「秋の夜に響く想い」

夜が深まるにつれ、公園を歩く人影はまばらになり、街灯の下で揺れる木々の影が静かに揺らめいていた。鈴木太白は手にした紅葉を見つめ、指先で葉脈をそっとなぞりながら、なんとも言えない感慨に浸っていた。


「鈴木君。」

不意に沖田玉妃の声が響いた。その声にはどこか遠慮がちな気配があった。

「さっき夕嬌が聞いた質問だけど、あなたの答え、ちょっと特別だなって思った。」


太白は顔を上げ、その言葉に反応して彼女の横顔を見た。玉妃はうつむきながら歩き、手の中で紅葉を軽く回している。その仕草は何か考え込んでいるように見えた。


「特別?」

太白の声は淡々としており、自分の答えが特に評価されるものだとは思っていないようだった。


「ええ。」

玉妃は小さく頷き、真剣な口調で続けた。

「平穏な生活が夢だなんて、今まで考えたこともなかったけれど……。シンプルだけど、実は一番難しいことかもしれないですね。」


太白は一瞬驚いた。自分の願望を特別なものだと考えたことは一度もなかった。それどころか、どちらかというと軽い気持ちで答えたのだ。しかし、玉妃の解釈には何か胸に響くものがあった。

少しの間沈黙した後、彼は静かに答えた。

「そうかもしれない。でも、見えないものを追い求めるより、平穏の方が現実的だと思う。」


玉妃はそれ以上何も言わず、小さく頷いただけだった。二人は無言のまま並んで歩いた。秋の夜風が落ち葉の香りを運び、沈黙を埋めるように静かに吹き抜けていった。


「ちょっと、二人とも静かすぎじゃない?」

突然、千葉夕嬌が二人の前に飛び出してきた。両手を腰に当て、不満そうな顔をしている。

「せっかくリラックスするために出てきたのに、なんでそんな人生について考えてるみたいな顔してるの?雰囲気ぶち壊しだよ!」


「じゃあ、何をしたいんだ?」

太白は少し眉を上げ、仕方ないという表情で尋ねた。


「もちろん――ゲーム!」

夕嬌は悪戯っぽく目を輝かせ、ニヤリと笑った。

「真実か挑戦、やらない?」


玉妃は明らかに戸惑い、首を振った。

「そんなゲーム、少し合わないんじゃ……?」


「何が合わないのよ!」

夕嬌は手を振り、断固とした態度を見せた。

「たった三人だし、ルールも簡単にしよう。一人ずつ順番に質問をして、答えがあまりに適当だったら、次のターンで自分の秘密を一つ話す罰があるの!」


「子供じみてるな。」

太白は冷静に評価したが、特に反対もしなかった。


「子供っぽいからこそ楽しいんじゃない!」

夕嬌は彼の肩を軽く叩きながら笑った。

「よし、最初は私が質問するね!玉妃、最初の質問は君に――初めて“特別”だと思った人は誰?対象は何でもいいよ!」


玉妃は一瞬固まった。予想外の質問に完全に不意を突かれたのだ。彼女は唇をぎゅっと結び、無意識に太白を一瞥した後、すぐに視線を逸らして小さな声で答えた。

「それは……たぶん……私のおばあちゃん、かな。」


夕嬌は目を細めて、意味ありげに「ふーん」とだけ言ったが、それ以上追及することはなく、茶化すように言った。

「まあ、今回はセーフにしてあげる。」


次は玉妃が質問する番だった。彼女は少し迷った後、太白に向き直った。

「じゃあ、鈴木君……子供の頃、一番尊敬していた人は誰ですか?」


太白は少し考えてから、淡々とした口調で答えた。

「特にいないな。ただ、あえて言うなら父親だろう。いつも冷静で、判断が的確だったから。」


玉妃は小さく頷き、それ以上は質問しなかった。


夕嬌は顎に手を当て、二人の間を行き来するように視線を巡らせた後、突然いたずらっぽく微笑みながら言った。

「じゃあ、肝心な質問をするね――太白、君は玉妃のことどう思ってる?」


この言葉に場の空気が一変した。太白は一瞬動きを止め、玉妃の顔はみるみる赤くなった。彼女は慌てて手を振りながら言った。

「夕嬢、そんなこと聞かないでよ!」


「どうして?別に難しい質問でもないでしょ?」

夕嬌は無邪気な顔で答えた。


太白は手元の紅葉に目を落とし、しばらくしてから顔を上げた。真剣な表情で静かに言った。

