ロイヤル
マヌケ勇者
本文
「ロイヤル」
豪奢な部屋の暖炉のだいだい色の柔らかな明かりの下で、その近くの小さなテーブル。
執事、リーガルはちびちびとウィスキーのロックを飲んでいた。
変わっているのは彼の主人である若き第九王女ユージェまで向かいのイスで足を組んでいることだ。
「リーガル、聞いてる?」
「もちろんです!」
いつものようにアルコールで上機嫌。口が回らず笑い上戸になった彼ははつらつと答えた。
「学園へ、今日はジャスティンは裸の女の本を持ち込んだのよ!」
「ジャスティン様は常に悪い意味で勇者ですね」
「それで女教師にムチでお尻を叩かれて叫んでいたわ。教室まで聞こえるくらいにね」
「姫様の学園は本日もコミカルですね。あははは」
「全く彼と、愛しのヘンリー様は本当に同じ男性なのかしら?」
「どうでしょう。本当は違うかもしれませんよ」
「ふん、ジャスティンは宇宙人かモンスターでしょ」
こうやって彼女はよくリーガルを相手に学園での出来事をおもしろおかしく話すのだった。
とはいえこの内容はおおむね、彼女がたまの会席に参加した時に、形式的にたずねてくる父王チャールズに答えたものであるのだが。
第九王女、それも元は隠し子の扱いなんてそんなものだ。王族の一員かも微妙なところ。
酒を飲んでいる間こそ聞き役が逆転していたが――
彼、執事リーガルは今日も朝から、王室といっても別館に追いやられている主人の世話をジョークを飛ばしながら独りでてきぱきとこなす。
「姫様。今日の紅のドレスはよくお似合いですよ。まるで茹で上がったタコのようです」
「あなたジョークばかり言って、本当は道化師が似合っていたんじゃなくて? 失礼な態度も含めてね」
「お褒めに預かり鼻血が出そうにございます」
「茹で上がってんじゃないわよ、全然褒めてないし」
「ハハハ」
その平和そうにじゃれあっている心の底に暗い部分があることを、私達はまだ知らない。
まず、姫の通う学園にはジャスティンという生徒はいない――
それよりも彼女の日々の実質的中心にいるのは、第六王女のヘンリエッタだ。
王は愛多き方ゆえ二人の年齢は近かった。
だがヘンリエッタは正統な婚姻の王女である。
彼女の特徴を言うならば、見た目にそれなりの容貌こそあれ性格に大いに難があった。
己が全ての中心で無ければ気がすまないのだ。凡庸であるゆえ一層に。
他方でユージェはどうか。
彼女は――王の隠し子として出生したためよい家の生まれでは無かった。
そのためマナーなどの点において正直たびたび悪目立ちしている。
だがそれを補って余りあるというほどに彼女は人に優しく、勤勉で、そして笑顔だった。
天性の資質と人柄。そして彼女を思いやって事前に処世術をリーガルが教え込んだのだ。
もっとも彼もまた、出自が不明で、本心から他人に接しているかは不明な人間なのだが。
そんな王女二人の力関係は何を生むだろうか。
当然ヘンリエッタは面白くないだろう。
快活だったはずのユージェ。彼女はリーガルに伴われて校内で馬車を降りるまではいつも通りの笑顔なのである。
ところが彼と別れてからは、近頃の浮かない顔へと変化するのであった。
ヘンリエッタの影におびえながら教室に入る。今日は彼女はまだいないようだ。
いくらか安堵して席に収まる。
机の引き出しに教科書を入れようとすると、何かが奥に引っかかって入らない。
仕方なく教科書を机の上に一度置き、引き出しの奥に手をつっこんでまさぐる。
ぐにっ、と毛の感触があった。
叫び声を上げながらユージェが驚いて立ち上がる。
おっかなびっくり、辺りが野次馬に囲まれはじめた。
興味本位で、彼女の意中の人である美男子のヘンリーが歩み寄る。
そして彼は机に手を突っ込んだ。
ずるり、と中から出てきたのは大きなネズミの死骸だった。
「あはははは、なんだこれ!」
楽しそうにヘンリーが無邪気な笑いを上げる。
彼もまた格別に高貴な身分、周囲の者は同調して笑うしかない。
ユージェもまた、乾いた笑いを合わせていた。
そう、彼女を含めた女生徒たちが幻想を抱くヘンリーの精神が空虚であることもまた、大きな不幸に違いなかった。
「ほほほ、下賤な者にはネズミがたかるのですわね!」
そこにあったのがネズミかどうかもわからない距離より、取り巻きをつれて教室の入口から入りつつ、勝ち誇るかのようにヘンリエッタが笑う。
つまり、きっとそういうこと。
「それにしてもヘンリー様はお優しい。それにネズミなど欠片も恐れないのですね」
彼女はヘンリーにすり寄る。
今日もユージェの最悪な学園生活は始まったのだった。
狭い館の使用人への指示などを終え、昼にリーガルは女主人に勧められた本を読んでいた。
その物語は学の無い彼にはけっこうな数の言葉や文化がちんぷんかんぷんなのだが――まぁ読んでいた。
だいいち、恋愛物に興味は薄いのだ。
飽きたので彼はしばらくぶりに主人の隠している日記を読むことにした。悪い趣味だ。
だがやはり、以前と同じく日記は途切れたまま白紙だった。
彼は、うわさを仕入れるのが上手い。
そして日誌の途切れは主人の会話にジャスティンなる存在しない人物が登場し始めたころと重なる。
彼は学園でのユージェが心配だった。
そんなリーガルのもとに学園から知らせが来た。主人の着替えの服を持って来いという。
