第2話 母への懺悔
「母上、申し訳ございませんでした」
次の日の早朝。
明けたばかりの朝の光の中、俺は教会裏の墓地にいた。
そして母のお墓の前で必死で謝罪をしていた。
謝罪をすることは3つだ。
1つは、母を裏切り不貞をはたらいた父と弟の存在を許してしまったこと。
そして……あとの2つは……
「折角、母上が与えた下さった生を自らの手で終わらせてしまったばかりか、母上の大切にされていたグラスを一度壊してしまいました……」
心の中で告げたつもりだったが、声に出していたようで朝のシンと静まり返った墓地に自分の声は思いのほか響いていた。
木の葉の揺れる音がして、風が頬を駆け抜けた。
鳥のさえずりがまるで母の許しを与える声に聞こえた……気がした。
俺はただ母の墓を見据えた。
「母上……もう二度と、自らの手で命は絶たないと約束します」
――朝焼けの死者との約束……
この国では早朝に墓前での死者との約束は決して違えることができない『魂の約束』と言われている。
母の墓前で決して破ることのできない死者との魂の約束をしてしまった。
(絶対に破ることができないな……)
俺は生きる覚悟を決めて、家に戻るために愛馬の背に乗った。
+++
王都の屋敷の門をくぐり、馬から降りて、馬を引きながら馬小屋に戻る途中、用具入れの前で、庭師と戯れるアルフィーの姿を見つけた。
(こんな早朝に何をしているのだ?)
眉をひそめていると声をかけられた。
「おはようございます。レオナルド様、お早いですね……何を見ているのですか?」
声のした方を振り向くと、我が伯爵家の馬世話と御者をしてくれている者が立っていた。
「……あれを見ていた」
視線をアルフィーと庭師に向けた。
「……あれでございますか?」
御者が不思議そうに俺の視線の先を見つめて、ほっとしたように声を上げた。
「ああ、昨日お見えになったアルフィー様とムトですか」
御者の言葉に思わず眉間に皺を寄せながら尋ねた。
「なぜあの者はこんな早く、ここにいるのだ?」
「アルフィー様はまだ夜が明けてもいない時間から、庭で寂しそうに月を眺めていました。私とムトが見つけて、ムトが話しかけることにしたのです。ですが、どうやらムトになついたようですね。先程までの悲しそうなお顔が笑顔に変わっていて安心しました」
想像もしていなかったセリフに動揺した。
(寂しい!? あいつには自分の母がいるだろう? それに、父上だって……)
ずっと同じ家に住んでいたが、以前の俺は弟の顔を見れば怒鳴りつけていた。
弟はいつも無表情で冷静に対応していた。弟のその大人びた様子に尚更腹が立ったことを思い出した。
気が付くと俺は自身の手のひらをきつく握りしめていた。
「アルフィー様は……立ち振る舞いや言葉遣いが……幼いように……思えます」
「え?」
俺はじっと御者の顔を見た。
以前の俺はひたすら、アルフィーのことが憎くて仕方なかった。
だからだろうか、生意気だという感情はあったが幼いという言葉は記憶の中にある弟とは結びつかなかった。
俺は、御者に愛馬を託しながら言った。
「……そうか、では後は頼んだぞ」
「はい」
なんとなく釈然としない思いでその場から去ったのだった。
+++
それから数日が経った。
私はやはりまだ黒い服を脱ぐ気にはなれなかった。
今の自分にとって母が亡くなったのは数日前ではなく、もうすでに何十年も昔のことだ。
だから母の追悼というより、以前の自分の追悼のために喪服を着ていたように思う。
(俺はこれからどうすればいいのだろうか?)
