二夢「不安の出会い」


 入学式も無事終わり、とは言えなかった。


 母の注意と、朝の星座占いが最悪なことに的中し、入学式の新一年生の登場の行進中、躓いてしまったのだ。不幸中の幸いといえるのが、ド派手にこけることはなく列が多少乱れる程度だったことだ。


 母に前もって言われていたこともあって、ギリギリのところで転倒することなく耐えることができたので後で感謝を伝えるとする。とはいえ黒歴史確定ですお疲れ様でした。


 入学式後は教室に戻り、一部始終を目撃していたやけに髪色が目障りな友達に揶揄われた後、担任の教師から長くてありがたいお話が続いた。これからこの光景が日常になるのだと思うと不思議な感覚になる。


 僕らの一番後ろには保護者が揃って子供の成長の姿を嚙みしめている様子だ。中には祖父母らしき高齢の方も混じっていた。

 今日だけが非日常のはずだったのだ、一体これからどうなるのかわかりやしない。しかし随分と時間が経って分かったことがあるが、対して害はないのだ。別に髪色が変わったからて何か他に悪いことが起こるわけでもない。どうしてこうなったのか今ではさっぱりわからないが、困ったことがないなら別にいい。それでいいはずだ。


 ぼーっとした頭で長い先生の話を聞き流すと、とたんに皆が席を立つので俺も慌てて皆に倣う。


「それじゃあ、気をつけ、礼!」


 先生から事前に号令で礼をすることを聞いていた通りの内容を皆は拙い動作で行う。このバラバラの号令もいつかは馴染んで礼が揃う日が来るのだろう。


 ゾロゾロと帰る生徒と保護者の中に、何度も見てきた顔がこっちに手を振っている。しかし、ここでまさかのバグのメリットを見つける。


 髪色が皆違う長所がここで効いてきた。人探しが楽ですぐに見つけることができる。


「あんた、私先帰っとくで? どうせ凛君と一緒に帰ってくるんやろ? まっすぐ帰りや」


 廊下側に席のある俺に対し、廊下の窓から母さんが顔を覗かせながら、一方的に言っては帰っていく。


 入学式も終わり、初めての終学活を終え、続々とクラスの後ろで並んでいた保護者の方々が帰路に着く。中には、学校門前にある入学式の看板と写真を撮るやなんやで話している家族もいる。俺のお母さんはどうやら帰るみたいだ。まあ、朝写真は撮っているから大丈夫だろう。

 

 さて自分も凛と一緒に帰るかと動こうとしたと同時に「あの」と気だるい印象を受ける声がした。

 しっかりとリュックを背負ってから振り返って、相手の顔を初めて見る。目線が大体同じ高さ。つまり身長は俺と同じくらいの女の子の顔が、目と鼻の先にあった。視界いっぱいに広がる女子の顔に動揺し、慌てて数歩後ろに下がる。その際、机の足に自分の踵が当たって不快な音が頭に残った。


「林――いや、甲矢仕はやしくん。久しぶり」


「え? あ、え? 久し……ぶり?」


「私のこと、もしかしてわからない?」


「え、う、うーん? ちょっとまってな……。――。」


 久しぶりと言い放った女子生徒の顔を見て、自分の小さい脳ミソを高速回転させてみるも、全く心当たりも思い出も見つからない。向こうはどうやら俺のことを覚えているみたいだが。


 改めて目の前で俺を睨んでいる彼女を観察してみる。


 少し赤味がかった黒髪は肩口辺りまで伸びているボブカットの女子。何より目を惹くのはボブカットにインナーカラーが入っていることだろう。ローズピンクは主張が激しい色だと思っていたが、中々どうして彼女の黒髪とは調和していて、しっくり来た。目は少し切れ目だが、細く小さい印象を抱かせない大きな瞳がこちらをまっすぐ覗いている。可愛いと表すよりかは冷たい雰囲気を纏っており綺麗な子だ。


 じっくり観察して思ったことは、彼女が知らない人に「久しぶり」などと気さくに話しかけるようなタイプには見えない。どちらかといえば、


「話しかけたら『うっさい死ね』くらい言いそうな子、か。」


「は? 失礼すぎ。あほ死ね」


「……っ。お、思い出せないけど、ほんまに言われると思ってなかったからダメージがっ」


 彼女の発言に傷ついたことを誇張するように胸を押さえてアピールしてみると、ずっと睨みを利かせていた目が少し見開く。そして少し口の端を上げた彼女。その表情は明るい笑顔ではなく、嗜虐心が煽られた猛獣のような笑みで心底怖い。

 しかし、はっきり言えるのはやはりこんな女と知り合いではないし、勘違いされているなら早々に誤解を解かないといけない。このまま彼女と付き合っていたら嫌な予感がする。


「まぁ、仕方ないか。私が気付いたときにはもう遅かったし」


「? 待ってくれ。会ったっていうならどこで会ったことあるん? それにハヤシって呼んでたけど、もしかしたら俺以外の誰かじゃない? 俺と同じ苗字なんていくらでもおるし」


「いや、君であってる。なんで甲矢仕の漢字が知らん名前なんかはわかんないけど。でも――」

 

 続く言葉に思わず生唾を飲んだ。真剣な表情で「人違いなんかじゃ絶対無い」と断言する名前もまだ知らない彼女に、また数歩下がってしまった。


 突然の挨拶にわからないことが多すぎて問い詰めようとしたところに、俺と切れ目の彼女の間に白くて綺麗な手刀が空気を切る。 

 話の腰を折った本人はこちらを交互に見比べながら、会話を切った当の手を上げる。


「おい、ケンゴ。帰るぞ」


「お、おぉ。凛。わかった」


 ――けど、ちょっと待ってくれと言いかけたところで、切れ目の女子は「それじゃ」と勝手に会話を終わらせて教室を出て行ってしまった。先ほどから置いてけぼりの俺はその女子を追うことはせず、後ろ姿が見えなくなるまで見送っていた。


 呆けていたところを頭部にチョップされて意識が戻る。ついでに凛を睨む。


「おい、ケンゴ。ぼさっとしてないで、俺らも帰るぞ」


 気が付いたら教室に残っている生徒も少なくなっていた。俺も早く帰りたかったのでさっきのことはまた明日にでも聞けばいいかと思い直して教室を出る。

 続々と帰る生徒と保護者の波に従って俺達も家へと帰る。入学式後は授業が無く解散だ。明日は昼までの午前授業で明後日からは午後も含めた通常授業が開始する。いろいろと不安もあるが、同じクラスに友達もいることだし安心だ。


「さっきの女子。知り合い?」


「それが、まったく知らん!」


「……女子はケンゴのこと知ってるみたいやったけど?」


「俺が覚えてないだけで、どっかで会ったことあるんかなあ?」


「ケンゴの記憶力壊滅的やから、仕方ないか」


 記憶力が最低と高笑いしながら罵ってくる凛の足裏を蹴り飛ばす。地面から離れたすぐに蹴った勢いに転びそうになったが、すぐに姿勢を立て直す。面白くないやつだ。

 彼の中でさっきの話は終わったらしく、変わりに別の話題が浮かんだのか「どうする?」と聞いてきたので何のことかと聞き返す。

 

 「明日の委員会決めのこと。もう決めたか?」


 「え、何それ」

 

 「は? いや先生が言うてたやろ。明日のホームルームで委員会決めるって」


 そんな話をしていたかと思い返してみても首を傾げることしかできない。凜はそれに今日何度目かの溜息を吐く。


「また聞いてなかったな? それかその壊滅的な記憶力のせいで覚えてないのか?」


「き、きいてませんでした……」


 呆れ顔で俺の告白を聞き流し、再度問いかける。


「で、どうする。明日委員会決めがあるけど」


 知らなかった情報を仕入れた俺は、少し考える。

 俺は小学生の時、図書委員会に入っていた。内容が簡単だったから変な係になるより楽だと思ったのが動機だった。ちなみに隣で歩いている凛も図書委員だった。補足すると凛は俺と違って図書委員長もしていた。本が昔から好きで責任感がある凛には適任だと思う。


「凛はじゃあ図書委員?」


「まぁそのつもり。他の委員もいいなと思ったらそこで考える」


 凛が図書委員に入るなら、男子の枠は埋まってしまうから無理だと思ったが、違うのなら図書委員がいいだろうか。


「小学校の時は朝、図書室を開けるだけでよかったけど、中学はどうやろう」


「……中学は逆に放課後の管理するとかか」


 小学生の時は放課後には帰宅が絶対だった。しかい中学からはそうではない。部活動もあるし、成績が悪い生徒には補修があると聞く。まだまだ先のことではあるが三年生にもなると自習室に残って勉強しているとも聞いたことがある。


「まあ、今回も変な係に入るよりは楽そうな委員会に入って、適当にやろうかなー」


 中学生にもなれば小学生の時より成績が重要になるだろうし、楽して内申点が稼ぐことができるなら欲しい。俺は小学校の通知表は三段階評価で真ん中の『できる』しかなかったレベル。唯一図工のみが『よくできる』だったか。それに比べて凛は三段階評価がかなり良かったはずだ。正直委員に入らずとも内申点に困ることはないだろう。


 何も言わない凛を見ると、またも呆れた顔でこちらを見ている。


「でも、そうやな。その思考も大事かもな」


「お、珍しいな。俺の考えを肯定するの」


「中学からは時間の使い方も大事やぞ。部活とか」


「部活ね~」


 そうこうしていると、お互いの住むマンションが見えてきた。俺と凛の住むマンションは主要道路から1本外れた所にある。そして道路を1つ挟む形でマンションが向かい合って建っているのだ。俺の部屋からは凛のマンションの廊下が見える。昔はよくベランダから廊下に向けて手を振ったものだ。


「それじゃ、また明日」

「おう、またな」


 明日の委員会について考えながらエレベーターに乗った。

 ふとエレベーターに張り付けられている鏡に映る自分の姿が目に入った。なぜだかブレザー姿の自分がしっくりと来る。まるでずっと昔から着用していた気分だ。親からは学ランよりブレザーの方が似合うと言われていたし、少し鼻が高い。

まじまじと自分の姿を確認すると、入学式の最中にも感じていなかった感覚が全身を駆け抜ける。


 中学生になった実感が遅れてやってきたのだった。

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