一体何が起こったというのだ。彼は学園まで馬を急がせた。
彼を控え室で待っていたのは、灰まみれの汚れた姿のユージェだった。
もはや明るく振る舞う気力など残っていない。表情は当然暗かった。
「――姫様、そう、泣きたいときはこのように存分に泣いてください。それを共に受け止めるのも従者の役目と心得ています」
彼は続ける。
「シンデレラに魔法をかけられるのは魔女ばかりではありません。私に任せてください。――ガラスの靴はありませんけどね」
さあ、彼女の装いは再び整った。
泣きはらして目元が少しはれたユージェは執事を伴って教室に戻った。
それを勝ち誇るように笑うヘンリエッタ。
その姿をリーガルはにらむでもなく、透過でもするかのように静かな敵意で見ていた。
視線は隣に移った。そこにはヘンリエッタの執事が立っている。
彼は校内の馬止めに留めてある白馬に乗ってやって来ていた。
それをリーガルは知っていた。
執事は呼び出され主人の忘れたもの――もとい本当は灰の包みを持ってきていたのだ。
彼は主人の隣でにやにやとユージェたちをあざ笑っている。
リーガルはぐいっと自分の左手袋を外した。
さっと、不意に距離を詰めて彼は相手の執事の胸ぐらを掴む。
そして手に持った手袋で勢いよく、音を立てて憎い頬をはたいたのだった。
――決闘だ。実質的に代理決闘。
さすがに、第六王女本人には手を出せないから。
執事二人は仕事着の執事服のまま、学園の裏庭でそれぞれ針状の細身の刀身のサーベルを渡された。
ヘンリエッタの執事は挑発する。
「君、サーベルを持つのは初めてだろう。こうやって構えるんだよ」
そう言ってくすくす笑う。
それを聞いてリーガルはなんと膝でサーベルを叩き折った。
そうして短くなってしまった物を右手に持ったのだった。
あっけにとられて少し黙ったあと、執事は哄笑した。
「サーベルを折る馬鹿なんて初めて見たよ。どうぞそのチビ剣とともに死ぬがいい」
「この剣で、いいんだな?」
「ご自由に」
執事は余裕がある。
彼等の周囲は学園の生徒と関係者たちに囲まれていた。
リーガルの行いの真意がくめなかったのはユージェも同様だった。
彼女の動揺はだいぶ収まっていた。そして冷静になる。
思わず彼女は叫んだ。
「中止よ! 私達の負けでいいわ!」
リーガルは声を張り上げて返す。
「いいえ、姫様。私は断固やめません」
「私はずっと、あなたと話している時間が一番楽しかったわ。あなたを失いたくない!」
「いいえ、私はあなたの笑顔を失いたくないのです。初めて真の敵を見つけました」
言うとリーガルはチビ剣を不格好に構えた。
ヘンリエッタが決闘の介添人を務める校務員にせがむ。
「さあ、始めてちょうだい!」
介添人は無慈悲に告げた。
「開始!」
言われるが速いかヘンリエッタの執事がリーガルの胸を狙って剣を繰り出す。
チビ剣の間合いなどたかがしれている。
だがリーガルはついとそれをかわした。
「ほう、意外とやるじゃないか」
執事は隆々(りゅうりゅう)と剣をくりだすが、あと一歩リーガルに届かない。
彼に動揺と焦りが芽生える。こんな下郎相手に手間取るなんて――
それにあのチビ剣、動きがまるでナイフ術だ。
それでも猛攻の前に、不意に、リーガルの姿勢が崩れた。
「そこ!」
執事の剣が急所を狙う。
だがそのくりだす剣に――蛇が伝うかのように――リーガルは踏み込み執事の腕に自分の腕をからめた。
そして彼の手の中のチビ剣はしっかりと、執事の首元に当てられていた。
思わず執事は剣を取り落とした。
「それまで!」
介添人の審判する声が響く。
闘いは終わった。
代理とはいえヘンリエッタは負けたのだ。以前のように幅を効かせることはできないだろう。
だが一方で、執事相手とはいえ第六王女に剣を向けたことは極めて大きな問題だった。
チビ剣を捨て、リーガルはユージェの元へと歩み寄る。
「姫様、もう闇は晴れました。敵もジャスティンももうおりません。以前のあなたに戻られる時です」
「でも、あなた、こんな事をしてしまったら――」
「ええ、私の魔法はこれで終わりです。知っていますか? リーガルにはロイヤルと同じ意味があります。どうか高貴な――気高きご主人でおあり下さい」
そう言って彼はお辞儀をした。
そして主人に背を向けて歩み去っていく。
「リーガル、待って!」
その声に彼は振り返らず、左手を肩の上で動かして挨拶して去ったのだった。
うらぶれたバー、安い酒に安い客。
そこのバーテンにリーガルは新たな名で収まっていた。
王女との暮らしを思い出すことは多い。だがこちらのほうが本来彼の生きていた世界なのだ。
いや、むしろ昔より大分ましな環境だ。
でも、下品な冗談や低俗な噂話を繰り返す日々。
ああ、高貴とは言えないけれど姫と話していた頃は楽しかったなぁ、と彼は回顧した。
そうしていると、カランとバーの入口の鐘が鳴った。
「いらっしゃい。――おや?」
彼の店には珍しく、女性客だ。町娘風の衣装を着ている。
そして、よく見ればその顔にはしかと見覚えがあった。
「ここにいたのね。――さあ、あなたに魔法をかけに来たわよ!」
解けない魔法を――。
ロイヤル マヌケ勇者 @manukeyusha
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