十九夢「次なる舞台役者」
「はい、これ」
「あぁ、どうも」
流れるように八重から皿を受け取る。今日も相変わらず小食は健在のようだ。
「で、ハヤシ。俺は明日も廊下から見てるだけでええん?」
ご飯を口に含んだ状態で話すのは樋口で、彼の言う通り今日と同じように廊下で待機してもらうしかない。
「ホンマは参加してほしいけどな。でも西牙が忘れた分は、水曜日に持ってきてもらうことになってんねん」
「なんで水曜?」
「洗濯できてないねんて」
「水曜と言わず、今週はずっと待機でもええけどな」
樋口は冗談っぽく肩をすくめながら言った。
「俺もホンマは当番をサボって待機したいねん。もちろん、俺ができんことを許すつもりはないけどな」
樋口の冗談に冗談で返した。……半分本気だが。
今日の給食時間を無事に乗り越えた俺達C班。しかし、人員一人不足した状態で、明日を迎えなきゃいけない。
今日のように頑張らないといけないと考えると少し憂鬱になる。
「はぁ、明日もかぁ。しんどいなぁ」
「でも、明日なら大丈夫でしょ」
給食時間中に珍しく口を開いたのは、先程大皿を寄越してきた八重だった。
「なんで大丈夫って言えるん? 今日を乗り越えられたから?」
確かに成功体験は大きい。明日も問題なく乗り越えるための自信に繋がると思う。
「そう。今日を乗り越えた。そして、明日はパンの日……でしょ?」
「……ほんっまや。忘れてた、明日パンの日やん」
パンの日。つまり、ご飯のようにしゃもじで盛り付ける必要なく個包装されたパンを人数分運ぶだけ。最悪1人に任せることもできる。
「だから、大丈夫」
最近気付いたことだが、八重は結構賢い。俺はついつい忘れてしまうことや見落としていることを指摘してくれる。まず、俺の見落としに気付いていてくれることが何よりの救いだった。
「なんでお前給食委員にならんかってん」
「――っ。……それ、木町さんが聞いたらどう思うだろう?」
「……確かに。今のやり取りはなかったことにしよう」
木町が相棒として使えないと言っているわけではない。むしろ相棒が彼女でよかったとすら思っている。
お互いに不足な点は多いが、それでもフォローしあっているからだ。それに俺の失敗を責めることもなければ、周りの友達に愚痴ることもないのが優しい彼女らしいところだ。
「早矢仕が気にしないとダメなのは明日や明後日のことじゃない」
「……? 何? どゆこと」
「……。忘れられている方。二つの意味で」
二つの意味で忘れられている方と聞いてやっと思い浮かぶ重要な事実。
「無くなったエプロンか……!」
「気付くのが遅い」
「うるせぇよ」
牛乳パックから飛び出るストローを咥えて吸うと、空だったらしいパックからズズズルと音がなかった。
なんとなく口を離すのが恥ずかしかったので暫くその状態で、前を向く。
対面に座る前園と目が合ってしまった。
「こっち見んな」
「ごめん」
何も悪くない前園の謝罪を聞いてようやくストローから口を離す。
ストローにはしっかりと歯型がついていた。
× × ×
時間は昼休みの後半を過ぎて、俺と木町と八重の三人で校内を周っていた。
「次は体育の時間だから余裕は無い」
「わかってる。でも一応見て周るのも無駄じゃないはずや」
「……あのさ。エプロン探しに、給食委員でもないヤエさんがなんで協力してくれるの?」
「……同じC班だから」
昼休みの時間になって、俺と木町はいつも通りたち当番のため給食室で仕事をした。そのあとの残り時間を消えたエプロン探しに使おうという話になったのだ。そこで、給食室前を抜けた先で八重が俺達を待っていたのだ。そして三人で探して周ることになった。
「でもよかった。私てっきり嫌われてるかと思った」
「別に。ただ興味がないだけ」
「私は仲良くしたいんだけどな……」
「勝手にして」
「おいおい、せっかく貴重な昼休みを一緒に使ってるんやしさあ。仲良くやろうや」
切れ目には覇気がないが、相変わらず無愛想な八重の態度に嘆息する。一方で歩み寄ろうとする木町の努力が実るのはいつの話になるだろうか。
しばらく校舎を周って、今は特別棟の方を歩いていた。放課後にはまだ人気のある特別棟は昼休みにくる場所ではない。この学校に生徒が多い時代なら
誰もいない特別棟は静かで、俺達も会話をすることなく黙ってエプロン探しを行っていた。
隣を歩く木町がちょいちょいと招き猫のように手を動かす。仕方ないので少し屈むと「ねぇ、ハヤシくん」と耳元で、誰にも聞かれてはいけないようにして話す。
「……話し声、聞こえない?」
「おいやめろよ、怖いやろうが」
「――。」
