四夢「挙手の動機」

 黒板には同じ小学校だった副委員長が給食委員の下に俺の名前を漢字でスラスラと書いていく。俺のことを知らなかった生徒は黒板に書かれた自分の苗字の漢字に驚いている。まぁ、それも時期に慣れるだろう。小学校でもそうだった。今回も変わらないはずだ。いや、小学校の時もそうだっただろうか、記憶が少し曖昧だが別にいい。


 給食委員の立候補はどうやら自分以外にはあがらず、状況は停滞。

 委員長が「女子はー? なりたい人いれば挙手でお願いしますー」と引き続き進行する。少しざわざわとした時間が続く。この時間、話し声はしても立候補者が現れる気配がない。


 ――計画通り、だ。

 

 今の俺は誰もなりたがらなかった給食委員に、クラスの皆を守る形として犠牲になり立候補した生徒だ。

 確かに給食時間の前後が当番の週には失ってしまうのは痛手だが、それでもこの状況は美味しい。


俺は給食委員に率先して立候補したわけではないということがクラスで認知されていればいい。


 この事実一つで俺はある程度仕事をサボることをクラスメイトから許容され、ミスも大目に見てもらうことができるだろう。派手な失敗だけ、できる限り起こさないようにさえしていればいい。それだけで俺は楽をして給食委員として働き、内申点を稼ぐ。


 図書委員になれなかったことの誤算もあったが、これはこれで良いだろうと内心でほくそ笑む。


 しばらく経っても女子生徒が名乗り上げる気配もなく、時間だけが過ぎ去っていく。クラスメイトも少しずつ飽きてきたようで関係ないといった姿勢を見せる生徒も増えてきた。


 そして益々俺の自己犠牲のような見え方が浮き彫りになる。悪目立ちしているともとれるが、それでこの先の成績を少しで上げることができるなら、それすらも目をつぶることも厭わない。

 そうしてもう時期、くじ引きかじゃんけんの何か運に任せた決断が下されるだろうと思った時「はい、私なります」と、少しハスキーな声がしっかりとクラス皆に、そして俺の耳にも聞こえる声量でしっかりと聞こえた。


 委員長が新たに挙手をした女子をみて、うなずく。


「お、ありがとうー! 木町さん! じゃ、じゃあ副委員長、お願いします」


「あ、はい。えーと、キマチさん……は、木に普通の町?」


「そうそう。木曜の木に町内会の町よ」


 いやさっきの副委員長の木に普通の町やとどれだよってなんだろ、天然なのかな?と思っていたが、しっかりとそこは委員長がカバーしてくれていた。

 そうして、給食委員の欄には自分の名前と木町さんの二つの名前が並んだ。


 木町――名前は確か、みのる だったか。

 その木町の方を横目で見ていると目があってしまった。


 少し明るい茶髪にショートカットが似合う子で、左目 —いや彼女からして右目か— の下にある涙ボクロが印象的だ。肌は少し褐色肌。背は女子の中では少し低そうだ。


 目があってからお互いに目を逸らすことなく見つめあう。横目で見ていたものだから最初は少し気まずい。


 木町 実。

 これから一学期の間、俺の世話をパートナーだ。俺の分もしっかりと働いてもらう相手の、名前だ。


 ずっと見ているだけで反応しないのも印象が悪いかと思い返し、少し会釈すると返してくれた。


 すると、背筋に氷柱を当てられた感覚がして振り返ると、切れ目の女子と目が会った。目があっても一考に視線を逸らす気配のしない彼女の名前も今は判明した。


 ——八重やえ 夢咲ゆめさき

 昨日彼女のことを知っていたら、普通に挨拶をするつもりだったのか、何か大切な話があったのか。さっぱりわからないが、要注意人物であることには変わりない。なにせこの目がやばい、何人かやっちゃってる目だ。危ないやつだ。


