第5話 希望と絶望の過去
次の日。
アルと2人で朝食を取っていると、執事が食堂に入ってきた。
「アルフィー様、本日の午前中より家庭教師の先生がお見えになります」
「本当ですか? ありがとうございます。ギョームさん」
すると今度は、執事が俺の方を向いた。
「レオナルド様。本日の午後は剣の先生がいらっしゃいます」
俺は大きな溜息をついた。剣は苦手ではないが得意ではない。
一般的には毎日素振りをする必要があるらしいが、俺は週に3回、授業と剣の先生がみえた時に剣に触るくらいだった。
(はぁ~~憂鬱だな)
父は『身体を鍛えるため』と、『いざとなったら己や大切な者を守るために剣を習得しろ』と剣に関してはかなり熱心だ。
だが俺はあまり好きではなくてやる気がなかった。
「ああ。わかっている」
執事にぶっきらぼうに返事をすると小さく溜息をついた。
「兄さんは剣も習っているのですか?」
アルが『興味があります』という瞳をこちらに向けてきた。
(興味があるのか……待てよ? アルも習えば、俺の負担が減るかもしれない)
「アルも俺と共に先生に剣の指導を受けるか?」
「はい!! ぜひ!!」
俺は執事の方を見て言った。
「……だそうだ」
「では、そのように手配を」
執事は礼をすると素早く食堂から姿を消した。
おそらく、遅かれ早かれアルフィーも剣を習わされていたはずだ。
以前は『アルフィーと共に剣を習うは嫌だ』と俺が拒否をしたため、アルフィーは剣を習わなかった。
だが、もし俺が嫌がらなければ、あの父のことだ。絶対にアルフィーにも剣を習わせただろう。
正直なところ剣の先生の圧はかなり凄い。
その圧を分散できるアルという存在に俺は希望を持っていたのだった。
+++
「……アルフィー様は素晴らしいですね」
剣の先生は手放しでアルを褒めた。先生は、男爵家の次男で『自分は家を継がないため絶対に騎士になる』、と決めて努力して騎士になった人だ。
さらに騎士にもランクがあって高位ランクや中位ランクの人は、任務とは別に貴族の子息の家庭教師などを請け負っていたりもする。
家庭教師などを請け負うことは、『次世代の騎士を育てる』という意味合いもあり騎士の間では名誉なことであるらしい。
ちなみに先生は高位ランクだ。普段は王宮の財務部などの警備を請け負っているらしい。財務部は王族の警備の次にできる人材を派遣する部署だ。
そんな高位ランクの先生なので、月謝だってかなりの物だ。父の並々ならぬ剣への執念を感じて溜息が出てくる。
だが優秀な先生のおかげで、あまり剣の練習をしなくても剣の授業ではそこそこの成績を修めることができていた。
先生は苦労して騎士になった人なのでとても厳しいが、練習せずとも俺の剣の腕をそこそこにしてくれたのだ。
きっと真面な生徒ならば剣術大会の代表にも選ばれたかもしれない。
俺はというと不真面目な生徒だったので、もちろん剣術大会の代表に選ばれたことはないし、先生に褒められたことなど1度もなかった。
そんな厳しい先生がアルを手放しで褒めた。
(俺は褒められたことなどほとんどないがな……)
「ありがとうございます!!」
アルが素直にお礼をいうと、先生が笑顔を見せた。
「アルフィー様は毎日、俺の言った訓練をしてくれそうですね」
「はい!! がんばります!!」
(本気か? これを? 毎日!? 正気の沙汰とは思えないな……)
やる気の満ち溢れるアルを横目に、俺はすでにへとへとになっていた。
ただ違うことは……いつもの稽古は先生の小言を聞きながら終わる。
『わかりましたか? レオナルド様』とうるさいくらいに念を押しながら帰る先生が、その日は機嫌よく帰っていった。
(優秀でやる気のある生徒は楽しいよな……俺だけではなく、アルもいるのなら先生もやりがいがあるよな。よかった……アルがいて)
俺はプレシャーから解放されて、ほっと胸を撫でおろしたのだった。
目の前には先程言われたことを忘れないうちにもう一度確認するように身体を動かすアルの姿が見えた。
(アル……凄いな)
俺は思わず努力するアルの姿に目を細めたのだった。
+++
それからのアルは本当に頑張っていた。
午前中は剣の稽古をして、午後からは文字や計算を覚えるために懸命に努力していた。
俺はというと、学園が社交シーズンで3ヵ月ほど休みなので、時々学園の勉強をしたり、アルに本を読んだり、アルと一緒に剣の素振りをしたり、いつも以上に充実した休みを過ごした。
「兄さん、侍女のアンリが『少し休憩にしませんか?』って顔をしていますよ?」
「ああ、では休憩にするか」
俺は読んでいた本を閉じると、伸びをしながらアルを見た。アルは侍女に向かって手を上げていたところだった。
俺とアルは時折、2人でお茶休憩をとるようになった。家に来たばかりの時、オドオドしていたのが嘘のように最近のアルは堂々としていた。
(もうすっかり、立ち振る舞いは貴族だな)
「随分と言葉遣いもよくなった。頑張っているのだな」
「ありがとうございます」
俺が褒めるとアルはいつも幸せそうに笑う。
(子供の笑顔というのは……いいものだな……)
俺は見た目は10歳の子供だが、気分はすっかりと孫を愛でる祖父の気分だ。
8歳のあどけない笑顔に癒されているうちに侍女たちがテキパキとお茶の準備を終えていた。
アルはお茶の用意されたテーブルの前のソファーに座ると楽しそうに話を始めた。俺は話があまり得意ではないので、アルの話を聞くのは楽しかった。
「兄さん聞いて下さい。庭師のムトが庭園の隅で植物の交配実験をしていたそうなのですが、今回、面白い花が咲いたそうですよ? 一度、一緒に見に行きませんか?」
「は? 交配? 庭師はそんなことをしていたのか?」
(……そんなこと初めて聞いたな)
「ふふふ。はい。元々は、昨年結婚した侍女長のエリーの気を引きたくて始めたことだったらしいですが、エリーに振られた今はムトの生き甲斐になってるそうですよ。
あ!! これは内緒でした。僕が言ったことはムトに黙っていて下さいね」
(ムト? エリー?)
