「揺れる想い、静かな夜の中で」
夕娇と太白は並んで校舎へ戻る道を歩いていた。木漏れ日が彼らの上に降り注ぎ、時折吹く風で揺れる木の葉が、光を明るくしたり暗くしたりと独特な流れを生み出していた。
「そういえば、最近玉妃の様子がちょっとおかしい気がするの。」夕娇が突然口を開き、どこか気軽そうな調子で探るように言った。「気づいてる?」
「彼女の様子がおかしい?」太白は夕娇に目を向け、眉を軽くひそめた。「どういうことだ?」
夕娇は両手を広げ、まるで「ただの思いつき」とでも言いたげな様子を見せた。「大したことじゃないんだけど、なんとなく最近よくぼーっとしてたり、話す回数も減った気がするの。相変わらず誰にでも優しいんだけど、なんか隠してる感じがするのよね。」
太白は少しの間沈黙し、その目に複雑な感情が一瞬よぎった。彼は先ほど玉妃が言った言葉を思い出していた。「もっと勇気を持てたらいいのに」。その言葉には彼女の日頃の印象とは少し違う、決意と脆さが混じっていた。
「彼女にもきっと悩みがあるんだろう。」太白は落ち着いた声でそう言いながらも、無意識に手に持つカバンのベルトを強く握りしめた。「でも彼女が話したくないなら、あまり干渉しない方がいい。」
夕娇はぱちぱちと目を瞬かせ、からかうような視線を向けた。「太白って本当に冷たいんだね。玉妃がこんなに君のこと気にしてるのに、全然積極的じゃない。」
太白は足を止め、夕娇に振り向いた。「積極的って何をするんだ?」
「例えばね……最近悩みがあるか聞いてみたり、何を考えているのか気遣ったり、それか……」夕娇は声を引き伸ばし、口元に意味ありげな笑みを浮かべた。「ちょっとドキッとすることを言って、彼女の反応を探るとか?」
太白はため息をつき、再び歩き出した。「そういうことは、あまり深読みしない方がいい。」
「ふん。」夕娇は肩をすくめて、彼の後を追った。「君は本当に真面目だよね。でも……そういうところが安心できるんだけど。」
太白は答えず、心の中でふと、夕娇のその言葉にはどこか特別な意味があるような気がした。
校舎の入り口に着いた時、夕娇は突然立ち止まり、太白の方を向いて言った。「太白、時々君のことが羨ましくなるよ。」
「羨ましい?」太白は足を止め、疑問の目で彼女を見た。「どうして?」
「だって、君はいつも冷静で、感情に振り回されないでいられるじゃない。」夕娇の声からは、いつものからかいの調子が消え、少し真剣な響きがあった。「私はね、感情を隠すのが苦手で、笑いたい時は笑うし、怒りたい時は怒る。そういうのは楽だけど、時々……軽すぎるかなって思う時もあるの。」
太白は夕娇を見つめ、少し考えた後、静かに言った。「でも、それが君らしさなんだ。他人と比べる必要はない。自分の感情を表現できるのは、悪いことじゃない。」
夕娇は一瞬驚いたような顔をしたが、その後で笑顔を見せた。「君って、本当に理屈っぽいよね。でも、ありがとう。その褒め言葉、素直に受け取るよ。」
彼女は手を振り、廊下に向かって駆け出した。「じゃあね、私は先に教室に戻るね。遅刻しないように、君も急いで!」
太白はその場に立ち止まり、夕娇の姿が廊下の奥へ消えていくのを見つめていた。彼は小さくため息をつき、校舎の方向を見上げた。だが彼の頭の中には、先ほどの夕娇の視線が浮かんでいた。その視線の中に隠された感情は、彼には読み取ることができなかった。
自習時間が終わった後、鈴木太白は教室の隅の席に座り、手にペンを握りながらも、視線は窓の外の夜空に止まっていた。深い青の空にはいくつかの星が瞬いており、そのかすかな光が夜の静けさを一層引き立てていた。
「鈴木くん。」背後から柔らかな声が聞こえた。
太白が振り返ると、そこには沖田玉妃が立っていた。彼女は厚めのノートを手にしており、少し俯きながらためらいがちにこちらを見ていた。
「何か用か?」太白は窓の外から視線を戻し、平静な声で尋ねた。
「あの……」玉妃はそっと唇を噛みながらノートを差し出した。「今日の数学の授業で、鈴木くんのノートが少し抜けているように見えたから、これ……私のノート。もしかしたら役に立つかもしれない。」
