第40話 気持ち

「田所君、大丈夫?」

「……え?」


 その日の学校からの帰り道。

 並んで歩く夏目さんが、俺の顔を覗き込みながらそう尋ねてきた。


 逡巡しながらも、彼女に言うか迷っていたことを言葉にした。


「ごめんなさい、夏目さん」

「……え?」

「ほ、星野さんと少し、夏目さんの事で、話しました」

「……」


 やっぱり勝手に話しかけに行ったのは良くなかったと思う。

 それに余計なお節介を働かせて、より関係が拗れる事をしてしまったかもしれない。


 そう考えていると、


「どうだった?」

「……え?」


 夏目さんがそう尋ねてきた。

 彼女の横顔は前髪に隠れ、その僅かな表情を伺う事が出来ない。


 俺は言葉を探したけれど、どうしても言葉が出てこなかった。


 何故なら、星野さんが追い詰められている事を話したら、夏目さんがまた責任を感じてしまうと思ったからだ。


 勝手に動いた罪悪感を感じながらも、ここまで俺が話せなかった理由でもあった。


 俺の沈黙を見て、夏目さんがゆっくりと口を開く。


「ごめんね」

「え?」

「私がもっと早く明莉に話しかけに行ってたら、ここまで田所君を心配させる事もなかったから」


 その言葉に俺は胸が締め付けられた。


 俺の軽率な行動が、また彼女を追い詰めてしまった。


 俺はその場で立ち止まる。


「ち、違います、俺が、勝手に動いたから__」


 視線を彷徨わせながら、ぎこちなく言葉を発する俺の手に、


「……っ!」


 突然夏目さんの手がそっと優しく重なった。


「大丈夫だよ」

「……え?」

「多分、私が話さないと、駄目だと思うから」


 伏せた彼女の、前髪の隙間から見える表情には、静かな決意が滲んでいた。


 その様子を目にして、もう俺に出来る事は、彼女に寄り添って見守る事だけだと理解した。


「ありがとう、田所君」

「……な、何がですか?」

「勇気を、……貰えたから」


 重なった手に目を落としながら話す夏目さんの頬は、ほんのりと朱がさしている。


 彼女は静かに親指で俺の手の甲をなぞり、優しく何度も撫でる。

 その度に優しい温もりに包まれて、心が安らいでいった。


 そのまま潤んだ彼女の瞳と視線が甘く絡み合う。


 お互いに何かを強く求め合いたくなる衝動が膨らんでいくのを感じるな中、必死にその気持ちから意識を逸らす。


 少なくとも、今じゃない。

 

 その沈黙の中、夏目さんが目を伏せてゆっくりと口を開く。


「クッキーを作ろうかなって」

「え?」

「一度話をすれば、言いたい事は自然と出てくる気がする。……そのきっかけが欲しくて」


 最初に星野さんに掛ける言葉が見つからなかった彼女は、まず言葉ではなく気持ちで伝えようと考えたらしい。


「……どうかな?」


 少し不安げに、彼女の上目遣いの濡れた瞳が、再度俺を捉える。


 俺は笑顔で答えた。


「す、凄く良いと思います!」


 夏目さんの料理を食べた人なら分かる。

 彼女の作るものには、味以上に、食べる人への思いやりや愛情が溢れている。


「夏目さんの気持ちは、きっとクッキーを通して、星野さんに伝わると思います」

「……ありがとう」


 俺の言葉を聞いた夏目さんは、僅かに安堵の表情を見せてくれた。


 そうして再び二人で駅を目指して歩き出す。


「そ、それにしても、夏目さんはクッキーも作れるんですね」

「ううん。初めて」

「そ、そうなんですか?」

「……うん。明莉が良く食べてたから。喜んでくれるかなって」


 彼女の優しさに胸が温かくなる。

 その気持ちまで含めて、きっと星野さんに伝わるだろう。


 俺がそう考えていると、今度は夏目さんが立ち止まった。


「だから、……お願いがあって。田所君に」

「……え?」

「私が作る所を、そばで、見ていて欲しくて」


 彼女が不安げな表情で俺に視線を送ってくる。


 俺が言う事は決まっていた。


「もちろんです!」

「……ありがとう」


 まだ、俺が彼女の力になれることがあるはずだ。


 そう考えながら、彼女と話し合って作る日や場所を決めていく。


 材料はスーパーで買うとして、問題はクッキー作りの道具だ。

 俺の家にオーブンはないし、他の器具があるかも怪しい。


 それを夏目さんに伝えると、彼女は少し考えてから、瞳を潤ませてこう答えた。


「それなら、私の家で作るのはどう?」

「……え?」

「その日は、両親もいないから」

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