俺は思わず首を傾げた。
「アル。もしかして、侍女や庭師の名前を覚えているのか?」
「え、ええ。毎日顔を合わせますし……この屋敷に出入りしている商人や御用聞きの方の名前もわかりますよ?」
俺は驚いて思わずアルの顔をじっと見つめた。
「アルがここに来てからまだ2ヵ月と少しではないのか?」
「そう…ですね。ですが、人の名前を覚えるのは得意なので」
(名前を覚えることが得意?!)
俺は驚きのあまりアルの顔を凝視した。実は俺は人の名前を覚えることが得意ではない。
しかも、それが原因で以前領主の時に、大きな交渉を失敗したこともある。
(もし……あの席にアルが同席していたら、結果は変わったのだろうか?)
俺は失敗した過去を思い出していた。
◆ ◆ ◆
以前の俺は学園を卒業してすぐの18歳の時、父が事故で他界したのをきっかけに領主を引き継いだ。
その時に継母や弟を追い出したので、頼れる家族はいなかった。
父をずっと支えてくれていた優秀な秘書のオリヴァーは、父と共に事故で亡くなってしまった。
そうなると政務で俺を支えてくれる者は誰もいなかった。
俺は浮気が許せなくて父を避けていたために、領地経営のことをほとんど学ばないまま領主になった。
さらに悪いことは続いて、当時の俺は結婚を考えていた女性に裏切られていたことがわかり女性不審になり社交界からも疎遠になっていた。
そんな中、手探りでの領主だ。
民からの要望を聞いたり、他の領主と交渉など領主の仕事は多種多様だった。
何も知らなかった俺は面白いほど失敗ばかりだった。
そしてあの日。
俺は街道の使用条件を話し合っていた。父の代からお世話になっている隣の領のカラバン侯爵との交渉だった。
この街道は帝都に通じているので、この交渉に失敗すると我が領は多大な損害を受けてしまう。
(絶対に失敗などできない)
交渉自体は上手く行きそうだった。そこに侯爵の娘がお茶を持ってやってきた。
「ご機嫌よう。レオナルド様」
侯爵のご息女が笑顔であいさつをしてくれた。
(相手は名前を呼んでくれた! 俺も呼ばなければらないが……思い出せない!!)
「ご機嫌よう。お気遣い感謝致します」
俺はもう何度もお会いしているこの令嬢の名前がどうしても思い出せなった。
その時の俺は女性不審になっていたので女性のことなど考えないようにしていたのだ。
だから当然令嬢の名前など覚えていなかったのだ。
「ははは。レオナルド殿。よろしければ、娘をどこかに誘っては頂けませんかな?
あなたが来ると必ずお茶を持って現れるのですよ、この娘は! はっはっは!!」
「もう、お父様ったら!!」
侯爵と令嬢がたわいのないやり取りをしていたが、俺は冷や汗をかいていた。
(誘う? 誘うとなると、絶対に名前が必要だ!! 思い出せ!!)
俺は懸命に知っているはずもない令嬢の名前を思い出しそうとした。
「俺にはもったいないお話です」
「そんなことはありませんわ! 私、レオナルド様でしたら……」
「レオナルド殿、娘もこう言っている。いかがかな? 俺もあまり遠くにこの娘を嫁に出したくはない。あなたなら隣の領だし、互いの屋敷も近い。位も伯爵。申し分ない」
侯爵にここまで言われてしまった。
もう誤魔化せない。
(仕方ない!!)
俺は意を決して口を開いた。
「ありがとうございます。……お嬢様のお気持ち痛み入ります」
すると目の前の令嬢の表情が固まった。
「お嬢様……レオナルド様は、わたくしになど興味もないのですね。申し訳ございませんでした。今のお話は忘れて下さい」
「名前も覚えていないのか……興味がそれほどにないようだな……」
先程まで上機嫌だった侯爵も険しい顔つきになった。その後の交渉は散々な結果だった。
(これはなんとかしなければ!!!)
俺は侯爵にもう一度考え直して貰えるように、何度か高位貴族の方々に助けを求めようと繋ぎを取ろうとしたが、一度も話をしたこともない俺の話を聞いてくれるような人はいなかった。
当然だ。相手は帝都の隣の領の大きな街道を持つ侯爵なのだ。
良く知りもしない俺に肩入れして自分の領に火の粉が降りかかる可能性もあるのに手助けなど出来ないのだろう。
結果……帝都への街道の通行税に苦しめられ、天災も加わり、ノルン領は段々と衰退していった。
そんな日々がつらくて、俺は耳障りの良いことを言う叔父に全てを委ねてしまった。だが叔父は元々領地を経営する気はなく、伯爵家の資産を奪うことが目的だったのだ。
全てを失い、領民にも迷惑をかけた俺は死を決意したのだった。
時間を逆行した俺の"脱"悲惨な過去計画ゆるりと始動 藤芽りあ @happa25mai
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