太白はノートを受け取り、数ページをめくった。そこにはきれいな字が整然と並んでいた。彼は小さく頷き、淡々とした口調で言った。「ありがとう。でも、自分のノートも必要だろう?」
「大丈夫。もう覚えたから。」玉妃は柔らかく微笑みながら答えた。その声には穏やかさが漂っていた。「それに……鈴木くんの役に立てるなら、それで嬉しい。」
太白の視線が一瞬、彼女の笑顔に留まった。しかしすぐにノートを閉じながら言った。「じゃあ、後で返す。」
玉妃はその場に立ち尽くし、何か言いたげな様子だったが、結局口を開かなかった。
「他に何か用か?」太白は彼女の表情に気づき、先に沈黙を破った。
「ううん……別に。」玉妃は俯き、声を少し落とした。「ただ、夕方に夕嬌が私に『悩みがあるの?』って聞いてきて……もしかして、鈴木くんにも同じことを言ってたんじゃないかと思って。」
太白はしばらく考えた後、素直に頷いた。「確かに聞かれた。でも、無理に話す必要はないと思う。何か助けが必要な時は、いつでも言ってくれればいい。」
玉妃は顔を上げ、複雑な感情がその瞳に浮かんだ。彼女は小さく首を振り、少し掠れた声で言った。「ありがとう、鈴木くん。でも……きっと自分で向き合わないといけないこともあるんだと思う。」
太白は彼女の横顔を見つめながら、それ以上何も言わずに頷いた。「一人になりたい時があれば、遠慮なく言ってくれ。」
玉妃は再び微笑みを浮かべると、教室を出ていった。その歩みは軽やかに見えたが、どこか重たいものを抱えているようにも見えた。
太白が校舎を出た時、玉妃が少し離れたブランコのそばに立っているのを見つけた。彼女は彼を待っているようだった。
「鈴木くん。」彼女は顔を上げ、ためらいがちに太白を見つめた。「少し時間あるかな?話したいことがあるの。」
太白は頷き、彼女のそばに歩み寄った。ブランコの支柱にもたれながら、ポケットに手を突っ込んで平静な声で言った。「何を話したいんだ?」
玉妃は深く息を吸い、言葉を選ぶように一瞬黙った。やがて彼女は顔を上げ、真剣な目で太白を見つめた。
「私のこと、面倒だって思ってる?」突然の問いに、太白は少し驚いた。彼は玉妃の目をしっかりと見つめ、数秒後に首を横に振った。
「そんなことは思わない。誰にだって悩みはあるし、それを話せるのは簡単なことじゃない。」
玉妃はうつむき、苦笑を浮かべた。「でも、私はいつも自分の悩みが他人の負担になるんじゃないかって心配してるの。家族みたいに……」
彼女の声がだんだん小さくなり、太白は眉を軽く寄せた。「家で何かあったのか?」
玉妃は一瞬ためらったが、やがて口を開いた。「母が最近体調を崩しているの。でも、私を心配させないように隠しているみたいで。無理して笑っている彼女を見るたびに、自分の無力さを痛感する。」
太白は黙って聞き続け、彼女を遮ることはなかった。
「母を少しでも楽にさせたいけど、私には何もできない気がするの。」玉妃の声は震え、瞳には涙が浮かんでいた。「時々、私は誰も幸せにできないんじゃないかって思う。」
太白は彼女を見つめ、静かにため息をついた。そして、彼女の肩に優しく手を置いた。
「沖田、お前はもう十分頑張ってる。家族を気にかけて、状況を変えようと努力している。それだけで、お前が勇気あることの証明だ。」
玉妃は驚いたように彼を見上げた。「でも……それで本当に十分なの?」
「十分だ。」太白は静かな口調ながら、揺るぎない言葉で答えた。「完璧な人間なんていない。自分のできる範囲で、大切な人を守る。それが一番大事なことだ。」
玉妃は彼をじっと見つめていたが、やがて涙をこぼしながらも、少し安堵したように微笑んだ。「ありがとう、鈴木くん。そう言ってもらえると、少し気が楽になった。」
二人はブランコのそばに立ち尽くし、夜風が静かに吹いていた。周囲の世界は、いつもより少しだけ穏やかに感じられた。太白は玉妃の笑顔を見つめながら、自分ができる限りのことをしたという感覚に包まれ、ほんの少しの安らぎを覚えていた。
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