何も知らなかった頃の無邪気な自分にはもう戻れない。すでに1度領主として失敗しているのだ。このまま何もしなければ、また以前の二の舞になってしまう。
(また同じような運命を辿るのだろうか……)
そう思うと毒を飲んだ時の苦しみと絶望を思い出して身体が震えた。
――絶対的な恐怖。
呼吸が出来ずにもがく感覚を味わってしまった今の自分は、漫然と生きることに危機感と恐怖感を覚えるようになってしまった。
俺は、何かに急かされるように立ち上がると、母の管理していた酒棚から母の好きだった果実酒を持って自室を出てサロンに向かった。
サロンに行くと真っ先に母の嫁入り道具であるグラスが並んでいる飾り棚に向かった。
自分のせいで最後に毒などを入れたまま割れてしまったはずの不憫なグラスは、今もなお、美しく輝いていた。俺はその様子を見て心から安堵した。
(ああ、よかった……無事だったか……)
そのグラスはまるで己の美しさを見せつけるような輝きを放っていた。
俺はそのグラスを手に取ると、窓際にグラスを置いて果実酒を半分注いだ。
(ああ、やはり毒を入れるよりもずっと美しいな……)
しばらくグラスを眺めていると、控え目なノックの音が聞こえた。
「どうぞ」と言うと、執事長のロイドが入って来た。
そしてゆっくりと近づいて来て優しく言った。
「レオナルド様、奥様に献杯をされていたのですか……」
死者に捧げる
(そんなにいいものではない……ただの懺悔に過ぎない……この気高きグラスを毒で汚し、あまつさえ毒を入れたままその役目を終えてしまった罪滅ぼしだ……)
俺はロイドから顔を背けながら答えた。
「献杯……そのようないいものではない……ただ、このグラスに母の好きだったこの酒が注がれているところを見たかっただけだ」
俺の言葉を聞いたロイドが少しだけ涙ぐみながら言った。
「レオナルド様……随分と成長されましたね……奥様も安心しておられると思いますよ」
(成長というより……時間を遡っただけだが……)
グラスに対する一種の罪滅ぼしだったが、それは口にしなかった。
「ロイド……悪いが適当な頃合いにこのグラスを片付けてくれるか? 残りは好きにしてくれて構わない」
「かしこまりました」
俺は片付けをロイドに頼むとサロンを後にした。
自分のような子供ではあの酒を飲むことはできない。
ロイドなら酒好きな誰かに渡すか、自分で飲むこともできるだろう。
俺はグラスへの罪滅ぼしを終えて、少しすっきりとした気持ちで書庫に行って時間を潰すことにした。
サロンから書庫への移動は裏庭を抜ける方が早いため裏庭に向かった。
裏口付近を歩いていると貴族御用達の商人の馬車が見えた。
「また今日も商人を呼んだのか……」
継母は、最近毎日のように商人を家に呼んでドレスや装飾品を買い漁っていた。
(浅ましい。吐き気がする!!)
足早にその場を通り過ぎ、書庫へと急いだ。
+++
書庫に向かう途中の渡り廊下で弟のアルフィーを見つけた。
彼は何をするのでもなく、ぼんやりと空を眺めていた。
(……何をしているのだ?)
この年頃の男の子が何もせずにぼんやりとするのは珍しいことのように思えた。
不審に思い弟を見ていると、彼と目が合った。すると弟は期待のこもった視線を向けながらこちらに走ってきた。
「レオナルド様、どこに行くの?」
あまりにも丁寧さに欠ける彼の言葉に眉をひそめた。
(俺に敬語使う必要はないということか!?)
弟の不敬な言葉使いに少し苛立ち、軽くあしらうように言った。
「書庫だ」
「しょこ?」
彼は書庫がわからないのか不思議そうな顔でこちらを見ていた。
(『書庫』という言葉を知らないのか?)
今の自分にとって8歳の子供というのは全く未知の存在だ。以前も弟とは接していたはずだが、10歳として会うのと26年歳まで生きたという記憶を持って接するのでは全く勝手が違う。
そして、御者の言葉を思い出す。
――アルフィー様は……立ち振る舞いや言葉遣いが……幼いように……思えます。
(幼いか……そうかもしれないな……)
俺は少し考えながら言った。
「……本がある場所だ」
弟は瞳を輝かせながら言った。
「本? レオナルド様……一緒に行ってもいい?」
断ってもよかったが、学園が始まれば課題などで書庫を使うこともある。
書庫の鍵を持っているのは、父と俺だけなので侍女に案内を押し付けることもできない。
(わざわざ案内するのも手間だ。この機会に案内しておくか……)
無表情に答えた。
「黙って邪魔をしないと誓えるのなら連れて行ってもいい」
「レオナルド様の邪魔はしない!! 僕も連れて行って!」
気が付けば大きな溜息をついていた。
「好きにしろ」
「うん」
弟は嬉しそうに俺の後をついてきた。
書庫に着くと適当な本を手に取り、いつも本を読むテーブルに座った。
しばらくすると弟も大きめの本を抱えて来たが、それを気にすることもなく本に没頭した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます