第27話 我慢出来なくなるから
ふわもこランドに行く前日の学校でのこと。
授業中は、夏目さんと遊びに行くことを考える度に、胸が高鳴ったり、待ち遠しさが募ったりしていた。
彼女と何度も視線が合っては、心で何かが通じ合っているような安心感と、二人で秘密を共有しているようなこそばゆさを感じた。
まるで日常が色づいていくような感覚。
「俺、夏目那月とすれ違ったけど、凄く可愛かった」
「分かる。それ皆言ってるよね」
廊下ですれ違った男子生徒達がそんな会話をしているのを耳にする。
入学してから二か月半以上経過したけど、未だに夏目さんの評判は校内を駆け巡っているようだった。
そんな彼女と明日ふわもこランドに行く状況に現実離れした違和感を感じる。
正直、浮かれていないと言えば噓になる。
けれど、どこか煮え切らない気持ちも自分の中にあった。
何故なら、夏目さんの問題が解決しているか分からないからだ。
悩み事がないか本人に尋ねた時、「大丈夫」だと、夏目さんは言った。
星野明莉の事については、憶測で動かず、彼女の言葉を信じた方が良いのだろうか。
迷いながら当番であるトイレ掃除を終わらせて、教室に戻るために廊下を歩く。
その途中、階段で一人黙々と掃除をしている夏目さんの姿が目に入った。
授業開始まではあまり余裕がない。
「な、夏目さん、大丈夫ですか?」
「田所君、大丈夫だよ」
「あれ、あと一人」
「今日はお休みだから」
「……あ」
俺のクラスの階段掃除は、本来二人で担当することになっている。
けれど、今日はもう一人の担当者が体調不良でお休みだった。
「て、手伝いますよ」
「大丈夫だよ」
「ほら、こうしてると良い運動になるので」
「……」
我ながら良く分らない理屈で、箒を履いてそんな事を言う。
彼女の手伝いが出来れば何でも良かった。
それから二人で黙々と掃除を続け、最後に集めたゴミをちり取りでゴミ袋に移して、口を縛った。
「よし終わり! 捨てに行きましょう」
一通り掃除が終わったことに俺が安堵していると、
「……え?」
夏目さんが静かに頭を俺の胸元に押し当ててきた。
咄嗟の事で、俺は思わず彼女の肩に触れてしまう。
その肩は驚くほど華奢で、壊れてしまいそうなほど繊細に感じた。
他の生徒が見ていないか気になる中、夏目さんは胸に顔をうずめたまま、小さな声で呟いた。
「駄目だよ、……田所君」
「……え?」
「我慢、……出来なくなるから」
俺が戸惑っていると、彼女は俺の両手に自分の手をそっと重ねてきた。
「せっかく我慢……してたのに」
「……」
「もっといっぱい、触れたく……なるから」
彼女の細くて柔らかい指先が、俺の手をゆっくりと撫でる。
「ねえ、早く、……二人きりになりたい」
その甘い囁きと、彼女の手の温もりに、心が激しくざわついた。
冷静な思考力が薄れていくのを感じる中、廊下から聞こえてくる喧騒が次第に大きくなった。
周りの生徒達も、徐々に掃除の片づけを終えているらしい。
「……ゴ、ゴミを、捨てに行かないと」
「……うん」
名残惜しそうに彼女がゆっくりと俺から離れる。
「ふ、袋、持ちますよ」
「小さいし、後は一人で大丈夫だよ。ありがとう、田所君」
そう言って、縛ったゴミ袋を下の階に持っていく夏目さんを見送りながら、俺は改めて心の中で、明日が待ち遠しくなるのを感じていた。
そしてこの時、本当に目を向けるべき大事な事を見逃してしまった自分に、俺は気付くことが出来なかった。
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