愛を知らない宇宙人と、恋を知らない地球人
松 悠香
第1話 出会い
GW明け。茜色に染まった放課後の図書室の中で、私の隣の席に座る彼女の髪だけが不自然に青かった。図書委員の当番である私たち二人を除いて誰もいないとは云え、カウンターで頬杖をついて、呑気に文房具で遊ぶ彼女の姿にどこか違和感を感じて、私は思わず首を捻る。間違いない。一月前の永瀬さんとは、明らかにナニカが違う。
四月に共に当番を務めた際、永瀬 宙という人間の第一印象は、「夕焼けが似合う人」であった。
いつもは黒髪のようにしか見えないのに、夕陽に照らされると赤茶色に透けるセミロングヘアが、永瀬さんがページを捲る度にふわりと揺れる様が、とても綺麗だと感じた覚えがある。
しかし、あの夕陽の下の柔らかな赤茶色は一月の間に、光が当たっていても当たっていなくても変わらない、どこか人工的に見える青みがかった濡烏色に変わり果てていた。
変わったのは見た目だけじゃない。内面もである。
一月前の永瀬さんは、知的で、大人びていたように記憶している。
ほんの一時間や二時間でその人の人間性なんて分かる訳がないだろうと言われてしまえばそれまでだが、少なくとも、定規とペンを組み合わせて飛行機に見立てて眺めるなんて幼稚な遊びをする人には見えなかった。
「……永瀬さん、一月前とはぜんぜん違う。」
気づけば声に出してしまっていた。しまった、と唇を噛んだがもう遅い。一度口にしてしまった言葉は、もう飲み込めないのだから。
先程まで、文房具がぶつかり合う音が響いていた図書室に、緊張感ある静寂が訪れる。
永瀬さんは定規とペンから離した視線を、ゆっくりとこちらに向けて微笑んだ。
「それは、どういう意味?」
その声は、微笑は、実に穏やかだった。だが、その静かなまでの穏やかさは、私にとって、寧ろ不自然であった。
今の彼女の穏やかさは、以前の彼女が感じさせていた気品ある柔和さよりは、玩具屋の店頭に置かれた人形のものに近かった。
「……前回の当番のときとは、雰囲気が違う気がして。前の永瀬さんは、もっと……自然に笑ってた。」
言わない方がいいことだとは理解していた。それでも私は、その劇的な変化を指摘せずにはいられなかった。
「自然に笑ってた。」
数秒の沈黙の後、彼女は先程と全く同じ、作り物のような微笑を浮かべて静かに呟いた。まるで、私の言葉を反芻するように。
「今まで誰も気が付かなかったのに。すごいね、茜チャン。」
その一言に、私は思わず背筋を伸ばす。冷や汗が首筋をつうっと伝って、ブラウスに滲みた。
その言葉には、何か、底知れないナニカが含まれているという確かな予感があった。
真剣な顔をして、彼女は口を開いた。
「ワタシね、宇宙人なの。」
どくん。想像もしていなかった言葉に、心臓が大きく跳ねた。
「……う、嘘。」
ようやく絞り出した声が、みっともなく震える。
嘘でないことはなんとなく分かっていた。彼女の顔は、嘘をついている者のソレではなかったからだ。
永瀬さんは、否、永瀬さんを騙るソレは、こちらの反応を楽しんでいるかのように私の顔を覗き込み、椅子の背にもたれかかった。
「ううん、嘘じゃない。本当よ。ワタシ、遠くの星から来たの。」
平然と言い放つソレの顔は、やはり、冗談を言っている様には見えなかった。
「あのね、宙チャンはもういないんだよ。」
「……どういうこと?」
頭では理解しているのに、心はそれを受け入れることを全力で拒んでいる。
ガタガタと全身が震えるのが止められない。上手く吐けているかも分からず、古い本の匂いの立ちこめた空気を吸い込み続ける。
しかし、動揺を見せては終わりだ。私は未知への恐怖を飲み込んで、目の前のソレをきっと睨んだ。
しかし、ソレは私の威嚇など気にも留めていないかのように、机の柱の縁を指でなぞり静かに続けた。
「宙チャンは、ワタシが殺したの。ここで生きる為の名前が欲しかったから。」
ああ、やはり。なんとなく予想していた言葉が、私の胸に重くのしかかる。
指についた埃を、ソレがふっと吹き飛ばす。
埃は、ふわふわとどこかへ飛んでいってしまった。
逃げなければ。確かにそう思っているのに、汗でじっとりと濡れた太ももにスカートが張り付いている感覚を伝えるだけで、足は一向に動かない。
私の恐怖を察知したのか、ソレは私を勇気づけるかのように、こう語り掛けた。
「大丈夫。茜チャンを殺す気はないよ。今は、ね。」
今は、ね。今は。殺す気はない。
ならば、状況が変われば__?
鳥肌のたったゾワっとした感覚を振り払うように、私は図書室を飛び出した。
どくん、どくん、どくん。
廊下を走ったのなんて、人生で初めてだ。
走ってあがった息を整えるように、自分に言い聞かせる。
宇宙人なんているわけがない。揶揄われただけだ、と。
しかし、私は未だ、全く安心できなかった。心のどこかで、永瀬さんが宇宙人に乗っ取られてしまったことを信じていたのだ。
だって、アレは嘘をついている様には見えなかった。ただ淡々と、事実を話していたようにしか。
そもそも嘘だったとして、どうしてそんな嘘をつく必要があるのか。私には理解できない。
どちらにせよ、永瀬 宙は完全に狂ってしまったのだ。もう関わらないでおこう、私はそう呟いて、未だに落ち着かない心臓を宥めるように胸に手を当てた。
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