第9話 野外学習

 五月も後半に差し掛かった頃、俺は普段よりも三十分早く学校に到着した。


 そのまま向かったのは教室ではなく、グラウンドだ。


 同じ制服を着た生徒たちが集まり、ざわざわとした声が飛び交っている。

 いつもと少し違う空気がそこにあった。


 今日は野外学習。目的地は水族館だ。

 海洋生物や環境について学ぶのが今回の目的らしい。


 クラスごとにバスへ乗り込み、揺られること一時間。

 にぎやかな車内を眺めつつ、ようやく目的地である水族館に到着した。


 オリエンテーションで説明を受けた後、出席番号順に分けられたグループで、水族館を回ることに。


 自分で選択した結果だけど、普段あまり話さないクラスメイトばかりで、どうしても上手く馴染めない。


 館内で昼食を取り、そのまま自由時間になった。


 俺は一人でペンギンコーナーのペンギンを柵越しに眺めていると、


「好きなの? ペンギン」


 いつの間にか隣にいた夏目さんが、耳元で囁くように話しかけてきた。


 甘い吐息が耳に当たり、思わず肩が震える。


 あと混んでるとは言え、身体が密着するほど凄く近い。


 今日の彼女は野外学習で公共の場に来ているので、普段のギャルっぽい格好ではなく、きっちりとした制服姿だった。


 なんだか新鮮味を感じつつ、俺は夏目さんに答える。


「す、好きですね。見てて可愛いなって思って」


 ペンギン達は列を作って飼育員さんに付いていきながら、ぴょんぴょんと跳ねたり、ペタペタと歩いたりしている。

 その姿が、なんだか純粋で可愛くてとても落ち着く。


「分かる。私も好き」


 彼女が公共の場を意識して囁くように声を出すからだろうか。

 艶のある唇から発せられたそのセリフに、思わず胸が高鳴ってしまう。


「ねえ、田所君」

「なんですか?」

「田所君は他に何が好きなの?」

「え?」


 他にって、水族館の生き物の事だろうか。


 要領を得ない質問に戸惑って彼女を見るも、夏目さんの視線はペンギンに向けられている。


「この前読んでた漫画とか?」


 その彼女の質問に俺の心臓が跳ねる。

 どうやら俺の好きな事は全般を指してるらしい。


 上目遣いな彼女の視線とぶつかる。


「田所君の事もっと教えてよ」


 今日の彼女は何故か俺の事をよく聞いてくる。


 俺は口を開いた。


「わ、分かりました。じ、じゃあ。夏目さんの事も、教えてください」

「え?」


 俺ももっと夏目さんの事が知りたいと思った。


 彼女が思いやりがあって優しい事、料理が上手な事とかは最近わかってきたけど、正直それ以外はほとんど何も知らないから。


 もっと踏み込んだ話をするなら、今彼女を取り巻く状況、黒瀬蓮や星野明莉と何があったのかまで知りたかった。


 再度ペンギンに向けていた彼女の視線が俺に向けられる。


「良いけど_」


 小首を傾げる夏目さん。


 「田所君は、私のどんなところが知りたいの?」


 相変わらずその表情は読めないけど、煌めく瞳はまっすぐに俺を捉えていた。


 緊張が走る中、


「え、なにこれ! ペンギンめっちゃ可愛い! 歩き方とか見てあれ! っていうか泳ぐの早!?」


 通路の後ろから知っている声が聞こえてくる。


 星野明莉である。


 ふと目を向けると、黒瀬のグループがこちらに向かって歩いてきているのが見えた。


 このままだと俺はともかく夏目さんが鉢合わせする。


 先日の星野明莉との会話で改めて再確認したけど、多分まだ関係は改善出来てない気がした。


「な、夏目さん、せっかくだし他にも見て楽しみましょう。あっちでクラゲとか見れるらしいですよ?」

「……え?」


 俺は咄嗟に夏目さんを案内して、個室風の小さな生き物の展示エリアへと入っていった。

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