十五夢「給食改革の狼煙」
「おはよう木町。遅かったな」
朝学活の時間まで残り十分程度残っているので、遅刻の心配はない。しかし、俺は朝から木町に用があったので一分一秒が惜しかった。
「お、おはよう。珍しいね? ハヤシくんから声かけてくるの」
笑った顔や、ニヤついた笑みはよく見るが、驚きに染めた顔は珍しい。少し気分がいいな。
朝の時間は残り十分も無い。説明するには時間が惜しい。
「今から時間くれ、ほら。行くで」
驚きっぱなしの彼女の「ちょ、ちょっと!」という静止の声を無視して腕を引っ張る。
教室を出たころには引っ張らずとも大人しくついてきた。
「ハヤシくんの言葉足らずのせいで、クラスの皆が、少し……あの、ざわついてたけど……?」
「はぁ? なんで。それに説明できんかったのは木町が登校してくるのが遅かったからやろ」
教室を出る直前、確かに少しざわついている様子だった。しかし、今はそれよりも、
「すまん、実は昨日部長に聞いてみようと思ったけど、生徒会の仕事でおらんかったんやわ」
「あ、あー。給食委員の活動記録の話ね」
俺の言いたいことを察してくれたらしい彼女はどこか落胆した様子で口を開く。
三年生のクラスは一年生のワンフロア上階に位置している。階段を上って、すぐ前に一組の教室はあった。
廊下を行き交う上級生の体格は大人そのもので、みな凛々しい顔つきにみえる。
つまり、一年生である俺たちがここにいることで浮いてしまっていた。
教室の様子を伺うものの、部長がどこに座っているのかはわからない。
隣に立つ木町もなかなかを声をかけられるようにない。自分の震える下顎を止めるために下唇をかみ、ドアの近くに座っている名前も知らない先輩に聞くことにした。それが一番目立たず、効率がいいはずだ。
「あ、あの。ぶちょ……
「ん? ……名札の色から、一年の後輩か? オダ、ならもう来てるけど」
名も知らぬ心優しい先輩がある方向に顔を向ける。釣られて俺とその後ろに隠れるようにしていた木町も教室の一角を見ると、そこに一人、知った顔の上級生がいた。
「オダぁー、後輩がお前に用あるってーー!」
一緒に話をしていた友達らしき人に右手を上げて、朝もなお健在の爽やかな笑顔でこちらに来た。
「ハヤシくんと、キマチさん。どうしたん?」
「ちょっと」「少し」
「「教えていただきたいことが……!!」」
俺と木町の声は重なって、三年一組にいる上級生全員によく聞こえた。
× × ×
四時限目の授業が終わり、副委員長による「起立・気を付け・礼」の挨拶にいつも通りの風景――は広がらなかった。俺と木町で「当番の人は急いで給食室に!」の声が皆に届いたからだ。
朝の話を思い出した当番の皆は次々と教室を出る。これで教室に残っているのは非当番のみ。
いつもなら、当番も非当番も揃って机を給食の班の形に移動し、給食セットを用意した後に急いで給食室まで向かっていた。
思えば、なんて非効率なのだろうか。しかしなぜか誰もここに気が付かなかった。
答えは簡単だった。
皆、自覚がなかったのだ。
友達の分、同じ班の分、たった少しの協力を誰かに託すことは迷惑であり、面倒であり、怠惰であった。
しかしそれを全体に、必要な『協力』としてしまえば反発する者もいないし、いたときは弾劾されるのみ。
俺と木町は朝の学活で、小高先輩から聞いた話で採用できそうな内容は早速実行した。他のことも成功に身を結んでくれることを期待している。
用意が終わったので教室から出ようとしたところで、どんと何かにぶつかってしまう。頭に白衣の頭巾をかぶっていて、まだ腰巻はしていない様子だったが、どうやら今週の当番が教室に入ろうとしていたようだ。
予定よりも何倍の速い帰還に驚くが、それもすぐに理解した。手元に何ももっていない様子から給食を受け取って戻ってきたわけではないらしい。
「おお、すまん」
「わりぃ、どいてくれ」
手短に答えて素直に道をあける。そのまま急いだ様子で教室に入っていった。
気になることもあるが、いち早く給食室前まで行ってもらわないといけないので呼び止めている場合ではない。
廊下の壁を背もたれにして、当番が来るまでの間の暇つぶし用の本を開いた視界の端で、腰巻のエプロンを着用しながらものすごい速度で走り抜けていく諏訪の後ろ姿が見えた。
「どう?調子は」
栞を挟んでいなかったためどこまで読んだかなとペラペラ確認していたところに、八重が俺の目の前に現れた。 いつも通りというべきか、声をかけられるまで全く気配に気づかなかった。すっかり慣れしまったこの流れに、しかし未だにびっくりしていることはおくびにも出さずに、サムズアップを返す。
調子とは恐らく昨日の記憶がないこと以外で変わったことがないかという意味だろう。
「あれから別に。普通かな」
「昨日の甲矢仕も普通で、むしろキビキビと動いてたことくらいしかわからんかった」
こんなときにも無表情でいつものように淡々と言う八重に少し安心する。
「俺がスマートにトラブルに対処とか想像ができんのやわ。マジでありえん」
「そう? まぁ、昨日の様子としては大丈夫やと思う。怪我もしてなさそう。ところで、何の本読んでるん」
表紙はカバーがあってわからないようになっている。名前を言うのも恥ずかしくて本を八重に渡す。
「これ『夢の中』。私も読んでる。たしか、現実と夢の中の出来事が交差していく話、やっけ」
「おお、マジか。俺、そこまでまだ読んでないんやけど……」
「……。」
「……。」
突然のネタバレを喰らった。気まずくなった空気に耐え切れなくなって、話題を変えるために視線をあちこちにやって探る。すると、給食待ち時間を利用して五時限目に提出する予定の課題をしているクラスメイトの姿があった。
「そうや、八重。今ネタバレしたことを少し反省してるやろ?」
「してないけど」
「いやしろよ。お前はこれからの俺の楽しみを奪った自覚と責任を持て」
「で? 自覚と責任を持てたらどうするん?」
「じゃあ、代わりに今度俺が困ったときに課題みせてくれ」
「課題……? いいけど。甲矢仕は課題はしっかりしてくるタイプやろ? 遅刻はするけど」
「八重はいちいち何か言わんと気が済まん病気か何かか? まあ。課題を忘れようと思って忘れるやつはおらんよ。俺だって忘れる日もあるかもしれん」
俺は残念ながら頭がよくない。六月に行われる定期テストも、どれだけ難しいのかは初めてなのでわからないが、多分平均点もしくはそれ以下になると思う。だからせめてもの努力として意欲・関心・態度に悪影響のないように過ごす努力が必要だ。それだというのに俺は一度、正確に言うなら二度遅刻している。ただでさえ遅刻をしているのに、課題を一度でも忘れた場合の内申点の減点と先生からの悪印象は今後拭うのに苦労するはずだ。
「それは、その。友だ……部員として協力する、けど」
俯いていて、垂れた前髪に隠れた瞳が間からチラリと覗いて見えた。
その提案は俺にとって大変都合のいい話ではあるが、八重には何もメリットが無い。ここ数日の授業でわかったことだが、今後恐らく八重が授業や課題で困るとは思えないからだ。そんな彼女が俺ごときに協力を仰ぐことはないだろう。
ただ、でも、何を考えているかはわからないが返す言葉は決まっている。
「なんで言い切らんかったん。変なやつやな。俺たち友達やろ」
同じく水泳部員同士仲良くやっていきたいし、この間のこともあって、俺は友達と言い切った。
彼女の目は大きく見開かれる。そういえば以前一度、こうして驚きに顔を染めた表情を見ているなと、思考の端で考えていた。
「友達やねんからお互い困ったときは助け合おうや」
「やっぱり甲矢仕は変わんないね」
「え? それって」
「――それじゃあ課題は助け合いってことやから。それ以外のことで何か償えることは?」
「お? おー。そうやな。償いか、なんか重いって、償いって言い方。ネタバレされたこと、実はそんなに気にもしてないから、じゃあ八重が決めてくれ」
課題以外で何か頼めることがないかと思案を巡らせてみたものの、思いつかない。ここで適当に彼女になってくれって頼みも浮かばないでもなかったが、却下だ。リスクが高すぎるし、何を考えているかわからない八重にそんなお願いしたら、どうなるか想像もつかん。他の子なら言いふらされて黒歴史が確定するだろうことは想像に難しくないが。
「じゃあ、今度付き合ってくれない……?」
「おお、……え、いや。は?」
俺以外に周りにいたクラスメイトも八重の問題発言が聞こえてしまっていたらしく「え!?」と聞き間違いかどうかで騒いでいるようだが、……残念ッ!! 聞き間違いではない。
八重がもう一度「私とつきあってくれない?」と聞いてきたから確定してしまったのだ。最悪の事態が。これでもう誤魔化すことは無理。
「おいおいッッ!! こんな皆がおるところでお前は何言い出してんねんアホか?! もっとシチュエーションとか考えて――って違う違う、どういう意味で言ってねんホンマに!!」
動揺していたのは周りにいたやつらだけではなく、当然自分もその一人で、気が付いたら思っていたことがすべて口から出ていた。
八重は問題発言に気が付いていないのか、何とも思っていないのか、いつも通りの表情で続けて口を開く。
「私のおすすめの本、何冊かあるから。それ選ぶために、付き合って」
「え? あ、ああー! 償い、償いのことね!! バカがお前! 紛らわしいんやアホかほんまに、紛らわしい言い方のせいで、勘違いされてるぞ」
自分の勘違いに気付いて、恥ずかしい気持ちを誤魔化すように早口でまくしたてる。
俺の慌てようにも無表情を貫き通す八重。普段通りすぎる彼女を見ていると、俺も少し落ち着いてきた。いつもは気にならないインナーカラーのピンクが鬱陶しく感じる。やはり落ち着いてはいないみたいだ。
やり取りを聞いていた周りの生徒も納得したのか、また談笑に戻っている。しかし、中にはいまだにこちらをチラチラと見ながら先の話をネタに盛り上がっている生徒もいた。
最悪だ、当分の間はこのネタで盛り上がり、渦中にいる俺を苦しめることとなる。
先の事件を全く知らない当番たちが続々と戻ってきた。
それを見て俺はこれ以上八重と一緒にいるのは気まずいので「それじゃ、仕事があるから」と離れて教室の扉の前から様子を見守る。
朝の学活で他にも言ったことはある。
まず、当番の役割分担を明確にしたことにより、いつもより効率よく配膳されている。時計を見れば、いつもはまだもたついていている時間だが、今はもうそれぞれが己の仕事に準じてテキパキと働いている。
これならいけるかもしれない。もしかしたら今日中には他クラスよりも早くに終わるかもしれない。
「もうすぐ配膳が終わるから待機してるみんな準備してよー」
「やぁケンゴくん、今日はビックリするくらい準備が速いね」
宇都宮に後ろをトンと軽い調子で肩を叩かれて「あぁ、皆のおかげやな」というと、満足そうな顔をしている。
朝聞いた話を早速取り入れてはみたものの、これがすごい効果で、ここまですごいと思っていなかった。
そしてその効果を今目の前で当番として働いている皆も感じているようで、意識が向上している。その様子をまた、給食委員である俺は喜ばしく感じていた。
……っ。て、いやいや、俺は記録を少しずつでも短縮し、その結果として俺のイメージを少しでも上げたいだけで、クラスの皆が喜んでいることに嬉しいと思っているわけでは決して。
そこまで考えていたところで、目の前で立つ宇都宮を見て意識が戻ってきた。
「サボってたらどつくからな?」
「はは、遅刻するケンゴくんには言われたくないかな~」
「遅刻は一回やけどな。でも、そうやな。給食委員の自覚をもって改めるよ」
「ケンゴくんにはその心配も必要ないんじゃない? その自覚があるからここまで行動できているんだしさ」
自覚があるかと言われみれば俺は無いと思う。しかし、彼がこう言ってくれているのだから、皆からみて俺はしっかり給食委員としての自覚をもって働いているように見えているのだろう。せっかく好感触に働いているのなら、わざわざ否定する必要もあるまい。
「そうか? ありがとうな。俄然やる気になるわ」
「それに、この間のカレーの件も、廊下から見てたけどかっこよかったよ。皆もそう思ってるはずだ」
「……そうか、それはありがたいな」
思いあがらず、謙遜する姿勢を忘れない謙虚な姿に見えたのかもしれない。しかし、全く記憶にない自分の行動を褒められるのはどうにも不思議な感覚だった。
クラスの皆が続々とクラスに戻っていくのを確認しながら、廊下の様子を見た。また別クラスはどこも教室に入る気配がしない。そして慌ただしく動く音も聞こえていることから僅差ではなく、圧倒的なまでの勝利をつかんだことは明白だ。
「よっしゃぁ」
静かに一人、ガッツポーズを取る姿は少し間抜けだっただろう。
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