「よーし! そこまで。先ほど説明した通り、次の時間から部活動紹介だ。今後三年間を決める大切な選択となる。しっかり話を聞いて、考えること!! 委員長、号令!!」


 委員長の言い慣れていない、「起立・気をつけ・礼」に合わせてぎこちなくクラスが一丸となって動く。この時だけは、まだ慣れていない俺たちの行動が一致する時間だ。これもそのうち慣れて、だれて、当たり前に感じるのだろうな。


 一時限目が終わり一気に教室が騒がしくなる。いつもはこのまま席に座り、次の時間を待っているが、今回は違った。席には座らず、そのままの足で友達の元まで向かう。


 ニヤニヤした顔で席を立つ凛に俺もついていこうとすると、その道を阻む存在がいた。凛が後ろに俺がついてきていないことに気付いて振り返る。しかし気を利かしてか「先、いってるわ」と言って教室を出た。そして、改めて進む道を阻む存在、スライムAを改めて見る。


「初めまして、ハヤシ君」


 少し暗めの茶髪にショートカットが似合う子で、左目の下にある涙ボクロが印象的で、肌は少し褐色肌。今は席に座ってい……ないのでわかったが、やはり背は俺より結構低い。


「木町さん。はじめまして」


 少し視線を下げて初めて木町さんと話す。彼女の頭部の高さに俺の鼻先が来るので、良い匂いがダイレクトで届く。まだ香水とかそういった作られた匂いはせず、実家の匂いのような、人それぞれが持つ独特な香りが鼻孔をくすぐる。それが警戒心を自然とほぐしていく。


「一学期の間、同じ給食委員やな、えーとその改めてまぁ宜しくな、うん」


「うん、よろしくね。あと名前は木町って呼び捨てでいいよ」


「お、おう。おーけー、キマチ。じゃあ俺のことも甲矢仕でいいよ」


「うん。なんでハヤシ君は給食委員に?」


 一瞬、自分の魂胆が見透かされたのかとヒヤリとしたが、普通に気になって聞いただけだろうと納得して無理やり落ち着かせる。


「べっ、別に、……特別な理由はないよ。ただ、図書委員になろうと思ったけど人が多くて諦めただけ」


「そっか! それならウチと同じだ! 元々本が好きでね。ハヤシ君も同じ?」


 ブレザーのポケットが少し膨らんでいると思っていたが、そこから本が一冊でてきて、思わず「あ! 『船旅はあなたと』やんか!」と声がでた。

 記憶に残っている表紙と一致した本は、自分もよく知っている小説だ。表紙に視界を奪われていたがハッとして木町を見ると驚いた顔をしている。思わず声量が上がってしまったことに羞恥心で顔が熱い。


「え~? ハヤシ君も読んでたの!? 私もこの作品が一番好き!」


 俺の反応に気分をよくしてくれた木町に、少し嬉しくなる気持ちと、少し気になることがあった。


「キマチって、もしかして関西の人じゃ、ない?」


「うん、そうだよ。よくわかったね」


 関西に住む人間は関西弁に厳しい。関西と言ってもその範囲は広く、住む地域によって関西弁は変化する。そこが面白い点ではあるが、彼女の言葉はどこにも属さない、所謂、標準語に近しい何かに感じた。ただ少し、関西弁のようなイントネーションも見受けられるので、ちぐはぐな感じだ。


「ごめんね、もしかして不快にさせちゃったかな?」


「あ、いや。そんなことはないけど、もしかして引っ越してきた?」


「私は生まれも育ちも関西だよ。でも両親が関東出身だから、それがね」


 へへと笑う木町に、なるほどと納得する。

 誤解されると嫌なのだが、それしきのことで不快になる人間などほとんどいないだろう。

 さっきは関西弁に厳しいと言ったが、あれは似非関西弁に対してであって、関西弁が混ざったような言葉にも全て厳しいわけではない。だから木町が標準語で話そうが、イントネーションがたまに関西のものでなくても、対して悪い気分にはならない。そのことを木町に伝えると、「ありがとう」と微笑む。