俺達一年生から三年生が利用している校舎と違って、特別棟は少し古びている。部活に使われていると聞く空き教室も、床が抜けそうなほど状態が悪い。太陽も頂上にまで登っているせいか、廊下はどこか暗い。
薄気味悪いこの特別棟で、話し声が聞こえるなんて冗談はやめてくれと睨む。
確かに、耳をすませると何やら聞こえてくる。何を言っていて、これが本当に人の声なのかわからないのが不気味だ。
「逢瀬の場所にいいかとも思ったけど、無しやな」
声のボリュームをわざとらしく上げていうと、今度こそ特別棟は静寂が帰ってきた。
「な、なんや気のせいやんけ。木町が余計なこと言うからや」
「い、いや! ハヤシくんも聞こえてたから声上げたんでしょ!?」
「幽霊じゃない。ほら、あっち」
「「え?」」
八重が『あっち』と言って指す方向は振り返った先の廊下。それはつまり俺達が来た方向だった。俺達がここまで来る途中で誰かとすれ違うことも無かったので、後ろから追ってる人がいることになる。
廊下は突き進むと壁にぶちあたるが、その前に右手に曲がって通常棟に向かう連絡棟と接続している。連絡橋ではない。連絡棟だから教室もある。
「俺らの後ろを追ってた、とか?」
「いや、階段もあるから追ってただけじゃないかも」
「つまり、あの曲がり角を曲がった先に誰かおるってこと……やんな」
足音一つしない耳が痛くなる静けさに、心臓の鼓動は激しく主張する。息の詰まる時間は永遠のように感じられ、頼むから生徒か教師であってくれと心の底から願った。
木町と俺は知らず知らずのうちにお互いの腕を掴んでいた。震える肩は指先から伝わる相手の熱を感じてほんの少しの落ち着きを取り戻す。
隣にいるはずの八重の存在を気に掛ける余裕もないほどに迫る緊張感はマックスまで上り詰める。
「――お? ケンゴく「「うわあああああああああ!!!!!」――うわぁぁーーっ?!」
曲がり角から現れたのは白い布をかぶった幽霊や怪物――ではなく暗がりで煌めく白髪の少年・
びっくりして俺と木町は抱き合いながら絶叫した。叫び声に驚いた宇都宮も少し声を荒げていた。
「……あっ、あぁ。宇都宮か。はぁ、怖かった」
「ああ、すまない。少し話し声が聞こえてきたからね」
宇都宮の後ろからは西牙と凛が姿をみせた。あまりよくわからない組みあわせに首を傾げる。
「ちょっと! いつまでひっついてんの!」
驚いた拍子に抱き付き合っていた俺と木町の間を割く八重に、意識が戻ってくる。
現状を把握してしまった瞬間、全身から感じた熱が頭に一極集中してしまったようだ。
「おお、すまん! ごめんな木町!」
「あ、あぁ! うん、全然! その、ごめんね、びっくりしちゃって! 動転しちゃって」
「……。で、そっちは何?」
八重の質問に俺と木町も頷いた。
宇都宮と西牙は保健体育委員で同じだ。プラスで凛がいる。わざわざ特別棟まで何をしに来ているのか見当もつかない。しかし相手側はそうでもないらしく、俺達の組み合わせをみて心当たりがあるようだ。
「まずはありがとう。僕たちもエプロン探しをしていたんだ」
「ああ、そういう。全然ええよ、むしろ見つけられてないねん、すまんな。凛が手伝ってるのはわかるけど、西牙さんまで手伝ってくれてるとは」
凛と宇都宮はどうやら仲がいいらしい。だから案外優しい凛なら友達から頼まれたら断れないだろう。
「なに、私も手伝うことでエプロンを忘れた罪悪感をマシにしようと思っていてね、はは。礼には及ばんさ」
「おうガチで反省してくれ。それではよ持ってきてくれ、明日にでも」
「すまないがそれはできそうにない。許してもらえると助かるのだが。おっと、それよりも残り時間も少ないね。はやく教室に戻ろうか」
「そうだね、次は体育の時間だ。行こうか」
自然と宇都宮と西牙に先導されて前を進む。
次は体育の時間だから着替える時間が必要だ。見つかると思ってはいなかったが、実際全くの手がかりがない現状に絶望感を抱く。
× × ×
体育終わり、皆が教室に戻っていく中一人だけが別方向に歩いていくのを見た。
彼の後を追うと、運動場にある手洗い場に着いた。鬱陶しそうな前髪のせいで体育終わりの時間、いつも額から汗を流していたのを思い出す。しばらく両手で同じ動作を繰り返す。ベタつく汗を水で洗い流しているのだろう。
黙って俺は凜に近づく。
「ん? ケンゴ……ではないな? シブタニか?」
人の気配を感じたらしい凛は顔を洗いながらの状態で言った。
どうやら最初は俺と思ったらしいが、今は渋谷さんと勘違いしているようだ。
なぜ渋谷さんと勘違いしたのかはわからない。だが俺だと教えてやろうとした直前で横に人の気配を感じて振り向く。思わず出そうになった声は出なかった。振り返った直後、唇の前に人差し指がそっと当たらない位置で添えられたからだ。
