第3話 母の残した秘密

 



 サロンに行くと真っ先に母の嫁入り道具であるグラスが並んでいる飾り棚に向かった。

 自分のせいで最後に毒などを入れたまま割れてしまったはずの不憫なグラスは、今もなお、美しく輝いていた。俺はその様子を見て心から安堵した。


(ああ、よかった……無事だったか……)


 そのグラスはまるで己の美しさを見せつけるような輝きを放っていた。

 俺はそのグラスを手に取ると、窓際にグラスを置いて果実酒を半分注いだ。


(ああ、やはり毒を入れるよりもずっと美しいな……)


 しばらくグラスを眺めていると、控え目なノックの音が聞こえた。

 「どうぞ」と言うと、執事長が入って来た。

 そしてゆっくりと近づいて来て優しく言った。


「レオナルド様、奥様に献杯をされていたのですか……」


 死者に捧げるさかずき……


(そんなにいいものではない……ただの懺悔に過ぎない……この気高きグラスを毒で汚し、あまつさえ毒を入れたままその役目を終えてしまった罪滅ぼしだ……)


 俺は執事長から顔を背けながら答えた。


「献杯……そのようないいものではない……ただ、このグラスに母の好きだったこの酒が注がれているところを見たかっただけだ」


 俺の言葉を聞いた執事長が少しだけ涙ぐみながら言った。


「レオナルド様……随分と成長されましたね……奥様も安心しておられると思いますよ」


(成長というより……時間を遡っただけだが……)


 グラスに対する一種の罪滅ぼしだったが、それは口にしなかった。

 俺は、執事長を見上げながら尋ねた。


「今更だと気を悪くするかもしれないが、執事長の名前は何と言うのだ? 皆が『執事長』と呼ぶので名前がわからない」


 執事長は目を優し気に目を細めながら言った。


「気を悪くだなんてとんでもない。レオナルド様が生まれた時にはもう執事長に任命されておりましたので、ご存知ないのも無理はありません。私はロイド・ジェイと申します」


 ――ロイド・ジェイ?


 そう言えば父が亡くなった後に、書類を見た時に早馬などの書類受け取りのサインによく書いてある名前だった。


(俺は……目にしていたのに全く興味がなくて気が付かなかったのか……)


 人というのは本当に傲慢な生き物なのかもしれない。

 目の前に大切なものが差し出されているのに気づけない。


(あの時の俺は、自分だけが不幸だと、可哀想だと思い……自分を支えてくれていた人の名前さえ知らないほど無知だったのか……)


「ロイド・ジェイか……ジェイ子爵家の出身だったのか。母の関係者なのか?」


 ジェイ子爵家は祖母の実家だ。

 ロイドは、頷きながら言った。


「はい。奥様とは二従兄になります。私はジェイ子爵家の3男で奥様のお誘いでこちらで働かせてもらえることになりました」


「そうなのか!? 知らなかった!!」


 俺が驚くとロイドが困ったように笑いながら言った。


「そうですね……特に聞かれることもありませんでしたから」


 ダニエル叔父上の件があるので、母の血族というだけで信用するのは危険だと学んでいたが、ロイドはずっとこの屋敷で俺たちを支えてくれていた人物だ。

 俺はロイドに胸ポケットから手紙を取り出して見せた。


「ロイドは……知っているか?」


 ロイドは眉を寄せると手紙の中身を見て驚いた。

 そして真剣な顔をして俺に手紙を差し出した。


「……これは旦那様にお聞きになるのがよろしいかと思います。ですが、まだ幼いあなたが知るには早い気も致します」


 俺は手紙を受け取ると胸ポケットに片付けた。


「父に……そうだろうな……だが、俺が知るには早いような内容なのだな」


 ロイドは頷いた。


「そうです。今のレオナルド様が知るには早い。旦那様に聞かれる時はそれ相応の覚悟でお聞きくださいませ」


 なるほど、ロイドは俺に心の整理をさせるためにあえてこのような言い方をしたのだろう。

 俺は大きく息を吐くとロイドを見ながら言った。 


「ロイド……悪いが適当な頃合いにこのグラスを片付けてくれるか? 残りは好きにしてくれて構わない」


「かしこまりました」


 俺は片付けをロイドに頼むとサロンを後にした。

 自分のような子供ではあの酒を飲むことはできない。

 ロイドなら酒好きな誰かに渡すか、自分で飲むこともできるだろう。


「ロイド……ありがとう」


 ロイドはにっこりと笑うと「いえ」と答えた。

 そして俺はサロンを出たのだった。


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