「沖田は……とても真面目な人だ。いつも完璧を求めていて、そんな性格が時には大変だろうけど、尊敬すべきところだと思う。」


玉妃は驚いたように目を見開き、小さな声で「ありがとう……」と呟いた。


夕嬢は茶化すように声を上げた。

「それって褒めてるの?それとも批判?なんか微妙な感じね。」


「もういいだろう。」

太白は冷静に返しつつ、少しだけ困ったような表情を浮かべた。


夕嬢は笑いながら彼の肩を軽く叩き、言った。

「はいはい、これ以上はやめとく。でもさ、太白、もう少し感情を表に出したら?じゃないと、誤解されるよ?」


太白は答えず、腕時計に目をやった。

「もう遅い。帰ろう。」


三人は無言のまま学校へと戻っていった。夜の街灯が影を長く引き伸ばし、それぞれの胸には何か言い表せない感情が静かに広がっていた。


別れ際、夕嬢は手を振りながら笑顔で言った。

「今日のリラックスタイムはここまで!次回はもっと楽しませてもらうからね!」


玉妃は小さく頷き、静かに別れを告げて去っていった。太白はその場に立ち尽くし、彼女の背中が遠ざかっていくのを見つめながら、心の中に複雑な感情が湧き上がるのを感じていた。


「太白、何を考えてるの?」

隣に立った夕嬢が探るような口調で問いかけた。


「別に。」

彼は視線を戻し、平静を装って答えた。

「ただ、秋の夜って……少し特別だと思っただけだ。」


夜がさらに深まるにつれて、秋風が路傍の木々の梢を掠め、微かなざわめきを立てた。千葉夕嬌は鈴木太白の隣を歩きながら、横顔をそっと伺っていたが、口を開くことはなかった。太白の表情は相変わらず穏やかだったが、彼の手の中の紅葉は少し握り締められ、葉がわずかに丸まっていた。


「太白。」

夕嬌がついに沈黙を破った。その声は控えめで、優しく響いた。

「何か気付いているんじゃないの?」


太白はわずかに驚き、彼女に目を向けた。

「何に気付いたって?」


夕嬢は唇を噛み、言葉を選ぶように慎重に言った。

「玉妃。最近、彼女があなたに対する態度が少し変わったように思えるの。」


太白はすぐには答えず、手の中の紅葉に目を落とした。その目は深い思索を含んでいるかのようだった。

「そうか?別に気付かなかったけど。」


夕嬌は足を止め、彼の前に立ちはだかり、まっすぐその目を見つめた。

「気付かなかったんじゃなくて、気付かないふりをしているんでしょう?」


太白はその言葉に戸惑い、一瞬目を見開いた後、少し苦笑した。

「夕嬢、君は考えすぎだ。」


「でも、太白は考えなさすぎなの。」

夕嬢の声には少しの真剣さが混じっていた。彼女は目を細め、探るように言った。

「太白、あなたは玉妃のことをどう思っているの?」


その問いに太白は完全に黙り込んだ。彼は視線を落とし、この問いに対して真剣に考えているようだったが、なかなか答えを口にしなかった。


夕嬢はそれ以上追及せず、軽くため息をついた。

「まあいいわ。こんなことは自分で分かるしかないのよ。ただ、答えがどうであれ、玉妃を傷つけないで。」


「君は彼女をすごく気にかけているんだな。」

太白は彼女を見つめ、少し探るような口調で言った。


夕嬢は笑みを浮かべ、普段の軽やかな表情に戻った。

「もちろんよ。彼女は私の一番の友達だもの。私が気にしなかったら、誰が気にするの?」


太白は返事をしなかった。二人はしばらく無言のまま歩き続けた。そして夕嬢がある分かれ道の前で足を止めた。


「私の家、ここなの。」

夕嬢は振り返り、太白を一瞥すると手を振った。

「太白、私の言葉を忘れないでね。おやすみ!」


「おやすみ。」

太白は軽く頷き、彼女が去っていくのを見送った。


夜風は少し冷たく、太白はその場に立ち尽くしながら、街灯が投げかけるまだらな光と影を見上げた。夕嬢の言葉が彼の心に小さな波紋を広げていた。


太白は手を上げ、指先でそっと紅葉の縁をなぞりながら、低い声で自問した。

「俺の気持ちって……何なんだろう?」

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