目の前にいたのは渋谷さん本人で、彼女の口前で人差し指を立てていた。静かにしろという意味らしい。彼女風に言うなら「しいぃ~。しずかにねぇ~」と語尾が間延びするゆったりとした感じだろうか。
渋谷さんが何をするつもりなのかはわからないが、傍で黙って待つ。
「おつかれぇ、リンくん。今日もタオルはないのー?」
蛇口を止めて、その状態で手だけを渋谷の方に向けて伸ばす。タオルを受け取ろうとしている。前にも同じようなことがあったのだろうか? 一連の流れには無駄がなく慣れを感じる。
「ああ、ない。貸してくれ」
「はい。これ」
渋谷さんから受け取ったタオルに顔を拭く。
「悪いな、シブタニ。ほんとは今度こそケン……ゴ、が……っ」
水を拭いたタオルの隙間から目でみた光景に目を疑った。一人の少女だけがいると思っていた。
いつも学校では隠している左目が、上げられた前髪によって完全に見えてしまっている。
「あ、あー。よお、凛。その、左目は渋谷さんに見せても平気なんか?」
「……、ああ。もう前に一度見られている」
「ね、可愛い左目ね。前も言ったけど、隠さなくてもいいんじゃぁないぃ?」
「なら良かった。ああ渋谷さんの言う通り可愛い左目や」
「ケンゴまで、はぁ……」
蛇口からは水がで続けている。蛇口を捻ろうとしていた手は止まって、俺と渋谷の間を見て固まる。
いつもは冷たい目が緩んでいたが、それもすぐに元に戻る。さらに、かき上げていた前髪を慌てて乱雑に下ろした。見せたくないものを誰かに隠すような慌てぶりだ。
「何を盛り上がっているわけ?」
「あ、リョーちゃん!」
「
「――ッ」
青髪のゆるふわウェーブの女子は、給食時間を同じ島で過ごす向日だった。しかし、給食時間でいつも見ている彼女とは雰囲気がまるで違って見える。
「リョ、リョーちゃん? 大丈夫?」
「ピンピンしてる。で、なんでそこの厨二野郎と仲良くお話してんのよ?」
「ああ? なんだって芋女。お前はお呼びじゃじゃない。さっさと帰れ、田舎にな」
睨み合う凛と向日を見て、俺と渋谷は目をあわせて肩をすくめる。
「――。えっとぉ…、仲いいのね」
「最高のコンビや、昔からのな。経緯は知らん」
未だに言い争いをやめない二人の前に今度は西牙が来た。最悪のタイミングで。
「あなたの鬱陶しい前髪も丸坊主にしたらすっきりするんじゃない? あ、頭の形がジャガイモのようにゴツゴツなのね、ごめんなさい配慮が足りなくて」
「ああ芋女には栄養が頭まで行き届いていないらしいな。ほら、ありがたい水だぞっ」
凛が向日に対して蛇口から出る水があたるように指を塞いだ。この時指で蛇口を完全に塞ぎ切っていたのならこんな被害は起きなかっただろう。
まるで二人は考えを以心伝心していたかのように、完璧なタイミングで動いた。
蛇口を指で塞いで水を向日へと当てようとした凛。
完全に考えを読み切っていたとばかりに横へずれた向日。
言い争いをする声につられて、止めにきてしまった保健体育委員の西牙。
「ちょっと君たち。いつまでここに――ブフオォォボボボボボ!!!」
最悪のタイミングで来てしまった西牙は、横にずれた向日に代わって、蛇口から勢いよく噴射された水を顔面で受け止め、全身で浴びてしまった。
「あ……」「わ、わりぃ……」
「酷い仕打ちだね君たち。この日のことは永遠に忘れないだろうさ」
体操服はびしょびしょで、恐らく下着までもずぶ濡れになってしまった西牙は可愛らしいクシャミをした。
俺と凛は目を逸らして、白の下着とそれ以上の情報が残らないようにしっかりと目を逸らした。
「ほんとアイカミってクソ男!」
「ムコウが避けるからだぞ!」
「最悪だよ全く。私はもう行く。君たちもいつまでも話してないで戻るのだよ!」
身体を両腕で抱き寄せるようにしながら、校舎に戻っていく西牙を見届ける。
西牙に水をかけることになった原因の二人は呆れたことに睨み合いは再開している。
「……な? 最高のコンビやろ?」
「……そう。わからないものね」
「……?」
普段の間延びした口調と違って、どこか冷めた物言いに違和感を感じたのも束の間、渋谷は普段と同じ表情で言った。
「さ、リョーちゃん! はやく私達も着替えに戻ろ! あとニッシーにも後で謝らなきゃ!」
「ええ、そうね。それに、これ以上厨二と話してたら病気がうつりそう」
「凛、俺らもはやく戻るぞ」
「ああ。そうだな」
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