 「別に、普通のことやって。ま、これからよろしくな」


「うん、よろしくね」


 木町の緩い雰囲気とたれ目の彼女が目尻を下げた笑顔に思わず心臓が跳ねる。高鳴った心臓を誤魔化すように、「それじゃあ」と聞こえるかどうかもわからないような小声でその場を離れる。

 先にでたはずの凛を追って俺も教室を出た。少し先の廊下で凛の後ろ姿を確認して、小走りで追いつく。俺が来たのを確認すると、凜はもたれかかっていた壁から背中を話して廊下を突き進む。

 この道のりは、多分トイレだろうか。



 ×  ×  ×



 私は、自分が嫌い――だった。

 

 洗面台に、一定のリズムで雫が落ちる。少し耳障りに感じて、それをギュッときつく締めなおして蛇口から零れる水は今度こそ止まった。


 鏡に映るのは、綺麗でまた型崩れもしていないブレザーに身を包む切れ目な女の子。赤と黒のチェック柄のスカート丈は短すぎず長すぎない程度に折っていて、悪目立ちはしないようにしている。そんな普通の模範として完璧な女の子の顔を鏡越しに見て肌が粟立つ。


 入学式の日、その日までの私はいつもと変わらなかった。


 綺麗で美しい母と、年相応の老い方をしてダンディーな父の間に生まれた私の容姿には結構自信があった。

 これまで言い寄ってくる男子は数知れず、私は男子を自分に見合う男かどうかを評価し、判断し、選んでいた。


 美丈夫で有名なサッカー少年。

 小学生で高校生で学習する範囲をマスターしている登校班の班長。

 喧嘩で負け無しの同級生の弟。

 父親がプロ野球選手の金持ち息子。


 本当にこれまで色々な男子が言い寄ってきた。全員と付き合ったわけではないが、中には付き合った男子もいる。


 ……しかし、長く続いたことはなかった。


 どれだけ優れた雄に惹かれても、そこから好きになることも、愛が芽生えることもなかった。

 それはないものねだりなのか、もし最初からこれだけ選び放題の人生でなかったら、もっと普通に男子を好きになれていたのかもしれない。でも、私は父と母の間に生まれた一人娘だ。今更何を言おうが変わることはない。それだけは変えられない。

 これは恐らく、一生決められた私の生き方。恋愛を知らない女の子として生きていくと、そう思っていた。

 

 ——頭に浮かぶ一人の男子生徒。

 

 朝、通学してきた際に目のあった男の子は私を見るなり少し警戒していたけど、あの様子だと本当に覚えていないらしい。私は自分でもで、こんなにもいっぱいなのに。これ以上無理に接近すると今以上に警戒されてしまうかもしれない。

 

 憎い、憎くて悔しくて、……切なくて、たまらない。


 他の女の子は皆、普通に生きていて、普通に楽しんでいて、普通に恋をする。

 憧れだった。一生叶わないと、掴めないと思っていた夢。


 初めてだ。

 私に魅了されない人間なんていないと思っていた。私の容姿も、小さく潤った唇から放たれる毒舌な一面も、皆に受け入れられてきたのに。

 それなのに、私を受け入れるどころか、反発し警戒するだなんて。


 ……もしかしたら、この先一生、手に入らないかもしれない可能性すらある。

 

 最悪の想像をした刹那、およそ自分のものと思えない笑い声が狭い空間に響く。しかし、女子トイレには私一人だけ。どうやら知らない間に、どうやって出たかもわからない自分の笑い声がでたらしい。


 嫌な想像をしているうちに下を向いていた顔を上げて、鏡越しにもう一度初対面の私と見つめ

 切れ目で、でも目は大きくて、睫毛の長い私の目が、見たことのない輝きを放っている。瞳に映る姿は自分のはずなのに、投影されているのは違う人。


 私は、彼を一目見たときから、きっと――。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もっと知りたい、アナタのことを ~俺;僕;私の夢~ チノチノ / 一之瀬 一乃 @tinotino-itinose

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