藤壺の宮は〝物の怪のせい〟にしたくない【源氏物語あや解き異聞】

伊井野いと@『祓い屋令嬢3巻』2月発売

其の壱


 死んだと思ったら、産まれていた。

 ちょっと何を言っているのか分からないかもしれないが、あいにくと脩子ながこにだって分かってはいなかった。

 何しろ、大学に向かう途上でトラックにはねられたと思ったら、羊水やら血にまみれて、産婆さんばに抱き上げられていたのである。全くもって、意味が分からない。


「いや、何故に……?」


 そう声に出したはずの言葉は、残念ながら言葉の形をしていなかった。

 ただ「おぎゃあ」と泣いただけである。どうやら脩子ながこは、記憶をリセットされぬままに、輪廻転生の輪に乗っかってしまったらしい。


 さて、この記憶を持ったままの転生に、正気に戻った瞬間はもちろん困惑した。

 だが、やがてすぐに、これはこれで楽しいのではと思い直すことにしたのだ。

 何しろ、二度目の人生だ。

 人生二周目だと開き直れば、どうにかこうにか乗り切れるに違いない──というよりも、そうやって割り切るほかに、道がなかったという方が正しいだろうか。


 寝ても覚めても、覚めても寝ても、時間はいたずらに過ぎていくばかりで。

 そのくせ自分の身体はといえば、少しずつ、だが着実に育っていくのだ。

 五感で感じられる全てのものに、何故だか確かな質感があり、いつまでも夢や幻のことだと思ってはいられなかったのである。


 加えて「あの損傷そんしょうじゃあ、どう足掻あがいても助からなかっただろうしなぁ」と、自分の前世に見切りをつけることが出来たのも、大きかったのだろう。

 脩子ながこの生還は、きっとエビの煎餅せんべいがエビに戻るのと同じくらい、絶望的だったに違いない。それくらい、色々な部位がひしゃげてしまった自覚はあったのだ。


 前世に未練はそれなりにあるけれど、死んじゃったものは、どうしようもない。

 ふたたび五体満足の身を得られただけで、御の字というやつだろう。

 そう、自分に言い聞かせるしかなかったのだ。

 何はともあれ、かくして脩子の二度目の人生は、始まったのだった。




 さて、いったん腹をくくってしまえば、さっそく情報収集である。

 赤子のぼんやりとした視界の中で、脩子ながこせわしなく動く人間たちをつぶさに観察し、周囲の会話に耳をぎ澄ませた。そうして分かったことは、まずひとつ。


 どうやら脩子は、令和から先の未来にではなく、令和から過去の世へと転生したらしいのだ。二度目の人生の舞台は、なんと平安時代の中期頃であるようだった。

 さすがの脩子も、これには頭を抱えてしまう。

 何故なら脩子は、令和の世を生きる大学院生だった。しかも専攻は『日本古典文学』だ。人より幾分いくぶんかは、この時代に関する知識があるのである。


 平安時代はといえば、令和の世からさかのぼって、およそ千年も昔のこと。

 桓武かんむ天皇の平安京遷都せんとから数えて、約四百年ものあいだ続く、日本の歴史区分上もっとも長い時代である。

 平安前期に遣唐使けんとうしを廃止したことにより、中期には国風文化が花ひらく、この時代。日本は大陸文化の模倣もほうを辞めたことにより、独自の王朝文化を爛熟らんじゅくさせていくことになる。それがこの、平安中期の頃だった。

 紫式部や清少納言らによる女流文学が、後世に大きな影響を与えた時代でもある。


 平安時代と聞いて、まず一番に想像するのは、典雅てんがで華やかな風景だろうか。

 寝殿造しんでんづくりの広大な邸宅。そのきざはしの左右には、紅梅や白梅が植えられていて、そこはかとなくふわりと香る。

 屋敷の南面には大きな池が広がり、静かに揺れるさざ波の上には、竜頭鷁首りゅうとうげきしゅの舟が浮かんでいて。

 池の中島へは赤い欄干らんかんり橋がかかり、十二単じゅうにひとえ姿の女性や狩衣かりぎぬ姿の男性たちが、管弦かんげん蹴鞠けまりたわむれる。その景色はまさに、絢爛けんらん豪華ごうか

 時間の流れはゆったりとしていて、季節の移ろいを優雅に楽しむような、そんな時代──というのも、あながち間違ってはいないのだろう。一側面としては。


 けれども、残念ながら。

 脩子は人よりちょっとばかしこの時代についてくわしいからこそ、知っているのだ。

 平安時代は、決して優雅で華やかなだけの時代ではなかった。

 何しろ中世以前、古代の末期という、公衆衛生という概念がいねんがこれっぽっちも存在しなかった時代である。


 貴族は基本、毎日風呂には入らないし、体臭ケアはお香任せ。

 庶民にトイレという概念はほとんどなく、糞尿ふんにょう路傍ろぼうに垂れ流しだ。

 おまけに民草たみくさは、死体を火葬や土葬にす余裕もないので、庶民の埋葬まいそう方法は風葬──野晒のざらしが基本だった。つまりは、鳥や野犬がついばみ喰らってくれるのを待つスタイル。


本朝世紀ほんちょうせいき』や『日本紀略にほんきりゃく』によれば、

〝死亡した者は多く京中の路頭に満ち、往還の人びとは鼻をおおって通り過ぎた〟

〝鳥犬は食に飽き、骸骨はちまたふさいだ〟という。


 そんな衛生環境の中で、人が健やかに生活できるはずもない。

 都では毎年のように疫病えきびょうが流行し、ひとたび罹患りかんしてしまえば、あとはもう加持かじ祈祷きとうによって平癒へいゆを祈るばかり。

 鴨川はしょっちゅう氾濫はんらんするし、飢饉ききんだって頻繁に起こる。

 文明に甘やかされた現代人にとっては、はなはだハードモードな時代なのだ。



 さてもさても、とんでもない時代に生まれてしまったものである。

 ここが平安時代であると気づいた時の、脩子ながこの絶望たるや。

「せめて、貴人の生まれであってくれよ」と願ったことは、言うまでもない。


 さて、祈るような思いで、さらに情報収集に明け暮れた、その結果はといえば。

 ようやく分かったのは、自分が想像以上にやんごとない、、、、、、身分であるということだった。

 なんと脩子は、さきの帝の后腹きさいばら(つまりは皇后こうごう所生)のおんなみや──要するに先帝の第四皇女として生まれたようなのだ。

「セーフ! 超セーフ!」と、脩子はおくるみの中で、ガッツポーズを決め込んだ。

 何しろ貴人どころか、貴人の中の貴人である。

 これならば、少なくともえとは縁遠くいられるし、自分で身綺麗を心がけてさえいれば、衛生的にもまだマシな環境で生きることが出来る。


(悲しいかな。貴族でも疫病えきびょうにはそれなりにかかるし、割とぽっくり身罷みまかるのは百も承知であるけれど……)


 何はともあれ、腐乱死体と隣り合わせの生活を送らずに済むのであれば、それだけでも上々だと脩子は開き直った。

 こんな時代を実際に生きるのは不安極まりないけれど、それさえ除けば、自分が研究していた古典文学の世界である。

 好きでなければ、そもそも研究などしない。

 かくして、脩子はこの第二の人生を、それなりに謳歌おうかすることに決めたのだった。





(続く)

【序 1/3】


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