とセプスの身体を包んで消えていく。


「血を飲んでないから、姿はこのままだが……まあ少しは動きやすくなっただろう」


 僕が握っていたはずの石は消えて、セプスの足下から伸びていた赤い光の糸も消えている。でも、彼の姿は小さいままだった。

 まだ誰に気配も無い。朝早いからだろうか。

 今の光景を誰にも見られて無くて良かったなと、今更思いながらボクは不思議に思ったことをセプスに聞くことにした。


「もしも君に血を飲まれたら、僕は吸血鬼になってしまうの? それとも、君の眷属になってしまったり」


「お前が同族になりたいというのならしてやってもいいが……今はそうではないだろう? それなら、ならないさ。両者が同意し、お互いの心臓近くの血を飲み合わなければ同族にはなれない」


 ニヤリと笑いながらセプスはそう答えてくれた。血を飲まれるのは嫌じゃないけれど、どうなるか知らないままでは不安だと思っていたけれど、どうやら彼と同族になるにはそれなりの手順が必要らしい。


「いざというときはコル、お前の血をもらうが、それは今じゃ無い。魔力をたっぷり含んだお前の血を飲むのは楽しみだが、いざというときにとっておく」


「どうしてだい? 強くなった方が便利だと思うのだけれど……」


「吸血鬼は、力が強ければ強いほど制約を受ける。太陽の光に当たると皮膚が激しく焼けたりり、聖水が掛かると皮膚が爛れたり、柊の葉や枝を燃やした煙には弱くなったり……といった具合にな」


 吸血鬼について、僕は血を飲むことと、仲間を増やすことくらいしか知らなかったけれどそんな弱点があるのかと驚いた。


「だが、今の俺みたいな吸血鬼の残りかすのような状態であれば制約に縛られないって寸法だ。石から魂だけをかろうじて出している状態だからこの愛らしい姿も、魔力が強いやつにしか見えない」


 僕が彼の言葉に感心していると、怒鳴り声と共に重々しい足音が近付いて来た。父上だ……と思って視線を向ける。広間の方からは、怒って荒々しく歩く父上と、父上に髪を掴まれて引きずられるようにして歩いてくるギーラがいた。その後ろには様子を見守るように数人の使用人たちがぞろぞろと付き従っている。


「卑しい魔女め! お前が呪いは移らないと言ったのだろう? それがどうだ! 一番近くにいたお前が、見事にあの出来損ないと同じ呪いに掛かっているではないか」


「――! ―――っ。――!」


 口を大きく開閉して何かを言っているのがわかる。きっと僕もこんな感じだったのかなと思いながら見ていると、父上は僕の方へ放り投げるようにギーラの髪から手を離した。


「ええい! わしにも呪いが移ったらどうする! 今ここで首を切ってやっても良いくらいなんだぞ」


 顔を真っ赤にして怒った父上は、ギーラの腹を思いきり踏みつけた。ギーラが口を曲げて口から黄色い液を吐き出すのを見ていると、耳元でセプスが囁いた。


「なあコル、俺の言うことを信じてくれないか? ここで親父殿に話しかけてみてくれ。俺の言うとおりにするんだ」


『え? どういうことだい?』


 心の中で念じながらセプスを見ると、彼は腕組みをしながらギーラと父上を怒ったように目を細めて睨み付けていた。


「まあ、任せておけ。石の中にいても、近くで起きた物事くらいはわかるんだ。お前の家の事情だって少しはわかってる。さあ、俺の言うとおりに言葉を続けるんだ。いいな?」


 僕は首を縦に振ってから、息を吸い込んで手を握り込んだ。それから声が震えないように気をつけながら口を開く。


「父上」



 セプスが耳元で囁いてくれるとおり、僕は言葉を口にする。


「ギーラは、きっと僕の呪いを代わりにその身に、引き受けてくれたのです」


 耳元で「喉仏のあたりを指差しながら、こう言え」とセプスが指示を出してくれる。


「その証にほら、僕の喉からは忌々しい痣が消えているでしょう」


「―――!」


 床に這いつくばったままのギーラが目を見開いて、大きく口を開閉しているのが見える。ああ、本当に彼女が僕に呪いを掛けていたんだろうなとわかって、悲しい気持ちになりながら僕はセプスの言う通りの言葉を口にする。


「恩人である彼女が追放されようとするのを見ていられなくて」


「コルウス! 本当に、お前、しゃべれるようになったのか?」


「はい、父上。きっとギーラのお陰です……」


 ギーラの腹から足を離して、父上はこちらへ近寄ってきた。その目線はいつもの僕を蔑むようなものではなくて、その現金さにうれしさよりも幻滅が勝ってしまいそうになる。

 でも、今はそれを悟られるわけにはいかない。無理やり口元に笑みを浮かべながら僕はさらに言葉を続けることにした。


「それに、彼女は自分の身を犠牲にして、フレデールの病も治してみせるつもりなのでしょう……。この方は、卑しい女と言われようがこの家のために、いえ、僕のために献身してくれていたことがなによりの証拠です」


 それから、目を見開いたまま僕を見ているギーラへ目線を向けて微笑んだ。世話をしてくれた君には感謝も残っているけれど、その原因を作ったことには怒っているんだ。


「彼女は僕にずっと良くしてくれていました。父上が僕に下さったあの黒い血盟霊石ヴァンパイアルビーの偽物もいつの間にか無くなっていましたし……きっと僕も知らないうちにギーラが処分してくれたのでしょう」


 いつの間にか腰辺りに赤い蝙蝠のような羽を生やしたセプスは、上体を起こしてへたりこむように座っているギーラの方へ飛んで行く。


「三流魔女よ、口が利けないというのは不便だよなあ?」


 彼女の頭上で嘲るようにそう言ったセプスがこちらを見て手を振っている。


「おいコル、こいつはお前を呪い、弟のフレデールも殺そうとしていた。命で償わせたって良いよなぁ」


『……呪いは雛鳥がねぐらに帰るように我が身に返る……悪意もそのようにあるべきなのかもしれないね。でも、命までは奪わないで欲しいかな』


「人が良いお坊ちゃんだな。まあ、契約者の言うことは尊重しておいてやろう」


 フンと鼻を鳴らして笑ったセプスはそう言うと、彼女の露わになっている首筋に小さな口で噛みついた。


「魔女の血か。まあ、最初の食事にしては悪くない」


「――! ―――!」


 痛かったのか、セプスに噛みつかれた彼女が何かを叫ぶように口を開いているけれど声はこちらには届いていない。セプスが見えていない父上には余計わけがわからないだろう。父上も使用人たちも両手を振り回して慌てる彼女から距離を取っていると、セプスが彼女の頭上で腕組みをしてニタリと笑ったのが見えた。


「魔女ギーラ、動くな。項垂れたまま手のひらを上にして左手を前へ差し出せ」


 それから僕に「続けてこう言え」と指示を出してくる。


「父上、どうか僕とギーラを信じてくれるのなら、フレデールをここへ連れてきてください」


「……わかった。お前を信じよう」


 父上はそういうとすぐに使用人を走らせて、小さな弟……フレデールを連れてきた。

 金色のふわふわとした巻髪に薔薇色の頬……白い肌はうねった茨がのたうったような模様が刻まれている。


「父上、ギーラの手にフレデールの手を重ねて下さい」


 少し躊躇いながら、父上は小さな小さなフレデールの手を持ちながらギーラのカサカサとした今にも折れそうなほど細い手の上に重ねて、こちらを見ている。


「ちょいと演出をしてやろう。その方が人間受けがいいからな」


 セプスがそう言うと、フレデールの身体が赤い光に包まれた。


「なんだこの光は」


 批難めいた声をあげながら父上が慌てて後退りをして、ギーラを睨み付け、それからすぐに光の収まったフレデールへと目を向けた。


「痣が……フレデールの身体一面に広がっていた痣がない」


 僕からはよく見えないけれど、どうやらセプスは本当にフレデールにかかっていた呪いまで解いてしまったらしい。それと同時にギーラが床へ音を立てて倒れた。


「ギーラ……なんという……お前は……」


 父上がギーラに駆け寄ると、フレデールにあった模様が身体中に広がっている彼女は顔を真っ青にしながら腕に力を入れてなんとか上体を反らすように顔を上げる。


「―……―――」


 ギーラが何か言ったらしく、乾いてひび割れている唇が動いているけれど、声は届かない。父上が何か言おうとした時、セプスが空中で指をクイッと動かすとギーラがカクンと首を項垂れさせた。父上が驚いてフレデールを抱えたまま後退りすると、首を項垂れさせたままギーラは糸で吊られた人形のように立ち上がる。


「魔女ギーラ、恭しく屋敷の主にお辞儀をし、そのままこの屋敷を出て行き、二度とここへ戻るな」


 セプスの言葉通りに動いた彼女の背中に向かって父上は頭を下げている。


「ギーラ! すまなかった!」


 彼女は僕を呪い、フレデールのことも呪っていただけなのに。そう思ったけれど今はそれを顔に出すわけにはいかない。極力悲しそうな表情でいるように務めていると、檻の外側から父上が腕を差し入れてきて僕の肩を叩く。


「コルウス……」


 どれくらい振りに名前を呼ばれたのだろう。


「なんでしょう、父上」


「卑しい魔女のことを、すぐに信じるわけにはいかぬ。しかし、フレデールが回復をしたら、正当な跡継ぎとしての教育を施すことにしよう」


「コル、魔法使いになるのなら跡なんざ継がない方がいいぞ」


『奇遇だねセプス。僕もこんな家にずっといるつもりはないよ』


 今更、僕を正当な跡継ぎにするだって? 思わずそう言いそうになった時、耳元でセプスがそう囁いてくれて少しだけ冷静になる。


「父上、これまで通り、跡継ぎはフレデールでいいと思います。その方が新しい母上もお喜びになるでしょう」


 なるべく平静に。また閉じ込められたりしないように、人の良いただの何も知らない子供のように自分を見せるんだと息を深く吸って父上の顔を見る。


「その代わり、一度でいいのです。僕が行きたいと望んだ時に血盟霊石ヴァンパイアルビーが出されていたオークションへ連れて行ってはくださいませんか? 父上の話を聞いていて、一度行ってみたいと思ったのです」


「いいだろう、しかし」


 父上がホッとしたような表情を浮かべたのがわかった。新しい母上と揉めるのは本当は嫌だったんだろうというのがわかって、うんざりする。


「競りをしたいわけではないのです。ただ、この目で色々なものが出品される様子を見たいのです。継承権も放棄した可愛い息子の願い、聞いてはくれませんか?」


 新しい母上に睨まれて、新しい呪いをかけられることも、命を狙われるのも嫌だった。僕に「いつかこの家を捨てる日のためにも、人の良い欲の無い子供のフリをしていろ」と言ってくれたのもセプスだった。


「わかった。だが、跡継ぎではなくとも呪いも無い、発話も出来るのなら立派な我が家の一員だ。私室も与えるし、使用人もなんにんかあてがおう。それ相応の振る舞いをするように」


「お気遣いいただき、ありがとうございます」


 僕は父上の言葉に感激するフリをしながら恭しく頭を下げた。

 こうして、僕の騒がしい一日は幕を閉じ、数日後ようやく以前使っていた個室へと戻れることになった。

 父上が「継承権はないが教育は受けさせるつもりだ。新しい教育係を探すことにする」と言っていたことだけが憂鬱だなと思いながら、ふかふかのベッドへ腰掛ける。

 僕の肩の辺りに座っているセプスが暇そうにしているので、気になっていることを尋ねることにした。


「ねえ、セプス、そういえばオークションに参加するとは言ったけれど僕にお金はない。跡取りではないとは言え、事業は譲って貰えるだろうけれど……そんなに大金は稼げないと思う。一体どうするつもりだい?」


 僕の言葉を聞いて、セプスは「ハッ」と短く笑って前髪を掻き上げる。


「俺が自分のものを取り戻すために何故金を払わなければいけない?」


 そう言うと僕の目の前までパタパタと赤い羽を羽ばたかせて飛んできた。


「お前は俺を連れて、吸血鬼の左目が出品される時に例のオークション会場へいてくれればそれでいい」


「その格好で何か出来るのかい? まだ僕の目にしか見えないみたいだけれど……」


「魔女の血もいただいたし、多少力は戻ったな。いい加減お前の側にいやすい形になるか」


 そういったセプスの身体が赤く光り始めた。

 赤い光は見る見るうちに大きくなり、僕が見上げるほど大きいスラリとした男性の姿に変わっていく。

 すぐに光が収まると、そこには切れ長の目をした麗しい男性が立っていた。長い黒髪は相変わらず腰まで伸ばされているし、ニタリと笑うと鋭い牙のような犬歯が目立つが、言われなければ人間にしか見えない。左目に眼帯をしているとはいえ、人間にしては少々美しすぎる気もするけれど。


「わあ……大きくなったね」


「血も碌に飲んでいないから、吸血鬼としての力は無いが人間の振りをするのならこのくらいの弱さで十分だろう」


「でもいきなり現れた従者なんて父上が許してくれるかな……」


 自分の身体をあちこち見ながら、セプスはそういうと再び僕を見て目を細める。


「コル、俺には人を多少操る力がある。あのギーラに掛けたものより更に強力な力がな。残念ながら契約者には使えないが 」


「残念ながらなんて怖いこと言わないでよ」


 冗談めかした言葉にそう言い返すと、眉尻を下げて嬉しそうに笑ったセプスが僕の耳に顔を寄せてきた。


「くく……そんなこと言ってるが、怖がっていないのがわかるぞ。肝が据わったやつめ」


「君は、僕のことを気に入ってくれているみたいだから、そんなことをしないのはわかるよ」


「それは嬉しい信頼だ。なに、俺がお前の教育係だと誤魔化すことなんてのは簡単だからな。左目の詳しい行方がわかるまではこの屋敷にいるとしよう」


 いたずらっぽく笑って肩を震わせたセプスはそう言うと僕の肩を軽く叩いて背筋を伸ばした。


「継承権はないとはいえ、お前は今やいいところのお坊ちゃんだ。肩書きを使わせて貰うとしよう」


 そう言ったセプスの表情は、すごく冷たいもので僕以外の人間のことなんてなんとも思っていない本当の吸血鬼だということを何故だかこの時になってようやく実感した。

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